チリの政党

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チリの政党では、チリにおける政党について説明する。

解説[編集]

1973年9月のクーデター前までのチリは、「三等分構造」(tres tercios)と呼ばれ、左派(社会党、共産党)・中道(キリスト教民主党)・右派(国民党)がそれぞれ3分の1程度の政治勢力を有していた。しかし、73年9月にピノチェト将軍を中心とするクーデターが発生し、軍政が敷かれたことで既存政党は全て解散させられた。そして1990年の民政移行後は、上下両院の選挙制度に「修正2名制」[1]が導入されたこともあって、コンセルタシオン・デモクラシア(左派・中道)、変革のための同盟(右派・中道右派)という2大政党連合を中核とする穏健な多党制へと変化している。

アウグスト・ピノチェト政権による軍政から民政移管後は、中道左派コンセルタシオン・デモクラシアが一貫して政権を維持していたが、2010年1月の大統領選挙で中道右派の「変革のための同盟」が推すセバスティアン・ピニェラ候補が当選を果たしたことで、中道左派から中道右派への政権交代が初めて行われた。

全国政党[編集]

サンチアゴ首都州を含む全ての州に組織を持つ政党。 変革のための同盟

地方政党[編集]

法的に未登録の政党[編集]

政党連合[編集]

  • コンセルタシオン・デモクラシア(民主政党連合、Concertación de Partidos Por la DemocraciaCoalition of Parties for Democracy)-中道左派及び中道勢力による政党連合
    • キリスト教民主党(PDC)、
    • 民主主義のための党(PPD)、
    • 急進社会民主党(PRSD)、
    • チリ社会党(PS)
  • 変革のための同盟(Coalición por el Cambio)-「チリのための同盟」を前身とする右派及び中道右派勢力による政党連合
  • 我々といっしょにできる(フント・ポデーモス・マス、Juntos Podemos Más) -コンセルタシオンに参加しない左翼政党を中心とした政党連合
    • チリ共産党(PC)
    • 人道党(PH)
    • チリ・キリスト教左翼党(PICdC)

かつて存在した政党連合[編集]

  • 人民連合(Unidad Popular) - チリ社会党、チリ共産党、急進党、人民統一行動運動、独立人民行動、キリスト教左翼などが参加。 
  • 人民戦線(Frente Popular)
  • チリのための同盟 (Alianza por ChileAlliance for Chile) - 国民革新党(RN)、独立民主連合(UDI)の中道右派政党連合。1988年に行われた軍政継続を問う国民投票を前に結成された「民主主義と進歩の同盟」(Pacto Democracia y Progreso)を母体としている。
注:カッコ内の表記は左側がスペイン語表記、右側が英語表記である。

脚注[編集]

  1. ^ 正式には「修正多数代表2名制」(sistema binominal mayoritario corregido)と呼ばれ、有権者は各政党若しくは政党連合が提出した候補者名簿から1名を選んで記名投票する。しかし、大選挙区制と違って得票率に応じて上位二名が当選するのではなく、候補者名簿毎に得票集計がなされ、同一政党(若しくは政党連合)の候補者二名が当選するには、次点となった別の候補者名簿が得た得票率の2倍以上の得票を得なければならず、2倍未満の場合、2位は次点リストの候補者が当選する仕組みとなっている。そのため、第3党以下の政治勢力は議席を得ることが著しく困難な仕組みとなっている。事実、共産党を中心とする「フント・ポデーモス・マス」は1989年以降の国会議員選挙で議席を得ることが出来ない状況が続いていた。しかし2009年12月、大統領選挙と同時に実施された上下両院の議員選挙では、共産党がコンセルタシオンの候補者名簿に参加することで三名の当選者を出すことが出来た。参照:北野浩一「第5章 チリ・バチェレ政権の成立と課題」『21世紀ラテンアメリカの左派政権:虚像と実像』178頁。2009年12月9日付「チリ大統領選 決選投票へ 右派過半数及ばず 議会選 共産党36年ぶりの議席しんぶん赤旗

関連事項[編集]

外部リンク・参考資料[編集]