フンチェシュティ県

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フンチェシュティ県

Hîncești
フンチェシュティ県の旗
フンチェシュティ県の紋章
紋章
Location of フンチェシュティ県
モルドバの旗 モルドバ
県都 フンチェシュティ英語版
政府
 • 県知事 Grigore Cobzac
モルドバ自由民主党
2011年
面積
 • 合計 1,484 km2
標高
350 m
人口
(2012年)
 • 合計 121,600人
 • 密度 81.9人/km2
等時帯 UTC+2 (東ヨーロッパ時間)
 • 夏時間 UTC+3 (東ヨーロッパ夏時間)
郵便番号
269
市外局番 +373 34
車両番号 HN
ウェブサイト www.hincesti.md

フンチェシュティ県モルドバ中西部の県。県都はフンチェシュティ英語版イタリア語版スペイン語版

2012年の人口は12万1600人だった。

歴史[編集]

アレクサンドル・ラプスネアヌ英語版(モルダビア公国のラプスナ生まれ)(在位:1552年1561年1564年1568年)

4〜3万年前の石器時代から人が住んでいた。

紀元前4世紀紀元前3世紀ルプスナ英語版やアニナにゲタイ文化が栄え、多くの墓が造られた。

14世紀にはラプスナには貿易市場が有った。

1420年代の記録にセカレニ英語版レウセニ英語版、ラプスナ、シウシウレニ英語版に人が住んでいたとある。

15世紀18世紀、この地域はラプスナ県の一部だった。県都はティルグル・ラプシュネイで、県知事が治めていた。ラプスナからトランシルバニアポーランド、ポントス都市群、ドナウ川ドブロジャコンスタンティノープルに道路が繋がっていた。

オスマン帝国セタテア・アルバ英語版キリヤ英語版を征服し、タタールブジャクを征服した後、モルドバの南部国境はフンチェシュティ県近くまで北上した。

1812年露土戦争 (1806年-1812年) の結果ロシア帝国ベッサラビアを獲得し、住民のロシア化を進めた。

1918年ロシア革命の後にベッサラビアはルーマニアに割譲された。この地域はラプスナ郡英語版に編入された。

1940年独ソ不可侵条約によってベッサラビアはソ連に占領された。

1991年、モルドバの独立によってこの地域はラプスナ郡の一部になった。

2003年、フンチェシュティ県が設置された。

地理[編集]

フンチェシュティ県はモルドバ中西部に位置する。北から時計回りに

に接する。ルーマニアとの間にはプルト川が流れる。標高は100〜350mである。

の3種類の地形に分かれる。

気候[編集]

  • 大陸性で穏やか
  • 年間平均気温:10℃
  • 1月の平均気温:-4℃
  • 最低気温:-30〜-32℃
  • 7月の平均気温:22℃
  • 最高気温:39〜40℃
  • 年間平均降水量:500〜650mm

居住形態[編集]

13.9%が都市に住む。

民族[編集]

民族 人口 %*
モルドバ人ルーマニア人 111,235 92.88%
ウクライナ人 6,218 5.19%
ロシア人 1,463 1.22%
ロマ 291 0.24%
ブルガリア人 212 0.18%
ガガウズ人 100 0.08%
その他 244 0.20%

宗教[編集]

政治[編集]

2010年11月28日のモルドバ共和国議会選挙の結果

2010年の県議会選挙の結果

観光[編集]

は合同でこの地域の観光促進を行っている。 [1]

  • 中世〜近世初期の教会や修道院
  • マヌス・ベイ英語版の狩場
  • マヌス・ミルザイアン荘園宮殿
  • フンチェシュティ景観保護区

が人気が有る。

その他[編集]

県の南側に位置する地域であるバドゥ・ルイ・ボダ英語版(Vadul lui Vodă)には、ヴィラ・シカール英語版(Vila Sicard)と呼ばれる、同国に於いて最も古いフランス建築様式の施設が在る。ヴィラ(Vila)はルーマニア語で「屋敷」を意味する。

外部リンク[編集]

  • Vaslui-Turism.ro – Cultural Religious Itineraries – Tourism website for Hînceşti District

脚注[編集]

座標: 北緯46度50分 東経28度25分 / 北緯46.833度 東経28.417度 / 46.833; 28.417