ヒッピアス (小)

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Plato Silanion Musei Capitolini MC1377.jpg
プラトンの著作
初期:
ソクラテスの弁明 - クリトン
エウテュプロン - カルミデス
ラケス - リュシス - イオン
ヒッピアス (大) - ヒッピアス (小)
初期(過渡期):
プロタゴラス - エウテュデモス
ゴルギアス - クラテュロス
メノン - メネクセノス
中期:
饗宴 - パイドン
国家 - パイドロス
パルメニデス - テアイテトス
後期:
ソピステス - 政治家
ティマイオス - クリティアス
ピレボス - 法律
第七書簡
偽書及びその論争がある書:
アルキビアデスI - アルキビアデスII
ヒッパルコス - 恋敵 - テアゲス
クレイトポン - ミノス - エピノミス
書簡集(一部除く) - 定義集
正しさについて - 徳について
デモドコス - シーシュポス
エリュクシアス - アクシオコス
ハルシオン

ヒッピアス (小)』(: Ιππίας Ελάσσων: Hippias Minor, Lesser Hippias)とは、プラトンの初期対話篇の1つ。副題は「偽り[1]について」。

構成[編集]

登場人物[編集]

時代・場面設定[編集]

年代不詳[3]アテナイの某所[4]にて、ヒッピアスが聴衆に向かってホメロスら詩人たちについての演説を終え、エウディコスがソクラテスに話しかけるところから、話は始まる。

ソクラテスは、ホメロスの『イーリアス』の主人公アキレウスと、『オデュッセイア』の主人公オデュッセウスを、ヒッピアスはどう思っているのか聞いてみたいと言う。立ち寄ったヒッピアスにそれを聞くと、彼は「アキレウスは最も優れた人物、オデュッセウスは最も抜け目の無い人物」として描かれているという。詳しく聞くと、「抜け目がない人」とは、「偽りの人」のことだという。また、「偽りの人」と「真実の人」は別なのだと言う。

こうして「偽り」にまつわる問答が開始される。

特徴・補足[編集]

ヒッピアスを題したもう1つの著作、『ヒッピアス (大)』と比べ、半分程度の文量。

アリストテレスがその著書『形而上学』で、本作を引用している[5]

他にソフィストを扱った対話篇としては、初期のものでは『プロタゴラス』『エウテュデモス』『ゴルギアス』が、後期のものでは『ソピステス』がある。

内容[編集]

あらすじ[編集]

アテナイ某所[4]での演説を終えたソフィストのヒッピアスと、それを聞いていたソクラテスが、「偽り」についての問答を交わす。

ソクラテスが提示した「「真実の人」と「偽りの人」は同一である」という命題に対し、ヒッピアスは議論の途中まで同意しつつも、完全な同意については、拒否し続ける。

ソクラテスは、本当は自分もこの結論には同意できないし、考えがふらついてもいるが、知者であるヒッピアスまでふらつかれると困ると指摘して、話は終わる。

詳細[編集]

原典には章の区分は無いが、慣用的には18の章に分けられている[6]。以下、それを元に、各章の概要を記す。

導入
  1. アテナイ某所[4]でのヒッピアスの演説が終わり、エウディコスがソクラテスにどうして黙っているのか尋ねる。ソクラテスはヒッピアスに聞いてみたいことがあるのだと言う。ソクラテスはエウディコスの父アペマントスから、ホメロスの作品中、『イーリアス』の方が『オデュッセイア』より勝っており、『イーリアス』の主人公アキレウスの方が、『オデュッセイア』の主人公オデュッセウスよりも優れた人物であることを聞かされており、このことについて、ヒッピアスはどう考えているか教えてもらいたいと言う。
  2. ちょうどやって来たヒッピアスに対し、エウディコスはソクラテスが何を尋ねてもヒッピアスは容易に答えられるだろうと尋ねる。ヒッピアスは当然だと応じる。
  3. ソクラテス、先の疑問をヒッピアスにぶつける。ヒッピアス、ホメロスはアキレウスを「最も優れた人物」として、オデュッセウスを「最も抜け目の無い人物」として描いていると言う。
  4. ソクラテス、「抜け目の無い」の意味がよく分からないと尋ねる。ヒッピアスは『イーリアス』の一節[7]を引用しながら、アキレウスが最も「一本気」で「真実の人」、オデュッセウスは「抜け目が無く」て「偽りの人」だと答える。ソクラテス、「抜け目の無い人物」とは「偽りの人」を意味しているだと理解する。ソクラテス、それでは「真実の人」と「偽りの人」は別であって、同一ではないのかと問うと、ヒッピアスは当然だと応じる。

    「偽り」についての問答

  5. ソクラテス、「偽りの人」というのは、病人のように「何事かを成す力の無い人」なのか、それとも「何事かを成す力の有る人」なのか問う。ヒッピアス、「人々を欺くことにかけて、非常に大きな力のある者」だと答える。ソクラテス、では彼らに抜け目が無く、欺瞞者であるのは、「気の良さ」「知恵の無さ」によるものなのか、「狡猾さ」「知恵」によるものなのか問う。ヒッピアス、「狡猾さ」「知恵」によるものだと答える。ソクラテス、では彼らは知恵がまわる者なのか問う。ヒッピアス、同意する。ソクラテス、では彼らは自分の行っていることが何であるか知っているのか否か問う。ヒッピアス、非常によく知っていると答える。ソクラテス、では彼らは知者なのか問う。ヒッピアス、人を欺くことにおいては知者だと答える。
  6. ソクラテス、では「偽りの人」とは、能力があり、知者である者であると指摘。ヒッピアス、同意する。ソクラテス、では彼らはいつでも望む時に偽る能力があるということか問う。ヒッピアス、同意する。ソクラテス、では「偽りの人」とは、知者であり、偽ることにかけて能力のある者ということか問う。ヒッピアス、同意する。ソクラテス、では「自分の望むことを何でも、臨むときに行える者は、能力のある者」だということか問う。ヒッピアス、同意する。

  7. ソクラテス、ヒッピアスは計算術に修熟しているか問う。ヒッピアス、誰よりも優れていると答える。ソクラテス、それはヒッピアスがこのことにかけて、最も能力があり、最高の知者であるからなのか問う。ヒッピアス、肯定する。ソクラテス、それではヒッピアスはこのことにかけて、最も優れた者でもあるのか問う。ヒッピアス、肯定する。ソクラテス、それではヒッピアスはこの分野においては、「真実を語る」能力を最も多く備えているということか問う。ヒッピアス、肯定する。ソクラテス、ではこの分野で「偽りを語る」能力はどうなのか問う。最も真実を語れる限りは、その気になれば、最も偽りを語れるということではないのかと。ヒッピアス、同意する。ソクラテス、では「偽りの人」はこの分野においてはどうなのか問う。他の諸々のことで偽る能力があるのなら、計算においてもそうではないのかと。ヒッピアス、もちろん数に関しても偽る能力があると答える。
  8. ソクラテス、では計算についても「偽りの人」がいるということか問う。ヒッピアス、肯定する。ソクラテス、他方でヒッピアスは先程、「計算に関する偽りを言う能力を、最も多く備えている人」であることが明らかになったと指摘。ヒッピアス、認める。ソクラテス、またヒッピアスは、「計算に関して真理を言う能力も最大」だと指摘。ヒッピアス、認める。ソクラテス、それでは、計算に関して、偽りと真実を述べる能力を最も多く備えているのは、同じ人物であり、それはすなわち計算家であると指摘。ヒッピアス、同意する。ソクラテス、ではこうした事柄では、(冒頭に述べられたように、「偽りの人」と「真実の人」が正反対の別々の人間で、「真実の人」の方が優れているといったことはなくて)同一人物が「偽りの人」でも「真実の人」でもあり、そうである以上「真実の人」が「偽りの人」よりも優れているということもないと指摘。ヒッピアス、この場合はそのようだと認める。ソクラテス、他の場合についても調べることを要請。ヒッピアス、同意する。

  9. 幾何学天文学でも同様の考察が行われ、同様の結論を得る。
  10. ソクラテス、多才なヒッピアスの諸々の技術を挙げながら、そんな自分や他者の技術に目を向けながら、先の結論に反するような例があったら挙げてみてほしいと問う。
  11. ヒッピアス、今すぐにはできないと述べる。ソクラテス、話題を代えて、それではアキレウスは「真実の人」で、オデュッセウスは「偽りの人」という冒頭の話は誤りで、アキレウスもオデュッセウスも共に、「真実の人」であると同時に「偽りの人」でもあり、似たもの同士だと指摘。
    ヒッピアス、ソクラテスはいつもこうして議論を細切れにしてつつき回し、全体に目を向けないと批判。更に、ソクラテスが望むなら自分はアキレウスがオデュッセウスよりも優れた者であることを多くの証拠を以て証明してみせると述べ、ソクラテスに反論してみるよう要請する。

  12. ソクラテス、そんなつもりは無いと言いつつ、冒頭でヒッピアスが引用した『イーリアス』の一節[7]の中に腑に落ちない部分があり、ヒッピアスの主張とは逆に、アキレウスが欺瞞者で、オデュッセウスは偽りを言っていないことを示しているのではないかと気付いたと述べ、その箇所[8]を引用しつつ指摘する。
  13. ヒッピアス、そこでアキレウスが偽りを述べているのは、企み(たくらみ)によるものではなく、心ならずもそうしているのだと指摘。ソクラテス、ヒッピアスは自分(ソクラテス)を騙していると批判、アキレウスの偽りが企みではないと述べているが、ホメロスの記述によれば、オデュッセウス以上に欺瞞者である上に、詐欺師であり策士だと、『イーリアス』の該当箇所[9]を引用しながら指摘。
  14. ヒッピアス、自分はそうは考えない、その箇所もアキレウスが善意からそうしたのだと指摘。ソクラテス、しかしそれだと、意図的に偽りを言うオデュッセウスの方が心ならずも偽りを言うアキレウスよりも優れていることになると指摘。ヒッピアス、意図的に不正を成し、策謀を巡らせて悪事をはたらく者が、心ならずも偽りを言う者より優れているなんてことはあり得ないと反論。法にしても後者の方が寛大な態度が示されると指摘。

  15. ソクラテス、その考えには同意しないが、とは言え、時には正反対に思われることもあり、この点で私の意見はフラついていると指摘。
  16. ソクラテス、自分が望んでいるのは、より優れているのは、「故意に過ちを犯す者」と「心ならずも過ちを犯す者」のどちらであるかを、十分に調べ上げることだと述べる。
    続いてソクラテス、「良い走者」と「悪い走者」とでは、「速さ」が良いことであり、「遅さ」が悪いことだと指摘。ヒッピアス、同意する。ソクラテス、では「故意に遅く走る者」と「心ならずも遅く走る者」、どちらがより優れた走者であるか問う。ヒッピアス、「故意に遅く走る者」と答える。ソクラテス、「走る」ということは「行為を成す」ことであり、悪く走る者は、競争の際に、走るという行為を「悪くて恥ずべき形で成している」ことだと指摘。ヒッピアス、同意する。ソクラテス、それでは良い走者がこの恥ずべきことを成すのは故意にであり、悪い走者は心ならずもそうしている、ということでいいか問う。ヒッピアス、同意する。ソクラテス、競争の場合は、「心ならずも悪しき行為をなす者」の方が、「故意にそうする者」より劣っているということでいいか再度確認。ヒッピアス、同意する。
    ソクラテス、ではレスリングの場合はどうか問う。「故意に倒れる」と「心ならずも倒れる」のどちらが「劣っていて恥ずべきこと」かと。ヒッピアス、「故意に倒れる」方だと答える。ソクラテス、ではレスリングの場合、「倒れる」のと「投げ倒す」のとでは、どちらがより劣っていて恥ずべきことか問う。ヒッピアス、「倒れる」方だと答える。ソクラテス、ではレスリングにおいても、劣っていて恥ずべき行為を故意に成す者の方が、心ならずもそうする者よりも、優れているということでいいか確認。ヒッピアス、同意する。
    その他、肉体を使う運動全般、体力、体つき、声、障害、低視力、他の五感についても、同様のやり取りが繰り返される。
  17. 舵、弓、リュラ琴、笛、他の道具全般、乗馬術、狩猟術、弓術、医術、音楽術、技術・知識全般、奴隷の魂と、同様のやり取りが繰り返される。ソクラテス、最後に「自身の魂」を挙げる。我々の魂においても、心ならずも過ちを犯す場合より、故意にそうする場合を優れたものとみなすと指摘。ヒッピアス、しかし故意に不正を成す者が優れた者になるとしたら恐ろしいことだと反論。ソクラテス、しかしこれまでの議論からそういうことになると指摘。ヒッピアス、同意しない

  18. ソクラテス、正義の徳とは、「能力」なのか、「知識」なのか、その「両方」なのか問う。もし正義の徳が、魂のある「能力」だとするならば、「能力」においてより勝っている魂は、正しいのではなかったかと指摘。ヒッピアス、同意する。ではもし「知識」だとするならば、より「知識」のある魂は正しいのではなかったかと指摘。ヒッピアス、同意する。ではもしその「両方」だとするならば、「能力」と「知識」を兼ね備えている魂はより正しいのではなかったかと指摘。ヒッピアス、同意する。
    ソクラテス、他方で、「能力」と「知識」を兼ね備えているこの魂は、より優れたものであって、どんな行為においても、立派なことと恥ずべきことの両方を成す能力を、より多く備えているのではなかったかと指摘。ヒッピアス、同意する。ソクラテス、するとこのような魂が恥ずべき行為を成す場合には、その「能力」と「知識」を以て、常に故意に行っているのだと指摘。そして、それら「両方」か、どちらか一方かが、正義に属していることになると指摘。ヒッピアス、同意する。ソクラテス、また不正をはたらくというのは悪を成すことであり、不正をはたらかないというのは立派な行いをすることだと指摘。ヒッピアス、同意する。すると、能力において勝っており、より優れている魂は、それが不正をはたらくような場合には、故意に不正をはたらくことになると指摘。ヒッピアス、同意する。ソクラテス、しかし「善い人間」というのは、「善き(優れた)魂」を持っている者のことであると指摘。ヒッピアス、同意する。ソクラテス、したがって不正を故意に成すことは、「善い人間」の成し得ることだと指摘。ヒッピアス、同意。ソクラテス、したがって、故意に過ちを犯したり、恥ずべき不正なことを成したりする者というのは、「善い人間」をおいて他には無いと指摘。ヒッピアス、同意しない

    ソクラテス、言ってる自分も同意できないが、これまでの議論からすると、そういう結論になると指摘。しかし、先に述べたように、自分はこの問題については考えがフラついていると告白。更にソクラテス、自分や他の凡人が考えがフラつくのは別に驚くべきことではない、しかし、知者であるヒッピアスまでがフラつくようなことになれば、我々にとっては恐ろしいと述べる。あなた達の元に出かけてきても、そのフラつきから解放されないのだからと。

論点[編集]

偽り[編集]

本篇では、「偽り(の人)」について、高名なソフィストであるヒッピアスを相手に、ソクラテスによる執拗な追求・問答が繰り広げられる。

「偽りの人」とは、

  • 人を欺くことにかけての「能力」「知恵」を持ち、それを「故意」に駆使できる者である

という定義から議論は始まる。

ソクラテスは「故意」の部分に着目し、(「偶然」「無自覚」ではなく)「故意」に人を欺くためには、それぞれの分野・技術についての「能力」「知恵」に優れている必要であり、それぞれの分野・技術において「最も真実を語れる(成せる)人」が、「最も(故意に)偽りを語れる(成せる)人」であると指摘、したがって、(「真実の人」と「偽りの人」は別ものであり、前者の方が優れているというヒッピアスの当初の主張とは異なり)

  • 「真実の人」と「偽りの人」は同一である

という命題を提示する。

その後ソクラテスは、様々な技術・知恵について、「故意」に過ちを犯す者の方が、「無自覚」に過ちを犯す者よりも、能力・知恵が高く、優れていること検証していき、「故意の偽り」と「能力・知恵の高さ」の不可分性を確定していく。

そして最終的に、「正義・徳・善」といったものも、それが「能力」「知恵」である以上、それを持ち合わせた者こそが、故意にその反対を成すことができると述べる。

訳書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ギリシア語の「プセウデース」(: ψευδής、pseudes)の訳語。
  2. ^ 『ヒッピアス (大)』286B
  3. ^ ヒッピアス (大)』の内容を受けるならば、『ヒッピアス (大)』の対話の2日後ということになる。『ヒッピアス (大)』286B
  4. ^ a b c ヒッピアス (大)』の内容を受けるならば、「ペイドストラトスの講義場」という場所になる。『ヒッピアス (大)』286B
  5. ^ 形而上学』 第5巻(Δ巻)29章1025a6-9
  6. ^ 参考: 『プラトン全集10』 岩波書店
  7. ^ a b イーリアス』第9巻308-314行
  8. ^ イーリアス』第9巻357-363行
  9. ^ イーリアス』第9巻650-655行

関連項目[編集]