東中野修道

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東中野 修道 (ひがしなかの しゅうどう、本名:―おさみち、1947年10月19日 - )は、日本の歴史研究者・著述家。亜細亜大学教授博士文学)(立正大学、1995年)(学位論文「東ドイツ国家保安省に関する研究」)。吉田松陰をはじめとする幕末政治思想の研究など、専門は日本思想史・東ドイツ史だが、日本「南京」学会会長であり、「南京大虐殺」問題の研究家でもある。鹿児島県出身。


目次

[編集] 略歴

これは1937年の上海南駅爆撃直後の有名な「線路で泣き叫ぶ赤ん坊」の写真であり、南京事件の2ヶ月前に発行されたライフ誌1937年10月号に発表されたものである。この写真について東中野は、上海事変(第二次)の撮影中に上海南駅の爆撃現場[1]で撮られた演出構成写真であり、長らく南京の実録写真と紹介されてきたもの、と主張している。なお、この写真はLIFE雑誌に掲載された「中國娃娃」そのものではなく、Movieカメラの撮影画像のうちで最も近いシーンの一コマであり、撮影角度が中國娃娃とは若干異なる。
The Battle of Chinaの24分07秒から24分10秒までにある赤ん坊セットアップと撮影中のシーン。これは映画撮影技師である王小亭の手による国民党宣伝フィルムが大元の出典であったことを特定した、と東中野は主張している。※この写真は1938年に内閣情報部が出した「思想戦展覧会記録図鑑」でも中国の工作写真であるとの主張がある。また、松尾一郎もこの写真が中国の演出写真だと主張している。

[編集] 活動

1998年、著書『「南京虐殺」の徹底検証』を出版し、今まで南京大虐殺の証拠として考えられていた資料は全て四等史料と五等史料で成り立っており、それを検証した結果、南京で「何人虐殺」と認定できる記録は一つも見つからず、「南京虐殺」と言われるものはなかった主張した[2]。この著書は「南京大虐殺」の全争点となっている公文書や外国文献、外国報道などを徹底検証したものと紹介されるものであり[3][4]、漫画家小林よしのりからは「最新の研究として一番信用できる」と評され[5]、その一方で、歴史学者笠原十九司秦郁彦板倉由明からは主張に根拠が無いとの批判がなされた[6]。この著書の記述をめぐり、新路口事件[7]の生存者である夏淑琴から、「ニセ被害者呼ばわりされて、名誉を傷つけられた」として、名誉毀損で提訴された。審理は南京市の地裁で行なわれたが、出版元の展転社と東中野は共に出廷しなかった。この提訴について東中野は「『南京虐殺』の真相を示したいのであれば、(名誉毀損などで)訴えるのではなく、(私の)色々な疑問に答えるのが先決ではないか」と述べている[8]2006年7月には、夏は著書による名誉毀損で東京地裁に提訴。同年8月、中国・南京市の玄武区人民法院により、東中野の賠償金支払・謝罪広告掲載・出版差し止めを内容とする判決が出された。日本では2009年4月に版元の展転社共々賠償命令が最高裁で確定している(後述)。

2003年、論文「南京『虐殺』―第二次国共合作下のプロパガンダ」において、日本軍が南京を占領した1937年12月以後約3年間の中国国民党の宣伝工作を記録した『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』(1941年)が台湾で発見されたと発表。同文書では南京の虐殺の有様を著述したイギリス紙記者ハロルド・J・ティンパーリの著作内容が紹介されており、このことからティンパーリの著作は中国国民党の宣伝書籍であり、また「南京大虐殺」の根拠は崩れたという主張を展開している[9]

2005年には著書『南京事件「証拠写真」を検証する』において、「本多勝一の『中国の旅』やアイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』などで使用されている南京大虐殺の証拠とされている140枚の写真を検証し、全てがトリックや捏造、関係のない写真であった」と主張した(ただし、東京裁判等で南京大虐殺の証拠として写真が採用されたことははじめから一つもない。また写真を根拠に南京事件の全容を推し量っている歴史学者も存在しないが、東中野は「南京虐殺があったか、なかったか、という論点ではなく、南京虐殺のものとして使われてきた写真を一つずつ検証した結果、南京虐殺の写真と言えるものは一つもなかった」と研究の目的と結果を述べている[10])。 笠原十九司はこの著書について、はじめから南京事件の証拠ではない写真を検証して「証拠とならない」と言ってみせることで南京事件に証拠はないと思わせるトリックを使っているものだと主張している[11]。東中野はこの著書に関して複数のテレビ番組から意見を求められるようになって話題となったこともあり、この著書は発売年の2005年ではビーケーワンの「歴史・地理・民俗」分野の年間売上ランキングで4位[12]を記録した。

2007年には映画南京の真実製作記者会見に出席し、南京大虐殺虚構論証明への意気込みを語った。同年3月、民主党南京事件の真実を検証する会」の会合に参加し、「国際委員会、英米の領事、国民党中央宣伝部などの文書を検証した結果、日本兵個人の不祥事はあったが、蒋介石政府ですら非戦闘員の虐殺があったとは言っていない」と発表した[13](もっとも産経新聞蔣介石秘録取材班・編『蔣介石秘録』第12巻「日中全面戦争」では蔣自身が“あった”と述べたと記されている)。

慰安婦問題に対しても日本軍の責任を認めておらず、2007年6月14日にワシントン・ポストに掲載されたアメリカ合衆国下院121号決議の完全撤回を求める歴史事実委員会の全面広告にも賛同者として名を連ねた[14]

[編集] 南京大虐殺に対するスタンス

いわゆる虐殺否定派に属する[15]。東中野は自身の研究スタンスついて、宇宙人がいないことを証明することと同じで、南京大虐殺を『なかった』と証明することは大変に難しく、「あった」とする証拠や証言に一定の不明瞭さも不合理さもないと確認されない限り、宇宙人も南京大虐殺も「ある」と言うことはできず、自身の研究スタイルはまさにそれ(世に出ている証拠や証言に不明瞭さや不合理さがないかの確認)だと語っている[16]

1998年の時点では、日本軍の日記中にある「捕虜の処理」の意味は「『殺害した』という意味ではなく、捕虜の武装解除と釈放であった」と殺害そのものを否定していたが、2001年では「捕虜は戦闘の負担になるのなら自由に殺していいことは国際法で認められている」と捕虜の殺害があったことを事実上認め、その上で「捕虜の殺害は合法」と主張している(『諸君』2001年2月号 )。

SF作家と学会会長の[17]山本弘は「(東中野修道氏は)資料を故意に誤読し、実際に書かれているのと正反対のことを読者に吹きこんでいる人物」と述べている[18]。一方で産経新聞論説委員の石川水穂からは、近年、南京虐殺における優れた研究者が次々と登場しているが東中野はその1人である、と評されている[8]。また、東中野の研究結果を元に河村たかしが、政府が東中野の研究を把握して歴史の再検証作業を行っているか否か、南京大虐殺紀念館に東中野が疑問視する写真が展示されているが中国へどのように対応するのか等の質問主意書内閣に提出したことがある[19]

[編集] 名誉毀損裁判

東中野は、著書「南京虐殺の徹底検証」で、新路口事件に対して次のような論理を展開した。

虐殺の様子を記したマギーの記録を引用する。
十月十三日、約三十人の兵士が南京の東南部の新路口語のシナ人の家にきて、中に入れるよう要求した。
玄関を夏という名のイスラム教徒の家主が開けた。すると、ただちに彼は夏を拳銃で殺した上、もう誰もころさないでと、夏の死体に跪いて頼むシアさんをも殺した。なぜ夫を殺したのかと夏の妻が尋ねると、彼らは夏の妻をも殺した。
(中略)
それから、兵士たちは(レイプされて殺された夏の娘の)もう一人の七、八歳になる妹も銃剣で突き刺した(bayoneted)。
(中略)
その八歳になる少女(the 8-year old girl)は傷を負った後、母の死体のある隣の部屋に這って行った。
東中野は「bayoneted」を「突き殺した」と訳し、「七、八歳になる妹」と「その八歳になる少女」は別人と解釈した上で、「別の報告による殺害人数と食い違う(殺された人間が一人多い)」「生き残った『八歳の少女』(夏淑琴)が夏夫婦の子であったとすると、『七、八歳になる妹』と姉妹になるはずである。とすると、二人は双子か、年子である。だったら「七、八歳になる妹」の年齢がはっきりしないはずはない。なので『八歳の少女』の苗字が夏なのはおかしい」などの根拠によって、夏淑琴は偽証をしており、このマギーの記録自体がデタラメであると主張した。

それに対し、夏淑琴は「ニセ被害者、詐欺師呼ばわりされて、名誉を傷つけられた。東中野氏は同じ本の後の記述では問題をboyonetを突き刺したと訳している。故意に私をニセモノに仕立て上げて誹謗中傷するために,意図的にフィルム解説文を誤訳したのだ。」として東中野を告訴。

中国では南京市の人民法院は2006年8月23日に、夏の訴えを認め東中野に損害賠償を命じる判決を出している。東中野はこれに対する損害賠償債務が存在しないことを確認する訴えを東京地裁に出していたが、夏淑琴が反訴を行い、2006年5月15日に東京地裁で東中野を被告として名誉毀損で提訴した。

東京地裁の裁判は2007年11月2日判決が出て、東中野の全面敗訴となった。

判決では、

1.東中野の解釈によれば、それまで全く出てこなかった少女がいきなり「その(the)八歳になる少女」という表現のもといきなり「傷を負った」状態で登場し,この「8歳の少女」がどこの誰であるか,どのようにして傷を負らたのかについては,その後の記述にも一切現れていない。これは極め て不自然である。 通常の研究者であれぱ「突き殺した」と解釈したことから生じる上記不自然・不都合さを認識し,その不自然さの原因を探求すべくそれまでの解釈過程を再検討して,当然に「7,8歳になる妹」と「8歳の少女」が同一人である可能性に思い至るはずである。
2.東中野は「八歳になる少女はシア夫婦の子でも夏夫婦でもない」と主張している。とすると「母の死体のある隣の部屋に這って行った」とある「母」はシアの妻でも夏の妻でもないことになるが東中野はこの「母(her mother)」に人数を示す固有の番号を付しておらず,この「母」はシアの妻か夏の妻のいずれかと理解している。これは明らかに矛盾であり,論理に破綻を来しているというほかはない。

の2点を挙げ、「以上述べた2点だけからしても被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く,学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない。 」として裁判長の三代川三千代は夏淑琴への名誉毀損を認め、東中野と出版元の展転社に対し400万円の慰謝料支払いを命じた。

この判決に対して東中野らは控訴したが、2008年5月21日、東京高裁も同様に東中野と展転社に対し400万円の慰謝料支払いを命じた。 東中野らはさらに上告をしたが、2009年2月5日、最高裁は東中野と展転社からの上告棄却を決定、一審判決通り、両者に対し、合計400万円の賠償を命令する裁判が確定した。

[編集] 著書

[編集] 単著

[編集] 共著

[編集] 編著

  • 南京「事件」研究の最前線
日本「南京」学会年報平成14年版(展転社, 2002年)、平成15年版(展転社, 2003年)、平成16年版(展転社, 2004年)、平成17・18年合併版(展転社, 2005年)、平成19年版(展転社, 2007年)、平成20年版[最終完結版](展転社,2008年)ISBN 978-4-88656-321-7

[編集] 訳書

  • ハインリッヒ・デュモリン 吉田松陰――明治維新の精神的起源(南窓社, 1988年)

[編集] 学術論文

  • 吉田松陰の忠の思想 日本思想史学 第23号、1991年
  • The Over All Pictures of Nanking Massacre in Feifei Li and Robert Sabella and Prrry Link ,eds., Nanking 1937 :Memory and Healing, (New York: M.E.Sharpe, 2001).
  • Nanking Massacre as War Propaganda Keeping Still Alive, Mihail E. Ionescu ed.,War, Military and Media from Gutenberg to Today (Bucharest: Military Publishing House, 2004).

[編集] 脚注

  1. ^ 当時の上海南駅は兵站の集積基地であったことから日本軍が攻撃したと東中野は述べている(2005年3月6日読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」にて発言 )。
  2. ^ 『「南京虐殺」の徹底検証』p362
  3. ^ Amazon.co.jpにおける紹介紀ノ国屋書店における紹介
  4. ^ 検証の一例としては、通説では「捕虜を片っ端から皆殺しにした」と判断されている第十六師団長中島今朝吾中将の日記の「大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付ける」という記述は「これは捕虜の解放を意味している」とし、同じく通説では「皆殺しにせよという命令を出した」と解釈されている山田少将の日記の「捕虜の始末その他にて本間喜平少尉を南京に派遣し連絡す皆殺せのことなり」という記述は「皆殺せとことなり。(しかし、それは私としてはできないから、何とか戦場から追放する処置にしたい)」の後ろの部分が省略されているとしている。
  5. ^ 1998年12月23日号 SAPIO
  6. ^ 笠原十九司「南京事件論争史」、秦郁彦「南京事件」、「正論」平成10年6月号
  7. ^ 1937年12月13日、南京南東部の新路口で、2家族11人(13人とも)が日本軍将兵に襲われ、夏他一人を残して皆殺されたとされる事件。
  8. ^ a b諸君!』2001年2月号
  9. ^ 東中野編『南京「虐殺」研究の最前―平成15年版日本「南京」学会年報』(展転社, 2003年)に収録。この主張に関するその後の議論の展開についてはティンパーリの項を参照)
  10. ^ テレビ朝日『ビートたけしのTVタックル』2007年4月16日等にて発言
  11. ^ 笠原十九司『南京事件論争史』
  12. ^ bk1書籍年間売上ランキング
  13. ^ 2007年3月6日 産経新聞
  14. ^ 歴史事実委員会の全面広告
  15. ^ この呼称については詳しくは南京大虐殺論争を参照のこと。
  16. ^ 『「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究』p272
  17. ^ 山本弘のSF秘密基地 プロフィール
  18. ^ 目からウロコの南京大虐殺論争
  19. ^ 平成十八年六月十三日提出 質問第三三五号 いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書[1]

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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