SUPER ROCK '84 IN JAPAN

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SUPER ROCK '84 IN JAPAN
イベントの種類 ロック・フェスティバル
開催時期 1984年8月
会場 ナゴヤ球場
福岡スポーツセンター
大阪南港フェリーターミナル前広場
西武球場
企画制作 フェスティバル、音楽舎
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SUPER ROCK '84 IN JAPAN[1](スーパー・ロック '84 イン・ジャパン)は、1984年8月ヘヴィメタルハードロック系のアーティストを中心に日本国内で開催されたロック・フェスティバルである。

概要[編集]

企画・制作はフェスティバルと音楽舎。1984年8月4日から8月12日にかけて、愛知福岡大阪埼玉において計6公演が行われた(全公演とも同じ5アーティストが出演)。

セットチェンジ間のDJおよびMCは、伊藤政則が担当[2]

公演日程[編集]

日程 会場 開演時間 料金(前売)[3]
8月4日 ナゴヤ球場 13時30分 S席:6,000円
A席:5,000円
B席:4,000円
C席:3,000円
8月6日 福岡スポーツセンター 15時 S席:9,000円
A席:7,000円
B席:5,000円
8月8日 大阪南港フェリーターミナル前広場 13時 全席:6,000円
8月9日
8月11日 西武球場 13時 S席:6,000円
A席:5,000円
B席:4,000円
C席:3,000円
8月12日

出演者[編集]

2009年ドキュメンタリー映画『アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち』は、このフェスティバルでの映像と「(出演した)どのバンドのアルバムも何百万枚と売れた…このバンド以外は」というキャプションから始まる。
同年5月に『夜明けのランナウェイ』で日本デビューし、このフェスティバルが初来日。当初は、ボン・ジョヴィではなくクワイエット・ライオットが出演者として公式発表されていた。
当時、出演者中で最も世界的に商業的成功を収めており、同年リリースされたアルバム『禁断の刺青』は全米6位を記録、その年にダブルプラチナムを達成している[4]
来日前にゲイリー・バーデン(ボーカル)が脱退し、後任として「ロンリー・ガイ」のヒットで知られるレイ・ケネディが参加。
デイヴィッド・カヴァデール(ボーカル)、ジョン・サイクス(ギター)、コージー・パウエル(ドラム)、ニール・マーレイ(ベース)の4人に加え、来日前にディープ・パープル再結成に参加するため脱退したジョン・ロードの代わりにリチャード・ベイリー(キーボード)がサポートメンバーで参加[5]

ヘッドライナーは、ホワイトスネイクとマイケル・シェンカー・グループが交替で務めた[6]

映像作品[編集]

  • 『スーパー・ロック '84 イン ジャパン』 東宝、1984年 ※ダイジェスト版
  • 『スコーピオンズ』 東宝、1984年
  • 『ホワイトスネイク』 東宝、1984年
  • 『マイケル・シェンカー・グループ』 東宝、1984年
  • 『ボン・ジョヴィ』 東宝、1985年

脚注[編集]

  1. ^ チケットやパンフレットなどには「SUPER ROCK '84 IN JAPAN KINGS JAM」と記載されていた
  2. ^ BURRN!』1984年11月号、シンコーミュージック・エンタテイメント 
  3. ^ 『音楽専科』1984年8月号、音楽専科社 
  4. ^ RIAA Searchable Database: search for Scorpions”. Recording Industry Association of America. 2022年5月7日閲覧。
  5. ^ ミュージック・ライフ』1984年10月号、シンコーミュージック・エンタテイメント。 
  6. ^ レーザーディスク『スーパー・ロック '84 イン ジャパン』(ダイジェスト版) ライナーノーツより

関連項目[編集]