ノート:南京事件/過去ログ8

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

現在の定義文について[編集]

2018年1月18日 (木) 01:08‎(UTC)に編集合戦により全保護されました。現在の版について問題点、改善すべき点を挙げてみます。

1、ユネスコ記憶遺産云々
ご存知のとおり日本語版Wikipedia上では、戦時中の首都攻略戦たる (1)「南京戦」と、入城後に発生した (2)「南京事件」、戦後の学術的・政治的な (3)「南京事件論争」で記事が分けられています。
2015年のユネスコ登録に関する話題は、どう考えても(3)の案件です。(2)の本文中で軽く触れたり、誘導するのはよいですが、冒頭定義文に書く内容ではありません。--Ashtray (talk) 2018年2月11日 (日) 03:50 (UTC)
2、日本政府の歴史認識云々
現在の日本政府の見解は、出典元の外務省サイト[1]に書いてあるとおりですし、過去の小泉政権時代の答弁書[2]や外務省報道官会見[3]に沿った内容です。ついでながら、私Ashtray個人の認識ともそう変わりません。
しかし、日本政府が、直接に事件を研究調査したり、関係者への聞き取りをしているわけではなく、また歴史的事実として確定する立場にあるわけではありません。あくまで「一法人としての見解」ですので、前項と同じく(3)で扱うべき案件であり、冒頭定義文に書く内容ではありません。
それこそ、中立方針に則れば、中共政府の「30万人」との見解も両論併記しなければ、つりあいが取れません。--Ashtray (talk) 2018年2月13日 (火) 13:52 (UTC)
返信 2.について、Wikipedia:中立的な観点#釣り合いのとれた重みづけによれば、〈中共政府の「30万人」との見解も両論併記しなければ、つりあいが取れません。〉はウィキペディアの方針には反する考えになります。ウィキペディアで考慮すべきなのは、「その主題についての専門家や関係者の勢力」です。専門家である歴史家たちの見解について端的に言えば、史学雑誌の毎年の第5号に掲載される「回顧と展望」に載っているような書籍や論文の内容がメインで記述されるべきです。とはいえ、政府などの「関係者」の記述もあるべきです。本問題については、日中歴史共同研究の実施のように政府が主導した研究も行われており、「一法人」とは異なる立ち位置(本件についての専門家集団、事実を知りうる立場)です。--j8takagi会話2018年2月15日 (木) 13:01 (UTC)
コメント こちらのコメントに気づきませんで。
まず、冒頭定義文に載せるべき事項と本文内に載せるべき事項は、分けて考えてください。また、今記事(2)と関連記事(1)(3)に載せる事項は、分けて考えてください。そうしないと話が進みません。
また、こちらに返信をいただいたということは、「Ashtrayさんとは「合意に向けた議論」をするのはむつかしい」 とのコメントは撤回されたと見なしてよろしいのでしょうか。--Ashtray (talk) 2018年3月2日 (金) 03:21 (UTC)
「Ashtrayさんとは「合意に向けた議論」をするのはむつかしい」というのは、いちおうはあの場限りです。「冒頭定義文に載せるべき事項と本文内に載せるべき事項は、分けて考えてください。」「今記事(2)と関連記事(1)(3)に載せる事項は、分けて考えてください」とのことですが、「2、日本政府の歴史認識云々」は(歴史家たちの見解とともに)今記事(2)の本文と冒頭定義文の両方に記載すべき事項だと述べております。なお、「1、ユネスコ記憶遺産云々」については判断を保留しています。--j8takagi会話2018年3月2日 (金) 04:54 (UTC)
コメント まずこの記事は、専門家が調べ上げた「事実」(≠真実)を淡々と記すべき所です。歴史認識とか見解とかは(3)でやってください。
また、「日本政府=専門家集団、事実を知りうる立場」という大変興味深い説を披露して頂きましたが、それはあなた個人の見解でしょうか。それとも誰か専門家の書籍・論文に書かれていたことでしょうか。安倍政権が、どこまで
そもそも、「日中歴史共同研究」は、日中専門家の間で共通見解は得られたのでしょうか。また研究結果について政府が「御墨付き」を与え、何らかの形で「公式見解」と位置づけたのでしょうか。私が知りうる限り、そのような事実は無かったと記憶しています。
そして、あなたが「30万人」説に対してWP:UNDUEを持ち出されたということは、「観点の偏り」「少数派の意見」という認識なのでしょうね。私も、そのようなファンタジーを信じてはいません。しかし、共同研究の中国側の専門家はなんと言ってるかご存知ですか。しかも、あなたの論理で行けば、中共政府も「専門家集団、事実を知りうる立場」となりますが。--Ashtray (talk) 2018年3月4日 (日) 02:25 (UTC)
日中歴史共同研究については、たとえば歴史学者の笠原十九司が〈『戦争を知らない国民のための日中歴史認識—『日中歴史共同研究 近現代史』を読む』。ISBN 4585220070 〉という書籍を出しています。南京事件を研究してきた専門家が外部の立場から、日中歴史共同研究について解説・論評した内容です。「日本政府=専門家集団、事実を知りうる立場」という説があたっているか、日中専門家の間で共通見解は得られたのか、研究結果についてどのように扱うのか、という点についてはこの書籍をあたるのがよいと思います。--j8takagi会話2018年3月5日 (月) 10:46 (UTC)
コメント うん、まったく答えになっていません。ここは、「日本政府の歴史認識」を載せるかどうかの話です。いつから笠原説が日本政府の公式になったのでしょうか?--Ashtray (talk) 2018年3月5日 (月) 12:09 (UTC)
では、笠原十九司氏をAshtrayさんはどのように位置づけていますか?たとえば、「専門家が調べ上げた「事実」(≠真実)を淡々と記す」ときの専門家にあてはまりますか?--j8takagi会話2018年3月5日 (月) 12:18 (UTC)
コメント 答えが無いようですし、日本政府の歴史認識云々は冒頭部には書かない(除去)、でよろしいですね。--Ashtray (talk) 2018年3月5日 (月) 12:25 (UTC)
なぜ答えようがないのか分からないのですが…それでは質問をかえます。本記事で「専門家が調べ上げた「事実」(≠真実)を淡々と記す」とはどのような記述(出典)を想定していますか?通常の歴史系の記事ではそうした事実を記述をすれば、ウィキペディアの品質を満たす記事ができやすいです。しかし本記事ではそのような記述が諸般の事情によりむつかしく、工夫が必要になります。日本政府の歴史認識について記載すべきというのは、そうした工夫の一つというのが私の考えです。--j8takagi会話2018年3月5日 (月) 13:02 (UTC)
コメント まず、あなたの考える「工夫」の意味が分かりません。説明を。--Ashtray (talk) 2018年3月5日 (月) 13:16 (UTC)
「日本政府の歴史認識について記載す」ることを「工夫」と表現しています。--j8takagi会話2018年3月5日 (月) 23:50 (UTC)
その「工夫」について、説明してください。--Ashtray (talk) 2018年3月6日 (火) 00:50 (UTC)
どのように説明したらご納得いただけるか分かりませんが、言い換えれば、本記事では「専門家が調べ上げた「事実」(≠真実)を淡々と記す」ことが諸般の事情によりむつかしい状況での対応ということです。なお、根拠も示さずに、「反対です」「わからない」「説明してください」といわれても、ウィキペディア記事品質向上のための議論をするのは困難です。どのような部分が「わからない」のか、どういう点の「説明」が必要なのか、明示するようお願いします。

私の意見を箇条書きでまとめると次のようになります。

  1. 通常、歴史記事では「専門家が調べ上げた「事実」(≠真実)を淡々と記す」ことでウィキペディアの品質を満たす記事になる
  2. 南京事件の専門家として、歴史学者の笠原十九司が挙げられる
  3. 上記1.と2. から、笠原十九司氏の著作をもとに記事をつくれば、ウィキペディアの品質を満たす記事になる
  4. しかし、諸般の事情により3. はむつかしい
  5. 上記4. を受けてなんらかの工夫(対応)が必要。そこで、冒頭文に日本政府の歴史認識について記載し、本文にはその詳細として「日中歴史共同研究」について記載すべき

このなかで疑問に思う論点や議論のつながりが分からない点があれば、ご指摘下さい。--j8takagi会話2018年3月6日 (火) 06:33 (UTC)

コメント 説明ありがとうございます。まず、笠原氏ですが、この分野の第一人者であり、尊敬する学者の1人です。とはいっても、新書本と、いくつかの著書を目を通しただけですが。ここで笠原氏の名前を出されたということは、おそらく私なんかよりもJ8takagiさんのほうが詳しいことでしょう。しかし、それだけに、批判者も多いことも良くご存知だと思います。貴方がもし、笠原氏の著書だけで編集参加するつもりならば、お止めになるのがよろしいでしょう。東中野修道氏の著書だけで加筆するのと大差ありません。議論の分かれる分野ならば、3名の著書を手元に置いておくべきです。
まぁ、それはそれとして、1~4は何となく解りますが、それがなぜ5に繋がるのでしょうか??。そこが一番大事なのに、こうもはぐらかされては、同意しようがありません。--Ashtray (talk) 2018年3月6日 (火) 14:04 (UTC)
笠原氏について 笠原氏は、南京事件について専門家集団である史学会から評価される南京事件についての論文などを発表した上で、「新書本」などの一般向け解説本を書いています。史学会での評価については、以前にも触れた史学雑誌の「回顧と展望」などが参考になるでしょう。一方の東中野修氏は史学会からは相手にされていません。南京事件について一般向けの本を出しているという点では笠原氏も東中野氏も大差ないように見えるかもしれませんが、専門家たちからの評価という点でははっきり違います。批判についても、まずは専門家(史学会で認められるような歴史家)の間での批判と、それ以外の批判は分けて考えるべきでしょう。専門家の間では南京事件について、基本的には笠原氏の研究が通説となっているはずです。とはいえ、本記事で笠原氏の研究だけを取り上げるべきなのか、いやそうもいかない、というのが上記4. です。
上記4.と5.の繫がりについて 上記の4. までを正しいと認めてもらえるのであれば、ウィキペディアの求める品質を満たす記事にするためには、なんらかの工夫や対応が必要です。もし4.までで思考停止してしまった場合、本記事は品質の劣った記事となってしまいます。また、日本政府の歴史認識について記載すること以外の工夫をすべきということであれば、対案を示してください。なお、5.は2つに分けるべきでした。箇条書き部分を次のように修正します。
  1. 通常、歴史記事では「専門家が調べ上げた「事実」(≠真実)を淡々と記す」ことでウィキペディアの品質を満たす記事になる
  2. 南京事件の専門家として、歴史学者の笠原十九司が挙げられる
  3. 上記1.と2. から、笠原十九司氏の著作をもとに記事をつくれば、ウィキペディアの品質を満たす記事になる
  4. しかし、諸般の事情により3. はむつかしい
  5. 上記4. を受けてなんらかの工夫(対応)が必要
  6. そこで、冒頭文に日本政府の歴史認識について記載し、本文にはその詳細として「日中歴史共同研究」について記載すべき

以上です。--j8takagi会話2018年3月6日 (火) 23:42 (UTC)

コメント 貴方の笠原氏論、あるいは東中野氏論には興味ありません。それは、ノート:南京事件論争で思う存分にお書きください。また、貴方が笠原本だけで書くことで、中立性に疑問や心配があるならば、氏を含めて3名程度の専門家の本を用意するようアドバイスするものです。
そして、繰り返し5.(新しい6.)の「工夫」について尋ねているにも拘らず、話を逸らし続ける貴方の態度に対して、遺憾の意を表明します。挙句の果てに「思考停止」などと批判されるいわれはございません。
日本政府の歴史認識云々の一文がなぜ必要なのか、本文とどう係わるのか、そういった基本的なことについて「説明責任」を果たせないのでしたら、編集は諦めましょう。--Ashtray (talk) 2018年3月7日 (水) 11:47 (UTC)
なぜ必要かについては、「笠原十九司氏の著作(だけ)をもとに記事をつくる」のが難しいからと述べております。「本文との係わり」については「冒頭文に日本政府の歴史認識について記載し、本文にはその詳細として「日中歴史共同研究」について記載すべき」と述べております。なにを求めてるのか、どこがはっきりしないのか、議論の時にはそのようなことを説明する「説明責任」もあるのではないでしょうか。また、「笠原氏論、あるいは東中野氏論」といわれた部分は、〈東中野修道氏の著書だけで加筆するのと大差ありません。〉というご意見への反論です。--j8takagi会話2018年3月7日 (水) 13:46 (UTC)
コメント 別に「共同研究」を参考文献に加筆するならば、そのようにどうぞ。解説として笠原本が必要ならば、併せてどうぞ。ただ、執筆内容によっては(3)のに移す場合がございます。
それで・・・、繰り返しになるのですが、記事(3)に書かれるべき「日本政府の歴史認識云々」が、何故この記事に、しかもよりによって冒頭文に必要なのか。その「工夫」の意図は何か、と聞いています。
貴方の場合は「・・・すべき」は多いのに、「なぜ・・・すべきか」が抜け落ちているのですよ。ズッポリと。それで説明した気になっていては困るのです。--Ashtray (talk) 2018年3月7日 (水) 14:13 (UTC)
  • 編集の基本方針としては記事の冒頭部はとにかく軽くすべきで、ある一定の記述があれば本文に移すのが宜しいと思います。冒頭部肥大化の法則とでもいうべき編集傾向はすぐに発生しますので意識して本文に移すようにしましょう。--大和屋敷会話2018年3月4日 (日) 03:16 (UTC)
ならばなおのこと、どさくさに紛れて『現代アジア事典』を出典として示した、「冒頭の導入部に置くというのはどうも編集感覚的に違和感がある(宣言しすぎ)」とご自身でも仰っていた記述を復活させるのは止めて下さい。また、#『現代アジア事典』の記述についてで述べたようにこの記述は出典である『現代アジア事典』とは異なる主張になっています。--j8takagi会話2018年3月5日 (月) 10:46 (UTC)
  • 消すんじゃなく別の形で本文に組み込むよう移動させて下さいよ。J8takagi氏の場合は編集意図がおかしいんです。とにかく冒頭はすぐにこういう編集合戦になるので、書きたいのなら本文で十分に書いてください。--大和屋敷会話2018年3月5日 (月) 13:10 (UTC)
以前にも述べたように、本記事では、全体の構成を変えない限り、今回のような記述の追加はむつかしそうにおもいます。また、南京事件論争の記事では「虚構派」「否定派」などといった形で、「事件の真相はいまだ不明」という主張についてより詳細に記述しているので、記述追加は不要に思います。となると、本文への追加は難しいです。結果として、冒頭リード文から除去するということになります。あと、この記述は出典である『現代アジア事典』とは異なる主張になっているという点についてはどのようにお考えでしょうか。--j8takagi会話2018年3月5日 (月) 23:50 (UTC)
コメント 節を分けますので、続きはそちらで。--Ashtray (talk) 2018年3月6日 (火) 03:29 (UTC)
3、事件の真相はいまだ不明云々
コメント 『現代アジア事典』を出典とした「事件の真相はいまだ不明であり」の一文、これは必要と考えます。詳しくは後ほど述べます。--Ashtray (talk) 2018年3月6日 (火) 03:29 (UTC)
まず、この記述がが書かれたのは、2016年7月1日(金)14:00(UTC)の利用者:さんぽーる会話 / 投稿記録 / 記録氏の版です[4]。この事件について…さまざまな論争が存在している云々とは完全に切り離されています。これを無理に一文として繋げたことが、現在の編集合戦の遠因が起きたのでしょう。そもそも、『事典』の原文を読んでみましたが、「事件の真相」云々は別に、《事件の黒幕が他にいて日本軍は濡れ衣だ!》などという意図ではなく、せいぜい「事件の全体像が不明である」とか、言い換えれば「事件で判らない部分が多い」という程度にしか読めません。はっきり言えば「空は青い」レベルの事項です。J8takagi氏やIPユーザー諸氏、あるいは中国系の荒らしユーザーは、なぜこの一文を目の敵にするのでしょうか。まったく不思議です。--Ashtray (talk) 2018年3月7日 (水) 11:47 (UTC)
南京事件では、たしかに被害者の具体的な人数などについては諸説あり「わかりません」。しかし、南京入城(1937年)後に非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは事実です。このことを否定する専門家(史学会で認められるような歴史家)はいません。「事件の真相はいまだ不明」というのは、その点を誤解させる表現です。空は青いの比喩でいえば、「事件の真相はいまだ不明」というのは「空の真相はいまだに不明であり、青いのかさえも不明である」と書いていることになると考えます。--j8takagi会話2018年3月7日 (水) 14:07 (UTC)
コメント まず、指摘せねばならないのは、ここは史学会でもなく、日本政府の公認サイトでもありません。米国の財団が運営し、米国にサーバーがあり(最近は各国にあるらしいですが)、たまたまJapanese languageを表記言語に用いているサイトです。
あなたの編集方針(史学界で認められた専門家の著書だけを用いて執筆したい)は最大限尊重いたします。それは方針・ガイドラインの範疇です。しかし、他のユーザーに強要するのは、方針違反です。
上節で、東中野氏の名を挙げた時の反応で、貴方の考えは、まぁ、だいたい察しは付きます(私も彼の本を読んだことは無いですし、読む気もないですが)。しかし彼等のような論が存在することもまた「事実」です。また、そのような論に対して、笠原氏が一つ一つ反論(論破)しているのはご存知でしょう。そういったこともひっくるめて「敵のために書く」という姿勢を、貴方に求めたい。
で、なぜ私が「真相がいまだ不明」の一文が必要と考えるかといえば、「さまざまな論争が存在している」その理由付けのためです。なぜ論争が存在するか、が不明だからです。
現状の書き方では、「論争が存在する。(ゆえに)真相は不明である。」となっていて、文法的におかしい。本来は「真相は不明である。(ゆえに)論争が存在する。」とせねばならないでしょうが。そして、「真相が不明」が断定的・誤解を生むというのならば、表現を変えても別に良いと思います。--Ashtray (talk) 2018年3月7日 (水) 15:10 (UTC)
「真相がいまだ不明」について 仰るように、文法の問題も気になります。私は、不明なのが「何」なのかが明記されてないのが気になりますし、さらに現状の記述は出典とも異なる主張になっているとも考えます。こちらの版で〈日本政府は、被害者の具体的な人数について政府としてどれが正しい数かを認定することは困難ではあるものの、日本軍の南京入城(1937年)後に非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないという歴史認識を示している〉と記載されているのは、「被害者の具体的な人数」について不明なこと、「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったこと」は事実であることを明記しているという点では優れた記述だと考えますがいかがでしょう。一方で、「日本政府は」が唐突に出てくるのがAshtrayさんの疑問点なのではとも考え始めています。そのあたりの改善も考えたいと思います。--j8takagi会話2018年3月7日 (水) 23:30 (UTC)
この事件についての論争では、主要な部分は解明済みであるという立場と、主要部分を疑う立場(根本的に怪しいと言っている立場)とがあるかと思います。「真相がいまだ不明」という表現だと、肝心なことが全然分かっていない、というように聞こえ、後者に肩入れし過ぎなように聞こえるのが問題なのではないでしょうか。少しトーンダウンさせて、「未解明の部分も残されており」と言った表現に変えてはいかがでしょうか。合意をとりながら短くまとめることが可能であれば、具体的にどの部分が未解明か、に言及するのもいいですが、難しければ、さしあたって冒頭では具体的な言及がなくても仕方ないかと思います。 --163.49.209.47 2018年3月8日 (木) 12:08 (UTC)

案2[編集]

提案 Ashtrayさんや163.49.209.47さんのご意見をもとに、冒頭文の「事件の真相はいまだ不明であり、万人が納得するような説明はいまだなされていないとする意見がある。」の部分を次に置き換えることを提案します。

南京事件を研究する歴史学者の多くは南京入城後の日本軍に非戦闘員の殺害や略奪行為などがあったことについて同意しており、日本政府も同様の歴史認識を示している。被害者の数については諸説あり、不明である。

--j8takagi会話2018年3月8日 (木) 13:12 (UTC)

反対 ダメに決まっているでしょ。
ここは1937年に起こった「事件」を記すための記事であって、特定のイデオロギーや見解を披露する場所ではありません。そのようなことは、(3)「南京事件論争」でどうぞ。
とくに「日本政府の歴史認識云々」は書くなと繰り返し述べているにもかかわらず、人の話を聞いていないのですか、貴方は。--Ashtray (talk) 2018年3月8日 (木) 14:32 (UTC)
返信 「日本政府の歴史認識云々」は「書くな」というのが、「本音」ですか。私は、Ashtryさんは、「何故この記事に必要なのか」が説明されていないことが「疑問」と仰っているので、短い文のなかで、「南京入城後の日本軍に非戦闘員の殺害や略奪行為などがあった」という見解が「歴史学者の多く」の見解であり、さらに政府の歴史認識でもあることを示し、Ashtryさんの疑問に対して答えたつもりでした。また、「専門家の多くが同意された記述」は、Wikipedia:信頼できる情報源で定義された〈事実〉であり、〈特定のイデオロギー〉ではありません。--j8takagi会話2018年3月8日 (木) 15:11 (UTC)
あのー、本音も何も初めからそう申してますが??。本文を説明する上で最低限、論争の存在は書く必要があるとしても、「誰かの見解」など書く必要はありません。その上で、なぜ日本政府の見解を書く必要があるのか、と何度も何度も繰り返し問うています。はぐらかすのは、止めてくれませんか。それとも、本当に質問の内容を理解できないのですか。--Ashtray (talk) 2018年3月8日 (木) 16:44 (UTC)
コメント 議論が平行線・・・と申しますか、議論が成立していない状況ですので、コメント依頼を出しました[5]。--Ashtray (talk) 2018年3月8日 (木) 17:31 (UTC)
「繰り返し問う」ているご質問への回答です。「殺害や略奪は存在した」という見解が、「多くの学者」に加えてより広範囲に同意を得ていることを示すために、日本政府も同意していることの記述を提案しています。すなわち日本政府への言及は〈「殺害や略奪は存在した」という見解は、「特定のイデオロギーや見解」ではなく「広い範囲で同意された事実」である〉ということを補強する意味があります。--j8takagi会話2018年3月9日 (金) 00:10 (UTC)

案3[編集]

Ashtrayさんは、「南京事件を研究する歴史学者の多くは南京入城後の日本軍に非戦闘員の殺害や略奪行為などがあったことについて同意している。被害者の数については諸説あり、不明である。」ならいいですか?直近のご発言では盛り込みたくない部分についてのご意見が多いですが、盛り込みたい部分があれば提案お願いします。 j8takagiさんはこれでいかがですか?論争について当事者の見解をまず見せるのは一般的ですから、(存在するのであれば)日本政府や中国政府の見解を出すのはそれほどおかしなことではないと思います。現政府は当事の加害者被害者ではないと言われるかもしれませんが、できる範囲で一番近いのは現政府でしょう。とはえいえ冒頭で言及することが必須という訳でもないと思います。 --163.49.210.60 2018年3月8日 (木) 23:41 (UTC)

仲裁案、ありがとうございます。「案2」節でも述べましたが「同意」がより広範囲であることを示すためにも、日本政府の見解は載せた方がよいと考えます。また、「歴史学者の多くは同意している。」の部分は、出典がひとつの論点になると考えます。たとえば、『史学雑誌』「回顧と展望」には歴史学者の標準的見解が示されているとみなし、そこでの南京事件についての言及を出典にすることを考えています。日本政府の見解については、出典を示すのはかんたんなのですが。--j8takagi会話2018年3月9日 (金) 00:33 (UTC)

案4[編集]

  • 大和屋敷の見解としては記事冒頭に記述してあるから延々編集方針が収まらないのであって、最初の1段落「南京事件(なんきんじけん)は--多様な呼称がある。」までを冒頭記述とし、2段落以降「南京事件は、事件直後から--Massacre」を記憶遺産に登録した」については新規に「概要」節を設置してそちらに放り込んだほうが良いように見ております。とにかくチョトぶら下げたいという編集意図からどんどん冒頭部分が肥大化してゆき、そのチョトぶら下げた箇所に中立性を保持するため他の見解を加筆せざるをえなくなる、という繰り返しがこの手の紛糾のよくあるパターンです。そもそも十分に加筆しなければ中立性など保ちようのない記事ですので冒頭箇所はとにかく議論の余地のない、信頼できる3次資料にもとづく(コレが当記事冒頭にないのが良くない)最低限に極限する方針が適切でしょう。--大和屋敷会話2018年3月10日 (土) 13:58 (UTC)
    WP:LEAD:「導入部は、前置きであると同時に、それ自体で完結したひとつの記事であるべきです。第1文で主題を定義し、続いて別名や間違いやすい事柄に触れ、前後関係や注目に値する理由を説明し、そして最も重要な点—あらゆる著名な論争も要約することが推奨されます」をご確認いただきたいと思います。「名前が色々ある」ことがこの事件の最も重要な特徴とは言いがたく、不十分でしょう(つまり「別名や間違いやすい事柄に触れ」までしか達成できません)。やむを得ず、一時的な処置として、不十分な導入部にしておくことはありうるかもしれませんが、いずれは(理想形としては)十分な要約を入れる方が望ましいです。そのために議論を続けることは有益でしょう。合意は困難でしょうが、困難だからやめるべきだという訳ではないはずです。論争があることだとかどのあたりまでがほぼ異論なく事実として受けいれられているのか、といったことは最重要事項として入れることを検討していいと思います。それ以上に重要とお考えの事項があれば、別途ご提案下さい。 --163.49.215.186 2018年3月11日 (日) 01:00 (UTC)
  • WP:LEADはガイドラインですが現実に沿わないんですよ。じっさいみなさんとにかく冒頭に自分の意見を書きたがるでしょう(そもそも信頼できる3次史料からの引用ですらない)。その感情的方向性が編集合戦の元なんです。べつに冒頭に書かずとも本編に記述しておればこのような議論は発生しないのです。単に互いに整合しない・信頼できる情報源が複数ある、それだけの話です。権威ある情報源の間での不一致は、それが信頼できる情報源に基づくかぎり許容されます。しかしその不一致については明白な形で記事中で示されるべきです。これに沿えば良いだけのことです。一方を加えるならこれも加えろ、いや加えさせないだなどということは冒頭だから起きているんです。--大和屋敷会話2018年3月11日 (日) 05:09 (UTC)
    • いつまでも同じ議論を続けても意味がありません。暫定的にでも結論を出して、次のステージに進むべきだと思います。その意味で、暫定的な妥協案として、案4を支持します。
私個人的には、『現代アジア事典』に基づいて「事件の真相はいまだ不明」と書くべきだというAshtrayさんの意見に近いのですが、現状それでは合意が成立しなさそうですから。
もしできることなら、導入部は「議論の余地のない、信頼できる3次資料」に基づいて記述すさるというポイントだけでも合意できれば良いですね。どの資料を「議論の余地のない…」とするのかは、取り敢えず次のステージの議論ということにして、一区切り付けてはどうでしょうか。--Dwy会話2018年3月11日 (日) 06:49 (UTC)
大和屋敷さんのご提案を(「1段落」のみ)仮の状態として受け入れるというのがDwyさんのご意見でしょうか。つまり(いつになるかはともかくとして)「議論の余地のない」要約が作れるまで、ということですが。大和屋敷さんはそれでよろしいですか。つまり「1段落」のみの状態からいずれ(いつになるかはともかくとして)拡張することは既定路線、ということになりますが。もしかすると本意ではないかもしれませんが、妥協線として。 --163.49.215.248 2018年3月13日 (火) 00:11 (UTC)
  • とりあえず大半を概要節にいったん移動させませんか?こんな紛糾しないと思いますよ。編集方針じゃなくて感情論で荒れてるだけなんですよ。信頼できる情報源から十分書けばいいんです。で、概要もまた膨らんでしまうなら、さらに分離させて1項目つくれば宜しい。信頼できる情報源から記事の主題に関して些末でない情報が加筆されるのなら削除する理由などそもそも無いんです。--大和屋敷会話2018年3月13日 (火) 06:20 (UTC)
    • 「現実に沿わない」のであれば大和屋敷さんのすべきことは、このノートでガイドラインを無視する提案をすることのではなく、ガイドラインの改定提案だと思います。それまでは、ここでは一応ガイドラインを満たすことを目指しませんか。すぐにそうできるとは言いませんが方向性として。ガイドラインを守ることと、ガイドラインに内心不満を持つことは両立できるはずです。「1段落」に減らして重要事項を入れないという提案は明らかにガイドラインに逆行する提案だと思います。一時的な緊急避難としてであれば理解できなくはないですが。 --163.49.208.184 2018年3月13日 (火) 08:35 (UTC)
  • コメント 大和屋敷さん、Dwyさん、こんばんは。確かに私の方も、南京事件の冒頭定義は「こうあるべき」「こうするべき」という構想はあります。ただ、もともとこちらの記事に参りました動機は、あまりにも編集合戦が激しく、不毛で、記事の発展性を阻害しているように思えたからです。ですので、簡単な一段落の定義文であったとしても、まずは冒頭部を固めることが肝要かと。その方が、長い目で見れば記事の為になると思います。--Ashtray (talk) 2018年3月13日 (火) 13:44 (UTC)
  • コメント 横から失礼します。Wikipediaは規則主義ではありませんので、合理的な理由さえあればガイドラインを守るのは必須ではありません。また、「WP:LEADPARAGRAPH」では導入部の最初の段落で「主題の境界を定めます」と書いてありますから、例えば「この事件に関する様々な見解・論争については南京事件論争で解説する。」などと書いておけば問題ないのではないでしょうか。仮に「あらゆる著名な論争を要約する」を厳守するとしても、日本政府の見解などごく一部についてだけ記載するのは「論争の要約」にならないでしょう。「非戦闘員の殺害や略奪行為の存在自体は認める意見が主流だが、被害者数は0人から30万人以上まで諸説あり、また当時の戦時国際法では違法ではない殺人だとする説や~」といった形で主要な論点などを簡単に概説する形の方が適切かと思います。論争になりやすい主題ですから、「日本政府の見解」のような特定の意見だけ取り上げるのは難しいかと。どうしても日本政府の見解について載せたいのであれば、著名な論争の1つとして「当事者である日中両国の見解の相違」という形で紹介するしかないのではないでしょうか。子記事への誘導のみに留めて見解や論争については思い切って省略するか、逆に主要な論点を概説して特定の意見の扱いを過剰に大きくしないようにするかのどちらかの方が良さそうに思われます。--SilverSpeech会話2018年3月13日 (火) 14:17 (UTC)
  • 編集意見としましては記事の中立性を担保できれば良いわけで[6][7]、当初の編集合戦みたく情報源の一部を削除するような編集[8]さえ行わなければそれで結構なわけですが。どうしても信頼できる情報源からの加筆を削除したいというのなら、せめて冒頭から外しませんか、という提案にすぎません[9]。そもそも無断削除を戻しているだけの話しなのですから編集方針もへったくれもないのです。--大和屋敷会話) 2018年3月14日 (水) 01:16 (UTC)なお可変IPアドレスの方がしばしば編集意見を投稿されておられるようですが、可変の方との対話は対話の同一性が保持できかねますので回答できかねることを予めご了解ください、この点について対話拒否を御主張になられる場合には【まずwikipediaアカウントを取得のうえ】改めて大和屋敷に対して御対話頂くようお願いいたします。--大和屋敷会話2018年3月14日 (水) 01:22 (UTC)
私は直近のIPと同一性を主張しますが、常に別人と仮定して下さっても構いません。一部の方の発言に明言されていない部分があったので明確にしてはどうですか、その方があとで揉めませんよ、という趣旨でしたが、不明確なままにしたいということであれば、それも特に構いません。1段落に限定したい(それ以上書かない方が望ましい)という立場と、しばらくは1段落でもやむをえないという立場は、微妙に異なると思います。この差が後で揉める原因にならないといいのですが。 --2018年3月15日 (木) 07:57 (UTC)
  • 著名でもない個人の大それた主張を大人数の意見として記述するのは、中立所か、欺瞞では?この事件については、事件の規模、虐殺の存否、戦時国際法違反か、犠牲者数などさまざまな論争が存在している(南京事件論争)。と、あくまで、あやふやなぼかしが中立性になっているんでしょうが、David M. Kennedyとかいう著名でもない人物(海外版を見た限り記事が活発ではないし記述も瑣末)の著作を受け入れられているような意見で記述しているのは、中立性の逸脱に他なりません。冒頭の文に書くべきではない内容。偏った個人の主張は大部分として扱うべきなのか?現代アジア事典にしても、J8takagiさんが参照した内容であると、まったく虚偽の主張を出典の名前だけを盗んで、書き写したことになりますよね。南京事件論争と主題に書き起こしているのに、偏ったソース群で着色する必要性はまったくありません。SilverSpeechさんとJ8takagiさんの意見を支持します。わざわざ南京論争のページが示されいるのになぜそこでやらないんでしょう?記事の体裁が取れません。とりあえず、「その後も南京事件論争で述べるように、事件の規模、虐殺の存否、戦時国際法違反か、犠牲者数などさまざまな論争が存在している。」と「この事件については、事件の規模、虐殺の存否、戦時国際法違反か、犠牲者数などさまざまな論争が存在している(南京事件論争)」と重複した内容は削除しておきました。--マイコン会話2018年3月27日 (火) 13:44 (UTC)
  • ここでの経緯を一つの原因としてJ8takagiさんがブロックされましたが、編集合戦を脇に置けば、Wikipedia:信頼できる情報源の基準に合わない記述は削除すべきだ、というJ8takagiさんの主張は本質的に正しいと思います。反対する大和屋敷さんは、『現代アジア事典』やデビッド・M・ケネディを出典とする記述の妥当性を示していません。「南京事件を研究する歴史学者の多くは南京入城後の日本軍に非戦闘員の殺害や略奪行為などがあったことについて同意しており、日本政府も同様の歴史認識を示している。被害者の数については諸説あり、不明である。」というJ8takagiさんの案2は、どこに合意がありどこに論争があるのかを示しており、十分に合理的なものです。一方、「概要」節を作って移せばよい、という案4は問題を解消するのではなく移動するだけのものです。--Kazhik会話2018年5月3日 (木) 21:22 (UTC)
  • 何故今更大和屋敷さん・J8takagiさんの対立図式になるのかわかりませんが、案2に反対してるのは大和屋敷さんだけじゃないのは明らかだし[10]、(提案者だけでなく)そのAshtrayさんや4案を支持されてるDwyさんにも意見があるでしょうし、異論が述べられたのであれば議論はまだ継続となってしまうんですかね?。--2400:2200:45D:41E1:27C6:9E73:6129:3AC7 2018年5月3日 (木) 22:46 (UTC)

保護対処について[編集]

2018年11月11日時点で改名合戦、編集合戦が行われ保護いたしました。あきらかに「提案無しの記事名の改名」に反対している人が複数おり、提案無くとも改名できるケースとはみなせません。こういった場合は改名したい側が改名の手続きを踏むべきと考えます(現状維持の提案がないから変更などと言う論理は難しい)。とりあえず1週間の保護にしましたが、万が一、再度の合意なき改名が行われた場合、差し戻した上でもっと長めに保護をかけることになるかもしれません。--ぱたごん会話2018年11月11日 (日) 06:58 (UTC)

  • 当記事のtitle選定については過去ログ2から過去ログ4まで、多くのボランティアwikipedianのご協力の下、ほぼ1年に渡り行われた膨大な検討と検証の経緯があります。現代の出版状況や報道状況、論文や教科書等での採用状況等を改めて検証する事は随意で結構なことだと考えますが、これらを欠いて安易に「こちらが一般的だ」と主張されることは過去の膨大な確認作業を否定する事でありますので慎んで頂くようお願いいたします。--大和屋敷会話2018年11月11日 (日) 10:52 (UTC)

12/15前後の編集合戦について[編集]

12/15から編集合戦が起こってますが、利用者:Harukaikeda会話 / 投稿記録 / 記録さんが出典に挙げられた著者の池田悠氏は、ここを見る限り、コンサルタント・ジャーナリストであり歴史学者ではありません。これを出典として事実であるかのように記述するのはWP:NPOVおよびWP:RSの観点から不適切でしょう。--たびびと551会話2018年12月16日 (日) 05:39 (UTC)

→出典(「正論」)は新聞社が出版し広く書店に並ぶ雑誌で、一定の信頼性のあるものであり、著者が歴史学者で無いことを理由にした削除は合理性を欠くと思われます。また、出典元の論考も、欧米の一次史料(英文)の引用が多くを占めるものであり、その検証もない独断的な削除は、新しい知見の受け入れ拒否につながり、公共の利益を欠くと思われるので、その検証結果を踏まえ、削除なり修正なりをすることが妥当かと思われます。 --Harukaikeda会話2018年12月16日 (日) 07:27 (UTC)Harukaikeda

コメント 池田悠氏の論考は、あくまでも "一つの主張"であり、これを"真実" "有力な説"として記載する行為は方針(Wikipedia:中立的な観点)に違反する。また、池田氏が『正論』に寄稿した内容[11]は、本人の著作が元になっているようだが、出版社名の記載が無く、自費出版本の可能性もある(自己公表された情報源の使用は、ガイドライン(Wikipedia:信頼できる情報源)違反)。--花蝶風月雪月花警部会話2018年12月24日 (月) 06:51 (UTC)

→有力な反論を受けていない説、という書き方でしたが。。ただ、今回は削除せずに、修正の上で残していただいたので、これ以上は申し上げません。また、出典元はあくまで'産経新聞社の『正論』2018年12月号掲載の論考'で、それ以上でも以下でもないことを明記しておきます。--Harukaikeda会話2018年12月26日 (水) 12:23 (UTC)Harukaikeda

Wikipedia:中立的な観点をもって、デビッド・M・ケネディさんのエッセーをソースにした編集内容の検証[編集]

既存編集内容:

この事件については、事件の規模、虐殺の存否、戦時国際法違反か、犠牲者数などさまざまな論争が存在している(南京事件論争)。故に事件の真相はいまだ不明である[1][2][3]

利用者‐会話:废科举による内容拡充の編集:

行為者の日本に限り南京大虐殺の存否をめぐって論争が後を絶たないが(南京事件論争参照)、諸外国では南京大虐殺事件を史実として共有している。例えば、中国系アメリカ人作家アイリス・チャンの著作ザ・レイプ・オブ・南京についてのエッセーでは、ピューリッツァー賞受賞者の米国人歴史学者デビッド・M・ケネディは、ナチスドイツが行ったホロコースト事件の原因に関する分析に見られるような国策、文化及び国民性との関連性までの指摘が、アイリス・チャンの研究には足りないのではないかと主張した一方、西洋諸国では南京大虐殺事件自体の存在を事実として当時から一貫して共有してきたと明示している[4]

利用者‐会話:废科举による編集内容を支えると思われる原文の箇所内容の一部:

①デビッド・M・ケネディ氏の『ザ・レイプ・オブ・南京』に対する指摘: BUT if this improbable tale reminds us of the enigmas of good and evil and the infinite mysteries of the human personality, Chang does not bring an analogous sense of complexity to her effort to explain why the Rape of Nanking happened at all.

How did military discipline first degenerate into disorder and then slide into such stupefying depravity?

Were Japanese actions the result of deliberate high-level policy decisions to terrorize the Chinese?

Did the Imperial Japanese Army's atrocities flow from some moral defect in the Japanese national character? 

From willful military indoctrination that cultivated race hatred toward the Chinese?

From the bent minds of crazed local commanders?

From wholesale insubordination by an ill-educated and hard-used soldiery?

Or did the whole history and atmosphere of the Yangtze—especially the bloody 1937 campaign from Shanghai up the valley, which culminated in the nightmarish condition of Nanjing on December 13—somehow unbridle the demons in men's souls?

……this book does a much better job of describing the horrors of Nanjing than of explaining them. Part of that deficiency is owing to Chang's sources. With but a handful of exceptions, Chang tells her tale from the point of view of the Chinese victims in Nanjing or the Caucasian witnesses in the Safety Zone. Her evidence offers little basis for any insight into the mentality of the perpetrators.

She offers little that is comparable to the carefully nuanced analysis of the motives behind Nazi brutality that one finds in works……

以上のデビッド・M・ケネディ氏の指摘には行為主体は日本だけしか提示していないから、南京大虐殺の具体的な原因(日本の国策か、日本の国民性か、日本軍の軍国的教育に由来する中国に対す増悪感か、日本軍人のむき出しにした男の悪魔意識か)は解明していないとしても、原因のすべては「From Japanese」こと自体は明示してくれたのでしょう。

②デビッド・M・ケネディ氏自身が南京大虐殺の存在を認めている根拠:

……the city's Chinese inhabitants were so traumatized that many of them welcomed the Japanese army as a disciplined military force that might at least impose a semblance of order on the chaotic hell of bleeding, burning Nanjing. That expectation the Japanese abruptly and cruelly demolished.

……The procedure was certainly allowable under recognized rules of war, but Matsui's troops carried it out with wanton ferocity. They rounded up all young men of military age and proceeded to kill them in wholesale machine-gunnings and serial decapitations, sometimes in full view of horrified onlookers. Worse soon followed. Roaming bands of Japanese troops began murdering civilians at random, indiscriminately assailing the young and the old, men, women, children, and unborn fetuses alike, with bludgeon, bayonet, rifle, torch, and sword. Matsui's soldiers used both living and dead Chinese for bayonet practice. They mutilated, tortured, and maimed countless victims. According to Chang's account, they hanged people by their tongues and marinated them in acid, dismembered them, grenaded them, impaled them and burned them and flayed them and froze them and buried them alive. They also raped countless women, bestowing upon this unholy episode the name by which it has forever after been known and which furnishes Chang's title: the Rape of Nanking.

But if a penchant for the sensational, along with a certain credulousness, occasionally colors Chang's recounting of some of those incidents, there can be no doubt that the evidence amounts to a crushing indictment of the Japanese army's behavior. The Rape of Nanking stands out in the long and sorry annals of warfare and its crimes as an exceptionally heinous monstrosity. Even the Japanese Foreign Minister, Hirota Koki, reported after an inspection trip in January of 1938 that the "Japanese Army behaved . . . in [a] fashion reminiscent [of] Attila [and] his Huns. [Not] less than three hundred thousand Chinese civilians slaughtered, many cases [in] cold blood."

In the final accounting, this book does a much better job of describing the horrors of Nanjing than of explaining them.

……"Why the devil did you stay?" a puzzled Japanese officer asked him in the midst of the pandemonium engulfing Nanjing.……

BUT if this improbable tale reminds us of the enigmas of good and evil and the infinite mysteries of the human personality……

The Western world in fact neither then nor later ignored the Rape of Nanking. 訂正版 废科举会話2017年8月16日 (水) 11:18 (UTC)

废科举さん、こんにちは。Wikipedia:投稿ブロック依頼/废科举 延長で無期限ブロックになってしまわれたようで残念ですが、コメントしておきます。変な人ではないさんによるブロック依頼文のうち劉暁波ノート:劉暁波がらみのコメントはこの記事に関係ないので割愛しますが、「通州事件は日本軍影響のもとに置かれた親日武装の叛乱、中国軍の組織的な武力行使ではない」 (特別:差分/65053073)というのは間違っておらず、通州事件は、中国軍ではなく、冀東防共自治政府保安隊によって起こされたので、「通説から離れた独自の見解」などと言われてしまった利用者:废科举さんが気の毒です。ただし、別の編集でWP:NPOV違反もあるので、全面的に擁護はできませんけど。。。というわけで本論にはいります:

「万人が納得するような説明がなされていない」というのは空が青いということに出典は要らないレヴェルの事実なので、気にも留めていなかったのですが、実際に、ケネディ氏のレヴュー (書評) の最後の部分の英文と『諸君!』に掲載された和文とを比較してみると、

As atrocities follow war, so history follows atrocities—a lesson that this book doggedly demonstrates. And even in a culture as muted as Japan's, murder will eventually out. It remains, however, to explain it, as this book only imperfectly does.

「残虐行為が戦争を追いかけるように、歴史もまた、戦争を追いかける・・・・チャン本はこの教訓を執拗に立証するものである。しかし、日本ほどに無言を美徳とする文化の中にあっても、悪事はいつか必ず露見するのだ。だが、南京虐殺事件の背景について万人が納得するような説明はいまだなされていないのであり、チャン本も極めて不完全な説明しか施していないのである。」

となっていて、和文には、英文には無い「南京虐殺事件の背景について万人が納得するような」が付け加えられています。「万人が納得するような説明はいまだなされていないとする意見がある」というのは、言葉を濁さないに抵触しており、ウィキペディア的に不味い書き方です。翻訳者の塩谷紘氏か『諸君!』編集部が著者の許可を得ていた場合、「ケネディによれば、○○〇。」と書けますが、許可を得ていない場合は除去するべきでしょう。実際のところ、許可を得て加筆したのか否か検証できませんので、やはり除去したほうがいいと思います。また、「Kennedy(1998)は「南京虐殺事件の背景について万人が納得するような説明はいまだなされていない」とする。」という部分もケネディ氏の主張か否か検証できないので、除去したほうがいいです。そもそも、ケネディ氏は米国史の専門家であり、南京事件の専門家でも中国史の専門家でも日本史の専門家でもアジア史の専門家でもありません。当該レヴューの主旨は、アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』の批評です。ケネディ氏自身の主張以外の部分は、チャン本の内容を掻い摘んで書いているところが多いように見受けられます。広田電報に関する初心者的な誤謬はチャン本や類似の中国人や華人による作品に見られる特徴のひとつですが、ケネディ氏はそれもそのまま書いてしまっています。また、ケネディ氏は、このレヴューを書いた時点では、偽写真群にも気づいていないようです。従って、このレヴューにおけるケネディ自身の主張をザ・レイプ・オブ・南京とか他の記事のチャンの主張に関連する箇所で使用するのは可能ですが、それ以外の箇所では使用しないのが無難だと思います。Takabeg会話2019年3月24日 (日) 14:01 (UTC)

脚注

  1. ^ 長谷川啓之「南京」「現代アジア事典」文眞堂, 2009
  2. ^ David・M・Kennedy,The Horror,The Atlantic Monthly 281 (4): pages 110–116,April 1998.塩谷紘訳 デビッド・M・ケネディ「南京虐殺はホロコーストではない」『諸君!』平成10(1998)年8月号
  3. ^ Kennedy(1998)は「南京虐殺事件の背景について万人が納得するような説明はいまだなされていない」とする。
  4. ^ David・M・Kennedy, The Horror :Should the Japanese atrocities in Nanking be equated with the Nazi Holocaust?(ザ ・ホラー:南京で行った日本人の残虐行為はナチスのホロコーストと同一視されるべきか?)”. The Atlantic.com. 20170808閲覧。

虚偽出典など[編集]

服部龍二『広田弘毅』[編集]

『広田弘毅―「悲劇の宰相」の実像』服部龍二、中央公論新社〈中公新書〉2008年、p.184-185 p260。「破滅への道―私の昭和史、上村伸一、鹿島研究所出版会、1966年 81頁。「外交官の一生」、石射猪太郎、中公文庫 332‐333頁 という文字列が出典として示されている箇所がいくつかあります。

  • 南京事件 (1937年)
    • 出典1:「南京事件は、事件直後から欧米の報道機関によって報道されており、日本政府や日本軍に関連した記録の中にも事件直後に行為を認知したとの事実が存在している」
    • 出典64::「広田弘毅外務大臣より陸軍大臣の杉山元への軍紀粛正の要請があり、1月に陸軍参謀本部の本間雅晴が現地に派遣され、その報告を受けて現地の中支那方面軍司令官の松井石根が日本に召還された。ただし広田は閣議では事件を明らかにしなかったために、極東国際軍事裁判では残虐行為に対して不作為と判断された」
    • 出典94:「1948年12月23日、松井は処刑された。同日、南京事件時の外務大臣広田弘毅も対策をとらなかった不作為として処刑された(A級戦犯)」
  • 南京事件論争
    • 出典3:「南京戦後に日本の外務省に南京事件が深刻な事件として外務本省に伝えられ」
  • 南京事件論争史
    • 出典2:「南京戦後に日本の外務省に南京事件が伝えられ」

服部龍二『広田弘毅―「悲劇の宰相」の実像』の184頁から185頁までは「南京事件―「犯罪的な過失」なのか」という見出しがついています。服部氏は「南京事件―「犯罪的な過失なのか」」 (184-185頁)で、裁判でどのように認定されかを、石射猪太郎の宣誓供述証書 (福井淳南京総領事代理と岡本季正上海総領事からの報告があったという箇所)、上村伸一『破滅への道―私の昭和史』 (南京安全区国際委員会からの抗議も、南京総領事館を経由して外務省の本省に寄せられた。東亞局第一課の部屋には、報告書や写真が山積みとなった、という箇所)、『外交官の一生』石射猪太郎、東京裁判広田弘毅元首相弁護資料 59 (国士舘大学所蔵 極東軍事裁判廣田弘毅弁護関係史料目録 PDFファイル対照版がダウンロード可能、石射が広田が説明し、広田が「早く何とかせねばならぬ」と言って、石射を介して陸軍省軍務局に厳重注意を申し入れたという箇所)、広田弘毅『広田弘毅』 (日高信六郎の弁護の部分)、風見章『近衛内閣』 (杉山が「広田がぐずで困る」と風見書記官長にもらしたという箇所)を、260頁では、多数派判事がどう判定したかを『極東国際軍事裁判速記録』第10巻に依って書いています。これらは、極東国際軍事裁判関係の書類とその後出された回想録ですので、ここから「日本政府や日本軍に関連した記録の中にも事件直後に行為を認知したとの事実が存在している」をひねり出すのは無理があります。つまり、出典1は出典偽装の範疇に入ると思います。出典64の記述は他に比べて出典の内容により忠実です。出典94の「同日、南京事件時の外務大臣広田弘毅も対策をとらなかった不作為として処刑された」という部分の特に「不作為として処刑」という表現は日本語としておかしいです。「広田の不作為は「犯罪的な過失」とみなされ、」あたりのほうがよいでしょう。

論争の出典3と論争史の出典2の「日本の外務省に南京事件が伝えられた」ではなく「日本の外務省東亞局に南京アトロシテーズに関する報告がもたらされた」のほうがましでしょう。アトロシテーズの内容に関する石射の認識も『石射猪太郎日記』 (掠奪、強姦)、「極東国際軍事裁判での証言」 (強姦・放火・掠奪)、『外交官の一生』 (掠奪、強姦、放火、虐殺) と時間が経過するたびに変わってきているので、これらを反映させないで書くと読者の誤解を招くでしょう。

『石射猪太郎日記』240頁

一月六日 木

〇上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳細し来る、掠奪、強姦目もあてられぬ惨状と ある。嗚呼之れが皇軍か。日本国民民心の退廃の発露であろう。大きな社会問題だ。

極東国際軍事裁判速記録第285号(C 個人弁論段階1)昭和22年10月3日 石射猪太郎証言(洞富雄編『日中戦争 南京大残虐事件資料集 極東国際軍事裁判関係資料編』青木書店、1985年11月1日 第1版第1刷発行、ISBN 4-250-85037-4、221頁。

〇伊藤弁護人 そうするとアトロシテーズという言葉は日本語で何と言つてあつたのです。

〇石射証人 そのときは別にその行為について、何という総括的な名前はありませんでした。

〇伊藤弁護人 つまりあなたの言われるアトロシテーズという言葉の内ですね容。

〇石射証人 南京に入城したわが軍による強姦・放火・掠奪(((というようなことを含んでおりました。

石射猪太郎『外交官の一生』267~268頁。

南京アトロシティーズ

わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告が我々を慨嘆させた。南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である。憲兵はいても少数で取り締まりの用をなさない。制止を試みたがために、福井領事の身辺が危いとさえ報ぜられた。一九三八 (昭和一三) 年一月六日の日記にいう。

上村伸一『破滅への道―私の昭和史』鹿島研究所出版会、1966年、81頁。

政戦の不一致 南京での暴行

しかるに中央の統制が利かず、日本軍は十二月十三日、南京に突入した。それのみならず暴行の限りをつくし、世界の反感を買った。当時南京の外国人各種団体から日本に寄せられた抗議や報告、写真の類は、東亜一課の室に山積され、私も少し眼を通したが、写真などは眼を覆いたくなるようなひどいものであった。

服部氏の新書の185頁には、「このように日高は広田をかばうものの、広田が閣議に提起しなかったことの代償は大きかった。閣僚の多くは南京事件について知らされずにおり、のちの東京裁判では広田の「犯罪的な過失」とみなされたのである。」とあり、ここは次の次の出典偽装の指摘においてポイントの一つとなるので、覚えておいてください。

花山・岡村・畑[編集]

花山信勝著 「平和の発見」方丈堂出版 229頁、「岡村寧次大将史料(上)」原書房 290-291頁、『続・現代史資料4 陸軍(畑俊六日誌)』 みすず書房 120-121頁 という文字列が出典として示されている箇所がいくつかあります。

  • 南京事件 (1937年)
    • 出典65:また松井石根の後任の畑俊六司令官や第11軍司令官に就いた岡村寧次大将のように当時の南京派遣軍の規律に否定的な評価をした人もいた
  • 南京事件論争史
    • 出典3:また陸軍の高級幹部の畑俊六や中国派遣軍・第十一軍司令官に就いた岡村寧次大将のように事件の確認を示した人物もいた
  • 南京事件論争
    • 出典4: また陸軍の高級幹部である松井石根司令官の後任の中支那方面軍司令官の畑俊六や中国派遣軍である第十一軍司令官に就いた岡村寧次大将のように当時の南京派遣軍の行動に否定的な評価という形で事件の確認を示した人物もいた

南京事件関連記事には「意見もある」という表現多く見受けられますが、「人もいた」とか「人物もいた」もWikipedia:言葉を濁さないに抵触しています。ノート:南京事件_(1937年)/過去ログ7#松井、畑など、に記載してありますので、是正する必要があります。

吉田裕[編集]

吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』 青木書店 55-56頁 という出典も何カ所かで使用されています。

  • 南京事件 (1937年)
    • 出典66:上海戦以前の1937年8月2日、憲兵司令部警務部長通牒「時局に関する言論、文書取締に関する件」では、「国境を超越する人類愛又は生命尊重、肉親愛等を基調として現実を軽蔑する如く強調又は諷刺し、為に犠牲奉公の精神を動揺減退せしむる虞ある事項」などが言論取締りの対象とされた
  • 南京事件論争
    • 出典5:しかし、軍人以外の一般国民には厳しい報道管制と日本軍部の宣伝によって、国が流す報道内容からは事件の内容を知らされていなかった
    • 出典4:しかし、軍人以外の一般国民には厳しい報道管制と日本軍部の宣伝によって、事件の内容を知らされていなかった

吉田氏の本の当該箇所には、言論・報道統制という見出しがつけられていて、55頁には、7月13日内務省警保局図書課「時局ニ関スル記事取扱ニ関スル件」、7月30日、警保局図書課「軍隊ノ行動其ノ他軍略ニ関スル事項」、「新聞掲載事項許否判定要領」、7月31日 新聞紙法第27条による陸軍省令第24号、8月16日 海軍省令第22号、56頁には、1937年8月2日、憲兵司令部警務部長通牒「時局に関する言論、文書取締に関する件」が紹介されている。出典66は、何故「国境を超越する人類愛又は生命尊重、肉親愛等を基調として現実を軽蔑する如く強調又は諷刺し、為に犠牲奉公の精神を動揺減退せしむる虞ある事項」という部分だけをピックアップしたのか理解に苦しみます。南京事件の記事にとっては、重要なのはそこじゃないですよね。そもそも、ただ検閲があったという事実が書かれているだけで、南京事件との関連付けが無いので意味不明な文章になっています。論争の出典5と出典4ですが、「軍人以外の一般国民が事件の内容を知らされていなかった」というようなことは書かれていません。虚偽出典と見做されます。服部氏の新書の185頁には、「閣僚の多くは南京事件について知らされずにおり、のちの東京裁判では広田の「犯罪的な過失」とみなされたのである。」とありますが、閣僚は一般国民ではありませんので、矛盾します。それと、検閲は、中華民国にもあり、1937年7月以降より厳しくなりました。日本のものだけ書くのはWP:JPOVに抵触します。Takabeg会話

  • wikipediaの場合は初稿投稿者が引用元に忠実に記載した箇所を後の編集者がどんどん改変改竄したり別の一文に置き換えてしまったりする(ここで出典偽装状態になる)ことがありますので、その都度その点を指摘し戻して頂くのは重要な編集貢献になると考えます。引用元が十分に記載している内容について、その記述を要約するさいに要約上の語弊が生じそうな場合には脚注方式でその点を十分に解説するのもアリではないでしょうか。--大和屋敷会話) 2019年3月25日 (月) 22:00 (UTC)「犯罪的な過失」については法律学では不作為責任と要約されることが多いので、ご指摘ほど問題ある「改竄」とまでは考えませんが、いずれにせよ出典元に政治的・糾弾的意図(いわゆる「唸り言葉」)が含まれている場合にはそれをそのまま百科事典に転用するのは中立性において問題がないとは言えませんので編集検討してみるのは良い事ではないかという印象があります。--大和屋敷会話2019年3月25日 (月) 22:07 (UTC)

ベイツメモと新聞記者[編集]

削除依頼のため除去しました

以上、ベイツメモの富沢繁信訳

ティルマン・ダーディンの記事で例えば、メモ以外の例 削除依頼のため除去しました

スティールの記事で例えば、メモ以外の例 削除依頼のため除去しました

もっと書いてもいいですが、ともかく記事には体験が含まれています。

--Japanese sincerity会話2019年3月16日 (土) 14:19 (UTC)

ダ―ディン氏のその部分は兵士の処刑でしょうね。 スティール氏に関しては、 「死亡した市民の大部分は、十三日午後と夜、つまり日本軍が侵入してきたときに射殺されたり、銃剣で突き殺されたりしたものでした。」(ベイツメモ) を体験風にリバイズしただけのような気がしますが。。

--Harukaikeda会話2019年3月17日 (日) 09:57 (UTC)

捕虜の処刑もハーグ条約違反であります。また、スティール氏が見聞きしてないと言えますでしょうか? --Japanese sincerity会話2019年3月17日 (日) 10:26 (UTC)

捕虜(POW)の処刑は違反でしょう。ただ、兵士が即捕虜(POW)になれるわけではないのはご存知でしょう。 スティール氏の記載はベイツメモの影響を受けていることは間違いが無いでしょう。オリジナルかどうか?という点で疑問があるだけです。

--Harukaikeda会話2019年3月17日 (日) 13:30 (UTC)

Harukaikedaさん、こんにちは。まず、Wikipedia:言葉を濁さないを読んでください。特別:差分/72118276で{{誰範囲}}を除去されたのは誤りであることがご理解いただけるのではないかと思います。それから、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)も読んでみてください。ルールに従えば、「南京事件は、事件直後から欧米の報道機関によって報道されており、」から「真相は米国人宣教師たちの創り出した虚構を中国政府が利用したものとする主張もある」までの部分はリード文から外して、出典があって検証可能で正確な部分については、本文の適切な場所に移すべきだと考えています。ウィキペディア日本語版はウィキペディア日本国版ではありませんので、「日本政府の見解」 (この記事では前段と後段を入れ替えて印象操作しているような気もします) も数ある見解のうちの一つにすぎないのでリード文に残すべきではないと考えています。Takabeg会話2019年3月25日 (月) 15:28 (UTC)

Takabegさん、ご意見ありがとうございます。 ご意見要約すると、 >出典があって検証可能で正確  ではないから別に移す。ということと思いますが、 以下出典をつけてありますので、参照元の内容をご検証いただけないでしょうか? ・池田悠 (2018). 正論12月号 検証!「南京事件」の発信源. 産経新聞社.

ちなみに、この論考自体、欧米の一次史料を基にしたものです。  南京残留の過半数以上はアメリカ人であり、さらにそれは全員が宣教師と確認されており、、、 と、ここで色々書こうと思いましたが、洞富雄氏の時代から明らかになっていたことで、ご存知のことばかりと思いますので、やめておきます。 検証不可能で不正確ということでしたら、是非、ご指摘いただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。

--Harukaikeda会話2019年3月26日 (火) 09:50 (UTC)

Harukaikedaさんへ。池田氏の論文は手許にあり既に読んでおります。氏の論文の内容に関しては、「出典があって検証可能で正確ではないから別に移す」とは申し上げておりません。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に従って、「南京事件は、事件直後から欧米の報道機関によって報道されており、」という部分とともに導入部から外して各論部分に移すというのが主旨です。「日本政府や日本軍に関連した記録の中にも事件直後に行為を認知したとの事実が存在している」に関しては、「出典があって検証可能で正確ではないから別に移す」ではなくて検証可能ではなく不正確なので削除する、ということになります。それと、「歴史学者ではありません」との理由で削除するという意見には賛同しかねます。あまり条件を厳しくすると、例えば、小野賢治さんの作品も使用できなくなってしまいます。Takabeg会話2019年3月26日 (火) 13:37 (UTC)

Takabegさん、 趣旨は理解いたしました。 ただ、重要な点なので私は両方残すべきと思います。出典もついていますし、読者が出典を見てそれぞれ判断するということにもつながるかとおもいます。 もちろん、「日本政府や日本軍に関連した記録の中にも事件直後に行為を認知したとの事実が存在している」 に関して、行為を認知した というのは間違いと思いますが、報道や宣教師たちの訴えを認知していたとは思われます。 削除というよりは、そのような修正の方が望ましいのではないでしょうか? --Harukaikeda会話2019年3月27日 (水) 03:17 (UTC)

  • 書籍の信頼性については、本記事においてはなるべく学術(博士号等のある)文献から起筆いただき、いわゆる在野のライター(仮に本多勝一のような著名な作家であっても)は南京事件論争のほうに引用頂きたく思います。当記事のように『外部で深刻な論争が起きている』記事主題に関しては中立性の観点は無視できません。中立性にクレームがつくような引用元は採用すべきでなく、信頼できる情報源と論者をもとに執筆すべきです。その結果として「小野賢治さんの作品も使用できなくなってしま」ったとしてもなんら問題はありません。--大和屋敷会話) 2019年3月27日 (水) 06:43 (UTC)Harukaikedaさんへ。中立性に問題のある記述については「いずれも残すべき」ではなく「いずれも残すべきではない」と考えてください。本記事については南京事件論争という別個の記事項目をあえて設定してあるわけですから、中立的に記述できないテーマについては論点の存在のみを指摘し、具体的な記述(両論併記)は南京事件論争に執筆して頂くようお願いします。せっかく、わざわざ2つの記事に分割してあるのですから南京事件論争で十分に記述すればよい内容をこちらにも再度記述する必要は無いのです。--大和屋敷会話2019年3月27日 (水) 06:43 (UTC)

博士号があるから信頼性がある、というのは「?」ですが。。 それもウィキペディアの基準でしょうか? --Harukaikeda会話2019年3月27日 (水) 22:14 (UTC)

花蝶風月雪月花警部さん、質問です。 では、どの点が根拠が無くて、どの点が、誰に(貴殿でも結構ですが)、否定されているのでしょうか?

ちなみに、言及があったので一言しますが、代表作の「中国の旅」が今や完全に否定されている、本多勝一氏と一緒にされても困ります。 氏の場合は、学者で無いから記載できないのではなく、信憑性が無いことが明らかになっているから記載できないので。 --Harukaikeda会話2019年3月28日 (木) 07:45 (UTC)

  • コメント
特別:差分/72131268特別:差分/72141899特別:差分/72149221でも言及しているように、貴殿の加筆は「記載すべき場所が違う」ということであって、(池田悠氏の)主張の根拠の有無や主張への評価(否定・肯定)は問題にしていない。
また、特別:差分/72149221で示唆しているように、池田氏と本多氏の著作は、共に専門的な研究者ではない人物による情報源であるという点で(内容に関係無く)同等に扱われる(両者の経歴からすると池田氏の方が情報源の信頼性としては弱いかもしれない)。また、本多氏の著作が「今や完全に否定されている」「信憑性が無いことが明らかになっている」というのも、「主張されている」段階。ウィキペディアでは、情報源の信憑性(または内容の真偽)を我々利用者で判断することはできない(情報源の信頼性についてはウィキペディアの方針ガイドラインに基づいて判断することができる)。--花蝶風月雪月花警部会話2019年3月28日 (木) 11:23 (UTC)
  • 研究機関により付与された権威ある学位が「信頼できる情報源」の根拠となるのは当然のことです。なにしろその学位の信頼性について、つねに外部の信頼できる学会において検証され調査されており、自称専門家の在野の(どこの誰とも知られていない)文筆家(ジャーナリスト)とステイタスが違うのはあたりまえのことです。--大和屋敷会話2019年3月28日 (木) 15:04 (UTC)

花蝶風月雪月花警部さんの認識では、本多勝一氏の記事の信憑性が無いことが、「主張されている段階」ですか。。言葉もありません。

また、南京事件の学術的な専門家とは、日本にこの件の学会もない中で、誰ならOKとするのでしょうか。 学位を尊重するのは結構ですが、恣意的な閾値を設けて、ご自身の考えに沿わない主張を排除することのないようにお願いします。--Harukaikeda会話2019年3月29日 (金) 02:31 (UTC)

恣意的な閾値でないならば、例えば前段の、日本政府の認知に関しても、同様な基準を適用ください。 ぜひ、中立的な編集をよろしくお願いします。。 --Harukaikeda会話2019年3月30日 (土) 01:20 (UTC)

「戦後の軍事裁判における扱い」の分割提案[編集]

南京事件 (1937年)#戦後の軍事裁判における扱いという箇所が分量的に突出しすぎています。分量という点だけに着目するならば、南京軍事法廷#南京事件に関してと入れ替えてもいい程です。そもそも南京事件の証言という記事が存在しており、日本人の証言は充実しているのですが、中国人の証言欧米人の証言については、本記事を読むようになっています。日本人の証言も中国人の証言と欧米人の証言も、証言ということでは同等です。国籍により差別する、または、裁判で言及されているか否かで差別するとなると、中立性が損なわれます。従いまして、本稿では、それぞれの裁判の認定と判決を要約するにとどめ、証言部分は南京事件の証言へ、詳細過ぎる記述は南京軍事法廷#南京事件に関して極東国際軍事裁判に移すのが得策であると考えます。Takabeg会話2019年3月29日 (金) 15:40 (UTC)

  • この記述は南京事件の「事件」たる本体部分(南京攻略戦ではなく「南京事件」の「事件」性について問われた)ですので当記事に記述しておくのが適切だと考えます。--大和屋敷会話2019年3月29日 (金) 18:56 (UTC)

日中の戦後処理と戦争賠償[編集]

南京事件#日中の戦後処理と戦争賠償という箇所ですが、南京事件と直接関係無いですし、間接的に関係があるといえばあるのですが、当該箇所では「南京事件」どころか「南京」という文字も見当たりません。削除が妥当です。そもそも、何故ここに書かれたのか理解に苦しむところです。Takabeg会話2019年3月28日 (木) 12:48 (UTC)

コメント 特別:差分/72165652で既に除去されている。--花蝶風月雪月花警部会話2019年3月30日 (土) 01:47 (UTC)
  • 移転先もなく、記事の無断大量削除の状態となっておりましたので復帰させました。--大和屋敷会話) 2019年3月31日 (日) 07:39 (UTC)失礼。南京事件については該当箇所では何一つ言及しておりませんので、コメントアウトで宜しいかと考えました。--大和屋敷会話2019年3月31日 (日) 13:14 (UTC)

"歴史上の「南京大虐殺」"の分割提案[編集]

まず、"歴史上の「南京大虐殺」"というのは、直接本項に関わるものではありません。また、本記事において、表題と同じ"歴史上の「南京事件」"の説明もないにもかかわらず、"歴史上の「南京大虐殺」"の説明だけが為されるのもおかしな話です。従いまして、この内容を南京大虐殺に移動させるのがよいかと考えます。恐らく最も著名な南京事件は1937年の南京事件なのですが、南京事件が曖昧さ回避となっていますので、それにあわせただけでして、南京大虐殺はどうあっても南京事件 (1937年)に転送しなければならない、とお考えの利用者が多いのであれば、南京大虐殺 (曖昧さ回避)を作成して移動させるという手もあります。いずれにしても、1937年の南京事件と直接関係のない"歴史上の「南京大虐殺」" が本記事にあるのは不自然です。Takabeg会話2019年3月29日 (金) 15:57 (UTC)

  • この程度の記述は「南京事件」という語義に関わる情報の紹介として本記事に記述してあることに違和感は感じません。特段に移動させるほどのことはないでしょう。--大和屋敷会話2019年3月29日 (金) 19:02 (UTC)
結論からいうと、この分割提案は流れてよかったと思います。この部分は、明らかにWikipedia:独自研究は載せないの「情報の合成」ですよね。しかも、数人の論者の主張として掲載するにしても、適切な場所は南京事件ではなく、南京事件論争でしょうね。--Takabeg会話2019年5月12日 (日) 13:20 (UTC)

南京事件 (1937年)から南京事件への改名提案[編集]

南京事件 (1937年)南京事件に改名。南京事件南京事件 (曖昧さ回避)に改名。ノート:南京大虐殺/ログ2011#改名提案で改名したとき、何で1937年をつけたのか今一つ理解できませんが、今回の改名の理由は至って簡単。日本語文献において言及される頻度という点から見るに、本項で説明されている南京事件が日本語文献において他の南京事件 (1913年のものと1927年のもの) を凌駕しており、Wikipedia:曖昧さ回避#代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避が適用されるのが自然であるためです。Takabeg会話2019年4月13日 (土) 13:50 (UTC)

Wikipedia:移動依頼に依頼を提出しました。Takabeg会話2019年4月20日 (土) 14:28 (UTC)
WP:BOTREQより来ました。改名によるリンク元付け替え依頼のWikipedia:Bot作業依頼#南京事件 (1937年)の改名に伴う修正依頼ですが、リンク先はWikipedia:曖昧さ回避#代表的なトピックページへのリンク方法に従って南京事件 (代表的なトピック)のリダイレクトを使用したいと思います。--Triglav会話2019年6月23日 (日) 14:36 (UTC)
それでは南京事件 (代表的なトピック)のリンクを使用いたします。--Triglav会話2019年7月1日 (月) 07:27 (UTC)
Triglavさんへ。つい先ほど気づきました。関心を寄せていただきありがとうございます。Bot作業はよくわかりませんので、お任せします。--Takabeg会話2019年7月1日 (月) 11:54 (UTC)

日中の戦後処理と戦争賠償の分割および移植提案[編集]

南京事件 (1937年)#日中の戦後処理と戦争賠償 (現時点ではコメントアウトされているようです) が本記事と直接関係のないことは明白ですので、本記事から分割し日中戦争の適切な場所に移すことを提案します。Takabeg会話2019年4月17日 (水) 15:03 (UTC)

チェック Takabeg会話2019年4月25日 (木) 12:28 (UTC)

虚偽出典の指摘[編集]

  • 南京事件#犠牲者(一般市民)の冒頭に「笠原 (1997)、17頁、36-37頁」を典拠としたとする文が書かれています。ところが、笠原『南京事件』17頁には、庄司得二『南京日本居留民誌』からの引用があり南京からの日本人の引き揚げの様子が書かれていますが、爆撃への言及はありません。36~37頁には爆撃の様子、37頁には爆撃が報道されたことが書かれていて、9月28日の連盟総会で「都市爆撃にたいする国際連盟の対日非難決議」が採択されたことが書かれています。「・・・400人近くの市民が死亡した」ということは書かれていません。虚偽出典状態となっています。利用者:Harukaikedaさんはじめ、当該ソースが手元にあると思われる利用者の方々による再検証を希望します。当該記述は、特別:差分/58685653利用者:Japanese sincerityさんによって追加されているようです。-- Takabeg会話2020年5月27日 (水) 11:51 (UTC)

すみません。空爆の被害は40ページに記載されていました。それこれあって、修正します。--Japanese sincerity会話2020年5月29日 (金) 11:56 (UTC)

  • 南京事件#犠牲者(一般市民)にある「ただし、日本軍の南京占領が確定して戦闘が終結した後は、」ではじまり「と指摘する」でおわる箇所において、「「南京難民区の百日 虐殺を見た外国人」 笠原十九司 岩波現代文庫 岩波書店78-82頁」と「秦 (2007)、84頁」が出典として提示されていますが、『南京難民区の百日 虐殺を見た外国人』の文庫版は所有していないので後日検証してみますが、秦の新書本の84頁 (旧版、増補版とも同じ頁)は、「水道は十二月十日、電気は十一日、電話は陥落の当日まで稼働していたので、マギー牧師が言ったように、安全区は難民たちの「天国」だったかも知れない。そのせいか、戦火を避けて流入してくる難民の数は激増した。」といったことが書かれているのですが、「その理由として秦郁彦は、(略) と指摘する」というような「暴虐行為は過大にならなかった理由」は書かれていません。虚偽出典なのではないでしょうか? 特別:差分/63481040利用者:Japanese sincerityさんによって追加されているようです。-- Takabeg会話2020年5月27日 (水) 12:08 (UTC)

的確なページと記述に修正します。--Japanese sincerity会話2020年5月29日 (金) 12:31 (UTC)

  • 南京事件#中華民国(国民党)の冒頭に「「ドイツ外交官が見た南京事件」 石田勇治等 大月書店 (2001) 136-139頁」を典拠としたとるする「1938年1月に国際連盟の第100回理事会で中国の顧維鈞代表は日本の侵略を訴え、2月2日に理事会は、その前年の10月の総会決議を再度確認(remember)し、日本の軍事行動が九カ国条約及び不戦条約に違反しているとした。中国は経済制裁も求めたが、イギリス・フランスが反対した」という箇所があります。136頁には「一九三八年二月一日付 文書番号C・六九/一九三八/七 中国政府の提訴にもとづく決議案」が、137~139頁には「資料 41 添付書類 一九三八年二月一日付 国際連盟理事会第六会議議事録 議長による決議案に続き、顧維鈞氏の演説」が掲載されていますが、「日本の軍事行動が九カ国条約及び不戦条約に違反しているとした」とも、「中国は経済制裁も求めたが、イギリス・フランスが反対した」とも書かれていません。決議案には「日本」という固有名詞も、「侵略」という用語も記載されていません。そもそも、本記事に直接的な関係はないのではないかと思います。関係のあるのは、決議案ではなく、「顧維鈞氏の演説」のほうです。特別:差分/59247196利用者:Japanese sincerityさんによって追加されているようです。-- Takabeg会話2020年5月27日 (水) 12:30 (UTC)

この内容は記載内容を書き換えます。確かに、歴史的事実に間違いがなくとも引用に間違いがありました。--Japanese sincerity会話2020年5月29日 (金) 12:32 (UTC)

  • 南京事件#犠牲者(一般市民)にある「日本軍による南京城市陥落(12月13日)の前後に、」ではじまり「(新路口事件)がある」でおわる箇所において、「笠原 (1997)、138頁、ラーベ『南京の真実』(講談社, 1997年)213頁」が典拠として示されていますが、笠原、138頁には、「敗残兵や避難民の自殺行為に等しい渡江」について書かれおり、ラーベ、213頁には、マギーが8歳と4歳の少女を見つけ、親族は11人だったというが残らず残忍な殺され方をしていた話が書かれていますが、「日本軍による南京城市陥落(12月13日)の前後に、日本軍の攻撃や掃討や暴力行為に巻き込まれた市民が少なからず存在したとされる(城外を出て長江を渡って逃げる途中の市民(婦女子も含む)が兵士とともに銃撃を受けて殺されたとの証言、日本兵による攻撃や暴力で殺害されたとの証言(新路口事件)がある」という文の典拠にはできませんし、検証可能性も確保されていません。これもまた虚偽出典状態になります。特別:差分/57351167で-利用者:Japanese sincerityさんによって追加されているようです。-- Takabeg会話2020年5月27日 (水) 13:39 (UTC)

すみません。的確なページに差し替えます。--Japanese sincerity会話2020年5月29日 (金) 12:13 (UTC)

内容については総じて、Takabegさんに感謝するばかり。申し訳ありません--Japanese sincerity会話2020年5月31日 (日) 12:57 (UTC)

Japanese sincerityさんへ。例えば「笠原 (1997)、17-42頁」「秦 (2007)、5-14頁 132-136頁」「笠原 (1997)157-8頁 172-183頁 191-200頁」などとありますが、余りにも多くのページを読まないと検証できないということになってしまいます。もう少し「ピンポイント」で検証可能な状態にしていただければ幸いです。そういえば、漢奸狩りの記述がなくなっているようなのですが、さんぽーるさんの仕業のようです。どういうわけか、彼/彼女は無関係な記述を大量に記載し、関連のある記述は消してしまう癖がありました。飽きたのか亡くなったのかは存じませんが、活動していないようです。おそらくこの利用者と同一人物だったのではないかと推測しています。それでは。-- Takabeg会話2020年6月2日 (火) 13:39 (UTC)
「秦 (2007)、5-14頁 132-136頁」はページ数で言えば14ページですね。本なら1つの節(章・節の区分での節)くらいの長さです。1つのまとまった主張をする短い論文の長さと言ってもいいでしょう。それが単純に出典として長すぎるとは思えません。まとまった論証の流れがあるものを出典とするときは、一部分を切り取らないようにすることも重要です。「いつ誰がどこにいた」など事実報告であって異論が出ていないようなものなら、ピンポイントの出典が期待されるかとは思いますが。長さだけを見ず内容で見て、実際不要な部分があるなら「Xページ目から先は別の話に切り替わっているのでここの出典に適さない」などと指摘する方が建設的だと思います。 --2001:268:C086:F846:A9E3:F5F3:3BAB:D716 2021年3月27日 (土) 11:14 (UTC)

南京攻略戦の指揮官について[編集]

海外文献『Chen, World War II Database』、『David Bergamini, Japan's imperial Conspiracy』では、1937年11月~12月、松井石根は病気のため、朝香宮鳩彦が一時的な指揮官になったと記載があります。本文の南京攻略戦の指揮官は松井石根のように記載されていますが、訂正する必要があるのでしょうか。--G0mao会話2021年1月30日 (土) 04:10 (UTC)

"World War II Database"については、信頼できる情報源について疑義があることを明記したうえで、記載してもよいのではないでしょうか。本章に入れるのではなく、メイン以外で言及することを提案致します。"World War II Database"はWikipediaの外国語言語版にほぼ記載されており、特筆性があると考えます。また、"World War II Database"について虚偽などが明らかになった場合は、外国言語版にも記載できるのではないかと考えます。バーガミニについても、本章でなく、メイン以外で言及することを提案致します。--G0mao-3会話2021年2月7日 (日) 11:53 (UTC)

Wikipedia:投稿ブロック依頼/G0mao 追認Wikipedia:投稿ブロック依頼/G0mao-3、Donbee-sobaを見る限りG0mao-3さんとG0maoさんとは同一人物のようですので (恐らく利用者:真ん中さんなど他にも多重アカウントがありそうです)、回答する必要もないかと思ったのですが、とりあえずコメントしておきます。信頼性の低い"World War II Database"からわざわざ間違った情報を引用する必要は無いものと考えます。このノートの過去の議論を読んでいただければわかると思いますが、本件は議論のある項目ですので、極論を主張する人々、例えばボブ・ワカバヤシの言うところの笠原十九司ら左翼系や東中野修道ら右翼系の人々からの引用のみで執筆するのは中立性に抵触しますし、笠原や東中野の主張のなかには真実性のある記述もありますが、彼らの主張でもってメインの部分を書くのも忌避されているようで、南京事件論争に掲載されています。そうした状況で、バーガミニら陰謀論の類のものを笠原・東中野らのものよりも優先して本記事に掲載する必要性を全く感じません。南京事件論争に掲載するのが最良でしょう。-- Takabeg会話2021年2月13日 (土) 13:39 (UTC)

履歴継承関連[編集]

[12]2021年7月20日 (火) 13:26(UTC)の版にネット工作を目的とした中国語版ウィキペディアからの翻訳と称した記事があるが、どこからされているのでしょうか。--hyolee2/H.L.LEE 2021年7月21日 (水) 17:25 (UTC)

まず、私に謝ってください。 僕の編集行動を「五毛黨の工作と言って侮辱したと感じています。 次に、このバージョンは中国のウィキペディアから翻訳したものです。これに問題はありませんか?維基百科最忠誠的反對者会話2021年7月21日 (水) 22:37 (UTC)
会話が成立していませんね。維基百科最忠誠的反對者さんが合意形成を経ずに何度も強引に記述しようとしていることの方が問題です。中国語版からの翻訳だというのであれば、出典はどこにあるのか明確に答えてください。--Hi-lite会話2021年7月21日 (水) 22:52 (UTC)
強引に記述する?私は何度も、日中戦争を保持するという文章の信憑性と必要性を証明する証拠を提出してほしいと要求した。しかしあなたは何度も何度も僕の発言を無視。私はすでに履歴の要約に「翻訳中国語版ウィキペディア」と明記しており、この討論ページに「翻訳テンプレート」を追加しました。それでも足りないのであれば、いっそのことリンクを直接お送りしましょう維基百科最忠誠的反對者会話2021年7月21日 (水) 23:09 (UTC)
そして、閣下の二重規範に対しては、以下のように答えたいと思います:
RV 「日本中心」は避けてください。日本軍は侵華戰爭における当事者の一つであり、日本側の主張をそのまま転写することは認められないでしょう。維基百科最忠誠的反對者会話2021年7月21日 (水) 23:23 (UTC)
「中国中心」は避けてください。中国は日中戦争における当事者の一つであり、中国側の主張をそのまま転写することは認められないでしょう。あえてオウム返しします。共産党の公式史観を外に持ち出さないでください。--S.S.E.H.Talk/Contribs 2021年7月22日 (木) 00:07 (UTC)
鸚鵡學舌。本人はすでにあなた方に要求した通り、中国の史料を削除すると同時に、日本外務省の真の意味での「公式史観」も削除します。このバージョンでは、第三者の情報と極東国際軍事裁判の判決の記録だけが残っています。なぜ削除したのでしょうか?まさか...いわゆる自虐史観を心配しているのだろうか?維基百科最忠誠的反對者会話2021年7月22日 (木) 00:09 (UTC)
まず、Hyolee2さんへ。いかなる理由があれ (たとえ、事実だとしても) 利用者の編集を「五毛黨の工作」などと要約欄に書くのはおやめください。見ていて不快であるばかりではなく、WP:ESWP:CIVに違反しています。次に維基百科最忠誠的反對者さんへ。記述に問題ありとして差し戻されたときは、ノートで議論を展開することを検討してください。そして、議論が一段落するまで差し戻された編集を控えられることを検討してください。なお、履歴継承自体については成功していません。これについては、履歴継承の方法をご確認ください。--Semi-Brace (会話 / 投稿) 2021年7月22日 (木) 13:41 (UTC)
  • 他言語版wikipediaは信頼できる情報源ではありませんので「中国語版」からの翻訳は記事の執筆方針として不適切です。その記事が記載されるにあたって参照された引用元が信頼できるものであることを評価したうえで、直接その参照元から引用してください。また当記事は高度に中立性の求められる記事の1つであり、ある「事実」について論争が存在する点については、その論争が存在していることを紹介する体裁で記載すべきであり、一方に加担する体裁で記載すべきではありません。この場合、両論併記することで中立性を保とうとする編集方針もまた不適切です。「宣伝目的」「でっちあげられた」「国粋主義者」というレッテルの導入はこのラベル自身に価値観が含まれており不適切です。一方で「存在しなかった」と主張する議論が存在しているという事実については紹介すべきでしょう。--大和屋敷会話2021年7月23日 (金) 02:49 (UTC)
  • 五毛党関連については不適切な用語を使用したことにつきお詫び申し上げます。--hyolee2/H.L.LEE 2021年7月26日 (月) 00:27 (UTC)
  • 報告 維基百科最忠誠的反對者さんについては、Wikipedia:投稿ブロック依頼/維基百科最忠誠的反對者が提出されていますので、こちらにも報告しておきます。--Hi-lite会話2021年7月28日 (水) 08:08 (UTC)

偏った記事の削除が必要では?[編集]

維基百科最忠誠的反對者さんによる中国側に偏った記事などが残っているので削除が必要だと思います。 wikipediaは中華人民共和国の主張をする場所ではないので当然のことだと思います。--名無し1124会話2021年8月18日 (水) 13:53 (UTC)

2021年7月7日 (水) 08:55(UTC)の版まで差し戻す提案[編集]

記事を維基百科最忠誠的反對者さんが編集を開始される前の版に差し戻す必要があると考えます。維基百科最忠誠的反對者さんによる中国寄りの投稿は中立的な観点から見て問題があり、現在の版も維基百科最忠誠的反對者さんによる問題のある記述が散乱していると考えたためです。--名無し1124会話2021年8月21日 (土) 09:40 (UTC)

これ以上異議もなければ保護解除依頼の上、解除後に差し戻しで良いと思いますがいかがでしょうか。--S.S.E.H.Talk/Contribs 2021年8月31日 (火) 13:53 (UTC)

保護の解除提案[編集]

編集合戦の発端となった利用者:維基百科最忠誠的反對者さんは投稿ブロック依頼を経て無期限ブロックとなりました。なお、保護の解除についてはWikipedia:保護解除依頼がありますが、「編集合戦で保護されている場合はノートで合意がないと解除が難しい」とあるので、皆様の意見を伺いたいと思いまずはここに記載することにしました。私としては現状解除してもいいと思っていますが、ブロック破りなどが起こるならば半保護することが必要だと思います。--☆Therru2021☆会話/投稿記録2021年9月5日 (日) 06:33 (UTC)

  • 反対 ブロック破りはもちろんのこと、主題の内容からして荒らされやすい状況にあり、現に維基百科最忠誠的反對者さん以外の多数の問題利用者による荒らし行為が頻発しておりました。そう言った状況を鑑みると、保護解除は建設的でないと思います。--イトユラ会話2021年9月5日 (日) 10:31 (UTC)
    • コメント すみません。半保護か拡張半保護だと勘違いしておりました(ノートページのみ確認しただけだったので)。一旦票を取り消します。失礼致しました。--イトユラ会話2021年9月5日 (日) 10:39 (UTC)
  • 編集合戦の利用者:維基百科最忠誠的反對者さんがブロックとなったことで、編集合戦の再発の見込みは無くなったとして全保護の解除に 賛成 します。また、全保護の前までは無期限の半保護でしたので、(理由が荒らし対策ではなく編集合戦なのはやや疑問がありますが、)引き続き無期限の半保護とすることも可能でしょう。一方で、[[利用者:維基百科最忠誠的反對者]さんを荒らし目的とは言えず、また荒らしと見ても1編集者が行っただけなので拡張半保護には 反対 です。--たびびと551会話2021年9月5日 (日) 23:39 (UTC)
  • 先程Yapparinaさんにより保護解除がされました。議論に参加してくださった皆様ありがとうございました。--☆Therru2021☆会話/投稿記録2021年9月14日 (火) 07:12 (UTC)

南京事件を南京大虐殺と表記しましょう。[編集]

その理由は、日本軍は南京で30万人の民間人を殺しました。 このような虐殺は客観的に見た時に大虐殺という名称を使用しなければなりません。 もし、あなたが南京事件と表記しようとしたら、これは歴史歪曲になりかねず、批判される恐れがあります。 Change the subject from Nanjing incident to Nanjing massacre. The reason is that the Japanese killed 300,000 civilians in Nanjing. From an objective point of view, these killings should be called massacre. If you want to mark it as a Nanjing incident, it can be a distortion of history and it can be criticized. --DDAVID050A会話) 2021年4月28日 (水) 14:57 (UTC)ddavid050a--DDAVID050A会話2021年4月28日 (水) 14:57 (UTC)

  • 反対 理由は大きく分けて2つ。1つは現在の記事名である「南京事件」は、多くの文献で用いられている名称であるためWP:CRITERIAを見る限り、記事名を変更する必要性はない点(導入部も記事名が「南京事件」である以上、WP:LAYに基づき、記事名と同じにする必要性があります)。2つはWikipedia:中立的な観点に反する恐れがある点。DDAVID050Aさんが仰っている内容を拝見する限り、少なくともこの事件に対する憎悪や嫌悪を抱いており、それらを理由とした本提案は上記方針を遵守するならば到底受け入れられない。以上の理由をもって本提案について反対致します。--イトユラ会話) 2021年4月29日 (木) 02:28 (UTC) 一部文意を修正--イトユラ会話2021年4月29日 (木) 09:05 (UTC)
  • 反対 イトユラさんの説明に同意。また、過去の議論で本項目名に改名された経緯がありますので、それを覆せる理由はお持ちでしょうか。ちなみにDAVID050Aさんは韓国語版で一昨日くらいに新規登録された方のようです。--S.S.E.H.Talk/Contribs 2021年4月29日 (木) 13:27 (UTC)
むしろ南京事件と表記したことが中立的見解に反すると思います。 日本語版ウィキペディアは日本人のためではなく日本語を使うすべての人のためにあるのです。 他のウィキペディアを見ると南京大虐殺という表現を使っています。 しかし不思議なことに、誰よりも正確に記述すべき日本語版ウィキペディアは南京事件と表記し、意図的に事件を縮小するウィキペディア政策に対立すると思います。 我々は後代にこの事実を透明に伝え、この点を批判し、この歴史を繰り返さないようにしなければなりません。 しかしこれは私たちのこの義務を破る行動だと思います。 また南京の大虐殺にある写真は南京の大虐殺と無関係な写真です。 なぜ、日本人が南京市民を虐殺する歴史を透明に眺められる写真がないのはなぜですか? また、日本人は南京の罪のない男性を強制的に去勢させました。 このような事実はあまりないようで、これはウィキペディアの中立的観点に反するものです。--DDAVID050A会話2021年4月30日 (金) 03:49 (UTC)DDAVID050A
  • コメントまず覆させる理由を示してください。中国共産党が30万人を虐殺したといっているというのは理由になりません。南京には20万人しか住んでいなかったのですから。--えいち・おおつか会話2021年4月30日 (金) 05:34 (UTC)
  • コメント「我々は後代にこの事実を透明に伝え、この点を批判し、この歴史を繰り返さないようにしなければなりません。しかしこれは私たちのこの義務を破る行動だと思います。」と仰っていますが、ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありません(WP:NOTADVERTISINGを参照)。そのような理由をもって改名すべきというお考えなのであれば、尚更反対です。--イトユラ会話2021年4月30日 (金) 10:02 (UTC)
では、南京大虐殺と関係のない写真を掲示した理由は何ですか? 日本の戦争犯罪とは関係のない写真を掲示して美化しようとしないでください。 そして、これが南京事件なら、仮定してみましょう。 もし中国人たちが日本の東京を攻撃して10万人の日本人を虐殺しました。 それでは私たちはこれを東京大虐殺ではなく東京事件と記録しましょう! --DDAVID050A会話2021年4月30日 (金) 15:53 (UTC)DDAVID050A
南京事件と関係のない写真ってなんですか?当該ページを見る限り主題とはあからさまに関係のない画像なんて見当たりませんが?DDAVID050Aさんのお望みの画像がどう言うものなのか分かりかねるが、それが掲示されない理由は単にウィキメディア・コモンズに投稿されていないか、著作権法等の法令に抵触する可能性があるかじゃないですかね。--イトユラ会話) 2021年5月1日 (土) 00:41 (UTC) 一部修正--イトユラ会話2021年5月1日 (土) 00:48 (UTC)
"中山門"の名前を持っている写真です。 このほかにも多くの写真が誤っており、あなたは南京大虐殺を南京事件として意図的に縮小させました。 --DDAVID050A会話2021年5月1日 (土) 02:50 (UTC)DDAVID050A
南京事件#南京市の概況の画像ですかね。まぁ節名の通り、南京市の概況を説明するもので中山門と南京事件の歴史的背景を鑑みると有用な画像でしょう。WP:IUPの観点からも特段問題のない画像利用であるため除去する必要性は無いでしょう。--イトユラ会話2021年5月1日 (土) 03:43 (UTC)
  • 反対 ウィキペディアにおいて、WP:CRITERIAによって、“信頼できる情報源において最も一般的に使われておる”名前を選ぶべきです。日本語の情報源で、最も多くの言葉は南京事件です。 --DaysonZhang会話2021年5月21日 (金) 15:38 (UTC)
南京大虐殺は実際にあってその上に凄まじい残虐な歴史的事実。正しく表す必要があります。--240F:73:366:1:5055:5347:DA1D:A89F 2022年4月28日 (木) 07:13 (UTC)
日本軍が本当に30万人を南京で殺したのなら、確かに大虐殺でしょう。しかし事実と仮定して20万人だったとされる南京の人口の中でどうやって30万人を殺せたのでしょうか。それと無関係の東京での「虐殺」が何故ここで出てくるのでしょうか。--Bletilla会話2022年4月28日 (木) 08:05 (UTC)
記事名とは別個の問題ですが、既に複数回「人口」「20万人しか住んでいなかった」が持ち出されているため……。死者数に諸説あるのと同様、人口にも諸説あります。「当時の南京の人口が20万人」は最も正確な確定した数字ないしは最大限の見積であるかのようにしてよく持ち出されるのですが、そうではありません[13][14][1]。信頼度の異なる数字、情報源や推計の目的・範囲により異なる数字があります。ウィキペディアの関係記事群の中でも、異なる情報源に基づいた異なる人口の記述があります。当時の中国当該地域の混乱した流動的状況を考えれば(また、死者数にも様々な情報源による様々な推計があることを考えれば)、人口を論じるのもそう単純に行かなそうだということは分かると思うのですが……。 --2001:268:C0CF:E971:7F21:378F:93F1:5784 2022年5月12日 (木) 03:43 (UTC)
南京大虐殺前は南京に約113万人いました。これは調べば出てきます。
日本軍の集団虐殺は28件、虐殺人数は19万人余り、散発虐殺は858件、死亡者数は15万人余り、合計死亡者数は30万人以上に達した。これも実際の数値です。
中国語のウィキを見ても実際の写真がありました。--Banabanabanana会話2022年8月30日 (火) 11:10 (UTC)
コメント DDAVID050Aさんは「他のウィキペディアを見ると南京大虐殺という表現を使っています」と仰いますが、「南京大虐殺」に当たる項目名を使っているのは、韓国語版と中国語版だけです。他は私が判読できた限りにおいては「南京虐殺」です。--Bletilla会話2022年4月28日 (木) 08:22 (UTC)
Be ware that online translators do this phrase badly.
南京 の レイプ is a common expression. 大虐殺 is a euphemism. 南京事件 just sounds ridiculous through a translator.--2A02:A45E:86DA:1:C9C6:140B:6F00:4FB 2022年5月11日 (水) 07:59 (UTC)

脚注

  1. ^ 毎日新聞2022.04.01東京夕刊3頁・日本国紀「南京大虐殺はウソ」論を検証/上