イスラエル共産党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

イスラエル共産党ヘブライ語:המפלגה הקומוניסטית הישראלית アラビア語:الحزب الشيوعي الاسرائيلي‎)は、イスラエルの共産党。略称はヘブライ語の党名の頭文字を合わせた「マキ」(ヘブライ語:מק"י)。党名はヘブライ語で「ハ-ミフラガ・ハ-コムニスティート-ハ・イスラエリート」と読む。ナザレに党本部を置いている。2014年現在党首は存在せず、中央委員会による集団指導体制になっている。

党創設当初は、3種類の機関紙を発行していた。アラビア語で書かれた「アル=イッティハード」(連合)、ヘブライ語で書かれた「コル・ハ=アム」(人民の声)、ポーランド語で書かれた「ワルカ」(闘争)である。

概要[編集]

イスラエル共産党は歴史上2つ存在する(略称も同じ「マキ」)。まず、イスラエル建国直後の1948年に結党された党があったが、1973年7月25日に解党した。それとは別に、1965年9月1日に当初「ラカー」(ヘブライ語:רק"ח‎)と言う名前で結党され、2010年現在も存在している党がある。この2つの党に直接の繋がりはない。

ソビエト連邦はラカーが結党されると、ラカーを「共産党」として正式に承認した。イスラエル共産党議員はソビエト連邦を度々訪れ、親交を温めていた。

現在のマキは、モハンマド・バラケーが党首を務める政党「ハダシュ」の一部となっている。

ソビエト連邦を独裁的に統治したヨシフ・スターリンの存命時代には、スターリンを美化した絵を描いたポスターを製作していた[1]。このスターリン賛美の傾向は、マキに限ったことではなく、世界中の共産党が持っていたものである。

だが、スターリン主義や、その代弁者とみなされた既成の共産党を嫌って日本の新左翼が1960年代に産声をあげたのとほぼ同じくして、ソ連の影響下におかれていることを嫌った一部のマキ党員が新左翼組織「マツペン」を立ち上げる。マキよりも急進的な「反シオニズム」を掲げていた組織であったが、日本の新左翼が1970年代に入って分裂傾向が進んだのと同じように、支持するイデオロギーの違いで、マツペンはいくつかの潮流に分かれた。

このようなことがありながらも、マキはイスラエル国内で一定の支持を得ており、多くはないがクネセトに議席を持ち続けている。

党員[編集]

ユダヤ人がつくった政党であるが、イスラエル国籍を持つユダヤ人、アラブ人ともにマキの党員になることができる。

活動[編集]

マキは、イスラエル建国当初から領土拡張には反対してきた。それ以前のイギリスによる委任統治時代から、シオニズムを「イギリス帝国主義とユダヤ人ブルジョワの結託」と批判していた。ただ、イスラエル建国後は方針を修正し、イスラエル国家は認めるが、領土拡張には反対であるとした。現在は、具体策として1967年の第三次中東戦争で提案された停戦ラインをパレスチナとの国境とし、パレスチナとイスラエルの二国家共存論に立っている。

クネセト内では、他のアラブ系政党と協力してイスラエルの政府の政策に批判を加えている。

現状[編集]

先述の通り、マキはイスラエル国内で一定の支持がある。しかし、クネセトでの立場は万年野党とも言え、イスラエル建国後の歴史の中で連立政権に加わったことは一度もない。第三次中東戦争挙国一致内閣が誕生した際も、共産党は排除された。マパイ党に所属していたダヴィド・ベン=グリオンイスラエル初代首相は、「ヘルート(現在のリクード)とマキは政権から外す」という方針を貫いた。1993年に結ばれたオスロ合意にしても、イスラエル側の主導者はマパイの流れをくむ労働党であった。そもそも、宗教に否定的な共産主義政党が、宗教(ユダヤ教)を土台とする国家であるイスラエルで多数の議席を獲得するのは現状では困難と言える。また、聖地エルサレムの東部をパレスチナ側に割譲するという公式方針をとっているがゆえ、敬虔なユダヤ教徒や保守的なイスラエル国民の反感を買っている。ただ、マキは反民主主義政党ではないとされ、非合法化などの動きは見られない。イスラエルでは反民主主義的立場を取る政党はクネセトから締め出されることになっている(過去に極右政党「カハ」がこれを理由にクネセトから追放された)。

共産党議員や支持者のグループと、イスラエル警察や右翼のユダヤ人グループの間で度々トラブルが発生している[2]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]