オマハ (競走馬)

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オマハ
英字表記 Omaha
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1932年3月24日
死没 1959年4月24日
Gallant Fox
Flambino
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産 William Woodward
馬主 William Woodward
調教師 James E.Fitzsimmonsアメリカ
Cecil Boyd-Rochfort(イギリス
競走成績
生涯成績 22戦9勝
獲得賞金 154,755ドル
(アメリカドル換算)
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オマハ (Omaha) とは、アメリカ合衆国イギリスで調教された競走馬、および種牡馬である。アメリカの競馬史上3頭目の三冠馬で、アメリカの競馬殿堂入りも果たしている。ブラッド・ホース誌が選ぶ20世紀のアメリカ名馬100選第61位。父ギャラントフォックスも三冠馬。現時点で親子2代でのアメリカ三冠を達成したのはこの親子のみであり、三冠馬という名称をマスコミが使い始めたのは、ギャラントフォックス、オマハ父子の偉業達成があってからである。

生涯[編集]

1934年6月のアケダクト競馬場の未勝利戦でデビューして2着、続く一般戦で初勝利を挙げた。2歳時はこのほかにも7戦をこなしているが、善戦こそすれど勝つには至らなかった。

翌年、3歳になったオマハは初戦の一般戦に勝ち、前年とは違って幸先の良い滑り出しを見せた。その勢いは衰えず、ウッドワードステークス3着を挟んで挑んだケンタッキーダービーでは後方からまくるとそのまま押し切って優勝。続くプリークネスステークスでは6馬身差の圧勝、ウィザーズステークスの2着を挟んで臨んだベルモントステークスでは、前走で敗れたRosemontやFirethornを相手に勝利、史上3頭目となるアメリカ三冠を達成した。その後もドワイヤーステークスアーリントンクラシックステークスに勝ち、同年の最優秀3歳牡馬に選ばれた。

4歳になったオマハはイギリスへ移籍している。1936年5月にケンプトンパーク競馬場で行われたヴィクターワイルドステークスに勝ち、イギリスでの初戦、そしてでの初勝利を挙げた。続いて同競馬場のクイーンズプレートにも勝って好調ぶりを見せた。しかし、アスコットゴールドカッププリンスオブウェールズステークスといった大競走ではともに2着に敗れ、そのまま現役を引退し種牡馬になった。

種牡馬入りしたものの、ステークスウイナーを7頭出すにとどまった。最後はネブラスカ州でわずか25ドルの種付け料で供用され、1959年に死亡した。遺骸はネブラスカ州オマハアクサーベン競馬場Ak-Sar-Ben、1995年に廃止)のウィナーズサークルに埋葬されている。アメリカ競馬名誉の殿堂博物館はオマハの功績を称え、1965年に殿堂馬として選定した。

評価[編集]

主な勝鞍[編集]

1934年(2歳) 9戦1勝
1935年(3歳) 9戦6勝
アメリカ三冠(ケンタッキーダービー、プリークネスステークス、ベルモントステークス)、ドワイヤーステークス、アーリントンクラシックステークス
1936年(4歳) 4戦2勝
2着 - アスコットゴールドカップ、プリンスオブウェールズステークス

年度代表馬[編集]

表彰[編集]

参考資料[編集]

  • Thoroughbred Champions: Top 100 Racehorses of the 20th Century (2000 著者:ブラッドホース編集部 出版:Eclipse Press ISBN 1-58150-024-6)

2000-2002年に週刊Gallopで連載。大関夏子訳。

血統表[編集]

オマハ血統テディ系 / Ajax 4x4=12.50%)

Gallant Fox
1927 鹿毛
Sir Gallahad III
1920 鹿毛
Teddy Ajax
Rondeau
Plucky Liege Spearmint
Concertina
Marguerite
1920 栗毛
Celt Commando
Maid of Erin
Fairy Ray Radium
Seraph

Flambino
1924 鹿毛
Wrack
1909 鹿毛
Robert Le Diable Ayrshire
Rose Bay
Samphire Isinglass
Chelandry
Flambette
1918 鹿毛
Durbar Rabelais
Armenia
La Flambee Ajax
Medeah F-No.17-b

外部リンク[編集]