エウテュデモス (対話篇)

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Plato Silanion Musei Capitolini MC1377.jpg
プラトンの著作
初期:
ソクラテスの弁明 - クリトン
エウテュプロン - カルミデス
ラケス - リュシス - イオン
ヒッピアス (大) - ヒッピアス (小)
初期(過渡期):
プロタゴラス - エウテュデモス
ゴルギアス - クラテュロス
メノン - メネクセノス
中期:
饗宴 - パイドン
国家 - パイドロス
パルメニデス - テアイテトス
後期:
ソピステス - 政治家
ティマイオス - クリティアス
ピレボス - 法律
第七書簡
偽書及びその論争がある書:
アルキビアデスI - アルキビアデスII
ヒッパルコス - 恋敵 - テアゲス
クレイトポン - ミノス - エピノミス
書簡集(一部除く) - 定義集
正しさについて - 徳について
デモドコス - シーシュポス
エリュクシアス - アクシオコス
ハルシオン

エウテュデモス』(エウテュデーモス、: Εὐθύδημος: Euthydemos)は、プラトンの初期対話篇の1つ。副題は「争論家(論争家)[1]」。

構成[編集]

登場人物[編集]

時代・場面設定[編集]

年代不詳。アテナイにて。

クリトンがソクラテスに、昨日リュケイオンの体育場(ギュムナシオン)で、人だかりの中、誰と問答していたのか尋ねるところから話は始まる。ソクラテスはそれはエウテュデモスとディオニュソドロスの兄弟だと言い、その論争術を、皮肉混じりに褒め称える。その知恵・技術はいかなるものなのか聞きたがるクリトンに対し、ソクラテスは昨日の話を始める。

ソクラテスがリュケイオンの体育場(ギュムナシオン)の脱衣所で腰をおろしていると、エウテュデモスとディオニュソドロス、その弟子達が入って来た。またしばらくして、クレイニアスとクテシッポスらが入って来た。クレイニアスがこちらにやって来て隣りに腰を下ろしていると、エウテュデモスとディオニュソドロスも顔見知りのソクラテスに気付き、こちらにやって来た。ソクラテスがクレイニアスに彼らを「軍事・争論の専門家」として紹介すると、彼らは笑い、エウテュデモスはそれらのことはもはや片手間でやっているに過ぎないと言う。ソクラテスは驚いて、では何を生業としているのか尋ねると、「徳の教授」というソフィストらしい答えが返ってきた。

こうしてソクラテスとエウテュデモス、ディオニュソドロス、クレイニアスとその取り巻きのクテシッポスを巻き込んだ問答・論争が展開されていく。

特徴・補足[編集]

上記の通り、本作は『プロタゴラス』等と同じく、かつての対話をソクラテスが友人に語るという体裁を採っており、本編である回想部分では、対話(ダイアローグ)にソクラテスの解説(ナレーション)が交じる。ただし、本作の場合、現在のやり取りが導入部のみで終わらず、作品の中盤・終盤にも、回想から戻り、ソクラテスとクリトンの会話が展開される。

他にソフィストを扱った対話篇としては、初期のものでは『ヒッピアス (大)』『ヒッピアス (小)』『プロタゴラス』『ゴルギアス』が、後期のものでは『ソピステス』がある。

内容[編集]

あらすじ[編集]

概要[編集]

導入

ソクラテスはクリトンに、昨日リュケイオンの体育場(ギュムナシオン)で人だかりの中、誰と問答していたのか問われる。ソクラテスは、それはエウテュデモスとディオニュソドロスの兄弟だと答える。クリトンは彼らの知恵とは何か問う。ソクラテス、彼らは万能で、軍事にも、法廷の弁論術(レートリケー)にも長けているし、おまけに今や論争術(エリスティケー)も身に付けており、自分も彼らにその論争術(エリスティケー)を教わるつもりだと述べる。

クリトンにそれは一体何なのか尋ねられ、ソクラテスは昨日の話を始める。


回想部導入

ソクラテスはリュケイオンの体育場(ギュムナシオン)の脱衣所に1人でおり、帰ろうとすると「ダイモーンの徴(しるし)」が現れたので、帰らずに腰を下ろしていると、エウテュデモスとディオニュソドロスが学生たちとやって来てドロモス(走行路)回り歩き、またしばらくすると、少年クレイニアス等が入って来て、彼はソクラテスを見つけて隣りに座った。エウテュデモスとディオニュソドロスも、顔見知りであるソクラテスを見つけ、近くに座った。

ソクラテスは彼らと挨拶をかわし、クレイニアスに彼らは「軍事」や「法定弁論」の専門家・教師だと紹介する。エウテュデモスとディオニュソドロスはそれを聞いて笑い、それらは今や片手間でやっているだけで、今熱心にやっているのは「徳」の教授であると、ソフィストらしい答えを返す。

ソクラテスはそれを自分達にも教えて欲しいと頼みつつ、まず彼らは「既に彼らから学ぼうとしている者」のみに徳を教授できるのか、それとも、「彼らを信じていない者」にすらも徳を教授できるのか問うと、ディオニュソドロスは後者だと答える。ソクラテス、では他のことはまた今度にして、今回はその「他者を説きつけて徳へと向かわせる術」を、少年クレイニアスを相手とした問答で見てせもらいたいと頼む。エウテュデモスは快諾する。


エウテュデモス等とクレイニアスの問答

エウテュデモス、「学ぶ人は知者か無知者か」と問う。悩むクレイニアス。ディオニュソドロスはソクラテスに「少年はどちらを答えても、反駁されることになる」と耳打ちする。クレイニアスは「知者」と答える。エウテュデモスは「知らないからその対象を学ぶのであり、学ぶのは無知者である」と反駁する。彼らの取り巻きが喝采する中、ディオニュソドロスがすかさずクレイニアスに「教師からよく学ぶのは、子供らの内、知者の側か無知者の側か」と問う。クレイニアスは「知者」と答える。ディオニュソドロス、「では知者も学ぶのだ」と答える。取り巻きが喝采する。

エウテュデモス、次に「学ぶ者は、知っているものを学ぶのか、知らないものを学ぶのか」と問う。クレイニアスは「知らないものを学ぶ」と答える。エウテュデモスは「教師たちはアルファベットを知っている者に、アルファベットを用いて教えるのだから、学ぶ者は知っているもの(アルファベット)を学ぶのだ」と指摘する。続いてディオニュソドロスが「知識を持っていないからそれを学ぶのであって、学ぶ者は知らないものを学ぶのだ」と逆のことを言う。

ソクラテスはクレイニアスに、彼ら2人がやっているのは、秘儀の着座式、秘教の最初の部分のようなもの、名辞の意味の相違を利用して小股をすくって投げ倒したり、人が座ろうとしている椅子を後ろに引っ張って転ばせるような戯れであって、これからが本番のはずだと述べ、その先導役として、まずは自分が自分なりに考えている「他者を説きつけて徳へと向かわせる方法」を披露したいと申し出て、クレイニアスと問答を始める。


ソクラテスとクレイニアスの問答1

ソクラテスは「人間は誰でもうまくいく(幸福であること)を望む」のではないかと問う。クレイニアス、同意する。ソクラテス、そのためには多くの「善いもの」を持っている必要があるのではないかと問う。クレイニアス、同意する。ソクラテス、「善いもの」として「富」「健康」「美しい身体」「良い出自」「権力」「尊敬」「思慮」「正義」「勇気」「知恵」などを挙げる。クレイニアス、それらに同意する。ソクラテス、最後に「幸運・僥倖・成功」(eutychia)を挙げる。クレイニアス、同意する。ソクラテス、しかし最後に挙げた「幸運・僥倖・成功」(eutychia)と「知恵」は同じものなのではないかと問う、「知恵」を伴っていれば自ずと「幸運・僥倖・成功」(eutychia)が生じると。クレイニアス、同意する。

ソクラテス、ではただ「善いもの」を持っているだけで幸福になるか問う。クレイニアス、否定する。ソクラテス、ではただ「善いもの」を持っているだけではなく、それを用いる必要があるようだと述べる。クレイニアス、同意する。ソクラテス、それではただ用いればいいのか、それとも正しく用いる必要があるか問う。クレイニアス、正しく用いる必要があると答える。ソクラテス、正しく用いるためには知恵が必要なのではないかと問う。クレイニアス、同意する。

ソクラテス、ではあらゆるものの中で知恵のみが人間を幸福にするし、知恵を愛さねばならないと指摘する。クレイニアス、同意する。

以上の問答を通してクレイニアスを知恵へと向かわせることに成功したソクラテスは、エウテュデモス等に向かって、自分の拙い見本はこんなものだが、続いて彼らの術を見せてもらいたいと頼む。


エウテュデモス等とクテシッポスの問答

ディオニュソドロスはソクラテス等に向かって、「クレイニアスが本当に知恵のある者になることを望んでいるのか」と問う。ソクラテスはもちろん本気だと応じる。ディオニュソドロスは、「「知恵の無い者」から「知恵のある者」になるということは、「愚かな者」から「愚かであらぬ者」になることであり、「ある者」から「あらぬ者」になることであり、クレイニアスの関係者はクレイニアスが亡くなることを願っているのだ」と指摘する。これを聞いたクテシッポスは激昂し、どうしてそんな嘘をつくのかと罵倒する。

すると、エウテュデモスがクテシッポスに「嘘をつく」ことについて問う。果たして「嘘をつく」ということが本当に可能だと思っているのかと。クテシッポス、当然だと応じる。エウテュデモス、「嘘をつく」行為は対象に関して「言って」成されるのか「言わず」に成されるのか問う。クテシッポス、「言って」だと答える。エウテュデモス、「言う」という行為は「有るものども」の内の「当の対象」について述べていると指摘。クテシッポス、同意する。エウテュデモス、ディオニュソドロスもまた「有るものども」の1つについて述べていると指摘。クテシッポス、同意する。エウテュデモス、それでは「有るもの」について言っているのであって、嘘をついていないと指摘。クテシッポス、しかし先程のディオニュソドロスの発言は「有るもの」を言っているのではないと食い下がる。

エウテュデモス、「有らぬもの」は「有らぬ」し、どこにおいても「有るもの」ではないと指摘。クテシッポス、同意する。エウテュデモス、では人がある行いをして「有らぬもの」を「有るもの」にすることができるか問う。クテシッポス、否定する。エウテュデモス、しかし弁論家は大衆の中で語る時、何も成さないのか問う。クテシッポス、成すと答える。エウテュデモス、それでは語ることは成すことであり、作ることだと指摘。クテシッポス、同意する。エウテュデモス、それでは「言う」ことは常に何かを作るのだから、「有らぬもの」を「言う」ことなどできないし、「嘘をつく」こともできないと指摘、ディオニュソドロスも嘘は言っていないと述べる。クテシッポス、確かに「有るもの」について「ある仕方」で言ってはいるが、「事実ある通り」に述べているわけではないと指摘。

エウテュデモス、物事を「事実ある通り」に述べることができる人がいるのか問う。クテシッポス、「善美な人々」や「本当のことを言う人」たちがそうであると答える。エウテュデモス、「善いもの」は「善く」あり、「悪いもの」は「悪く」あるのではないかと指摘。クテシッポス、同意する。エウテュデモス、では「善美な人々」は「悪いもの」を「悪く」言うのだと指摘。クテシッポス、同意しつつ、エウテュデモス等が(先程のような発言によって)「善美な人々」に「悪く」言われることがないように用心するよう忠告する。エウテュデモス、それでは「温かい人」を「温かく」言うのかと問う。クテシッポス、同意しつつ、(先程のような発言をする)「冷たい人々」を「冷たい」と言うと述べる。ディオニュソドロス、それは当てこすりだと怒る。

ソクラテス、両者をなだめようと、まずクテシッポスには学ぶ姿勢を持つことを忠告する。クテシッポス、自分はそうした姿勢を持っているし、ディオニュソドロスが立派に言ってないと思われることに対して反論しているだけだと答える。ソクラテス、次にディオニュソドロスにクテシッポスの反論を許すこと、そしてそれを当てこすりと呼ばないよう要請する。

ディオニュソドロス、クテシッポスに果たして「反論する」(反対のことを言う)ということが可能だと思っているのか問う。クテシッポス、当然だと応じる。ディオニュソドロス、「有るもの」どもに対して、それぞれ「定義」があるか問う。クテシッポス、あると答える。ディオニュソドロス、その「定義」は対象を「有る通り」に表すのか「有らぬ通り」に表すのか問う。クテシッポス、「有る通り」だと答える。ディオニュソドロス、我々両者が同一事物の「定義」を言う時、我々は互いに「反対」を言うのではなく、「同一」のことを言っているのではないかと指摘する。クテシッポス、同意する。ディオニュソドロス、それでは自分(ディオニュソドロス)がある事物の「定義」を言い、クテシッポスが別の事物の「定義」を言う時、クテシッポスは自分(ディオニュソドロス)が言っている事物に対しては何も言っておらず、反論できてないのではないかと指摘。クテシッポス、黙り込む。


ソクラテスとクレイニアスの問答2


ソクラテスとクリトンの会話


エウテュデモス等とソクラテス及びクテシッポスの問答


ソクラテスとクリトンの会話2

訳書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「争論術、論争術」(エリスティケー: εριστική (eristikē)、eristic)を操る者。
  2. ^ a b メガレ・ヘラス(大ギリシア、イタリア半島南部植民地)の都市トゥリオイ(Θούριοι、Thurii)へ移住(植民)するも、追放されてこの地へ来たと本文中で述べられている。
  3. ^ アルキビアデスの叔父アクシオコスの息子。先代アルキビアデスの孫。

関連項目[編集]