キリスト教民主党 (チリ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| キリスト教民主党 Partido Demócrata Cristiano de Chile |
|
|---|---|
| 党首 | フアン・カルロス・ラトーレ |
| 成立年月日 | 1957年7月28日 |
| 本部所在地 | サンティアゴ,Av. Libertador Bernardo O'Higgins 1460 |
| 下院議席数 |
19 / 120
(16%)
|
| 上院議席数 |
4 / 38
(11%)
|
| 政治的思想・立場 | コンセルタシオン・デモクラシア キリスト教民主主義、社会民主主義 |
| 公式サイト | Partido Democrata Cristiano |
| シンボル |
キリスト教民主党の党旗 |
キリスト教民主党(キリストきょうみんしゅとう、スペイン語:Partido Demócrata Cristiano de Chile、PDC)は、キリスト教民主主義に立脚するチリ共和国における中道政党で、2010年まで与党の座を維持し続けていた「コンセルタシオン・デモクラシア」(民主主義のための政党盟約)の一員である。
目次 |
概要 [編集]
1928年、青年カトリック国民連合として結成、その後ファランヘ党というファシストばりの党名となったが、1957年に社会キリスト教保守党と合同してキリスト教民主党に改称した(後にイバニェス率いる農民労働者党も合流)。
「中道と改良」をスローガンに掲げ、農村部や未組織の労働者を中心に支持を拡大し、チリにおける最有力中道政党として君臨し、1964年には「自由の中での革命」をスローガンにエドゥアルド・フレイ・モンタルバを大統領に当選させ、改良主義的な政策を推し進めた。しかし、地主や資本家などの既得権層に阻まれて改革は思うように進まず、党内では左派勢力が主導権を握るようになった。1970年の大統領選挙において、左翼政党連合の人民連合の支援を受けて当選したアジェンデの議会における決選投票では協定を結んでアジェンデを支持し、アジェンデ政権発足に協力した。しかし、その後は次第に人民連合との対立を深め、党内左派勢力は“キリスト教左派”(IC)を結成して離脱し、最後には公然とクーデターを支援するに至る。
しかし、クーデターの後、軍政当局から用済みとばかりに弾圧を受けたため、激しい反軍政活動を展開するようになった。民政復帰後、初代のエイルウィンと二代目のエドゥアルド・フレイ・ルイスタグレ(1964年に当選したエドゥアルド・フレイの息子)と2人続けて大統領を出した。
出身のチリ大統領 [編集]
- エドゥアルド・フレイ・モンタルバ Eduardo Frei Montalva (1964年11月3日~1970年11月3日)
- パトリシオ・エイルウィン Patricio Aylwin (1990年3月11日~1994年3月11日)
- エドゥアルド・フレイ・ルイスタグレ Eduardo Frei Ruiz-Tagle (1994年3月11日~2000年3月11日)
脚注 [編集]
外部リンク [編集]
関連項目 [編集]
|
|||||||||||||||||||