なぞのユニコーン号

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なぞのユニコーン号
(Le Secret de la Licorne)
出版社 Casterman
発売日 1943年
シリーズ タンタンの冒険
製作者
ライター エルジェ
アーティスト エルジェ
オリジナル
掲載 Le Soir
掲載期間 1942年6月11日 - 1943年1月14日
言語 フランス語
ISBN ISBN 2-203-00110-0
翻訳版
出版社 福音館書店
発売日 1983年
ISBN ISBN 978-4834009514
翻訳者 川口恵子
年表
前作 ふしぎな流れ星英語版』、1942年
次作 レッド・ラッカムの宝英語版』、1944年

なぞのユニコーン号』(なぞのユニコーンごう、原題・仏語: Le Secret de la Licorne, 英語: The Secret of the Unicorn)は、ベルギーの漫画家エルジェによるコミックシリーズ『タンタンの冒険』の第11巻である。第12巻『レッド・ラッカムの宝英語版』と合わせて2部作となる物語の前編である。1942年6月11日から1943年1月14日のあいだにベルギーの新聞『Le Soir』に連載され、その約1年後に単行本にまとめられた。第二次世界大戦真っ只中、ベルギーがナチス・ドイツによって占領されていた頃に描かれた作品であり、『なぞのユニコーン号』は政治的なテーマを避けて純粋な冒険物語に焦点を当てた作品となっている。また、ベルギーのみを舞台としているのはシリーズ中でも本作のほかに1作しかない[1]

本エピソードは1992年にラジオドラマ化されたほか、『Hergé's Adventures of Tintin』と『The Adventures of Tintin』で2度テレビアニメ化され、さらにピーター・ジャクソン製作、スティーヴン・スピルバーグ監督による3Dモーションキャプチャ映画『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』(2011年)でも原作の一つとなった。

あらすじ[編集]

ブリュッセルの市場をぶらついていたタンタンは、古い船舶模型が売られているのを見つけ、友人のハドック船長英語版へのプレゼント用にでもしようと思い購入する。その直後、タンタンのもとに2人の男が現れてそれぞれ模型を売ってくれるように頼み込むが、彼は断った。タンタンが家に帰り、棚の上に模型を置いたところ、スノーウィによって落とされてマストが折れてしまう。それを簡単に修理した直後、ハドック船長が訪ねてきたために見せたところ、その模型はハドックの17世紀の先祖であるフランソワ・ド・アドック卿の軍艦ユニコーン号英語版と同じ姿形をしていることに驚く。話を聞いたタンタンが家に戻るとユニコーン号の模型は盗まれており、そして市場で合ったうちの一人である収集家のイワン・イワノビッチ・ネクラソフが怪しいと睨んで彼の家へ駆け込むが、間違いであると判り、そしてタンタンのものとそっくりの模型を持っていると知る。翌日タンタンは自室を掃除していると、ユニコーン号を置いていた棚の裏から見覚えのない丸まった小さな羊皮紙を発見する。タンタンはそれは元々先日スノーウィが壊したマストにくるまっていたものであり、宝のことを示す暗号が書かれていると推理する。

ハドックは自室で暴れながら先祖について説明する。フランソワ・ド・アドック卿率いるユニコーン号は西インド諸島を航海している際にレッド・ラッカム率いる海賊団と遭遇して戦闘になり、そして敗北した。唯一生き残ったアドックはレッド・ラッカムを倒し、そして船を爆破して脱出した。

その後今度はタンタンは市場で出会ったもう1人の男に出会ったが、直後に彼は何者かによって銃撃を食らってしまう。さらに後日、タンタン自身も誘拐されてしまう。誘拐犯の正体は悪徳骨董屋のバード兄弟であり、3隻目のユニコーン号模型の持ち主であった。彼らはタンタンとネクラソフの模型を盗んだ犯人でもあり、残りの羊皮紙を探し、レッド・ラッカムの宝を狙っていた。

タンタンはバード兄弟のムーランサール城から脱出を試み、また、ハドックとデュポンとデュボンも到着し、2人は逮捕された。しかしながら、兄弟は3枚のうち2枚の羊皮紙を持っていなかった。後日、タンタンはスリのアリスティド・チボー宅で、彼がバードから盗んだ2枚の羊皮紙が挟まっていた財布を見つけ、捕まったバードが持っていたのと合わせて3枚のそろえることができた。タンタンとハドックは3枚の羊皮紙を合わせて宝のありかの座標を検出し、冒険の計画を立て始めた。

歴史[編集]

背景[編集]

エルジェというペンネームで知られるベルギーの漫画家のジョルジュ・レミは当初、右派紙である『20世紀新聞英語版』で働き、タンタンという少年記者のキャラクターを思いついた。この新しいキャラクターは、タンタンがソビエト連邦の戦闘に関与するという内容漫画『タンタン ソビエトへ英語版』で初登場した。この作品は『20世紀新聞』の子供向け版である『20世紀子ども新聞英語版』紙上にて、1929年1月10日から1930年5月11日まで掲載された[2]。この成功を受け、エルジェは『タンタンの冒険』シリーズを執筆し、その後もタンタンをベルギー領コンゴ、アメリカ合衆国、エジプト、インド、中国、イギリス、さらにはサン・テオドロス英語版シルダビア英語版といった架空の国へ旅立たせた。

初期の作品では社会保守主義ファシズム帝国主義といった思想が反映されていた[3]。また後に彼は、第8巻『オトカル王の杖英語版』(1939年)でアドルフ・ヒトラーベニート・ムッソリーニを模した悪役のムットラーを登場させ、ナチス・ドイツとイタリアの外交政策を批判した[4]。後の作品『燃える水の国英語版』でも反独感情が表れており、それでの悪役のミュラー博士はイギリス委任統治領パレスチナの石油供給を妨害しようとするドイツの意図である[5]

1939年にヨーロッパを巻き込んだ第二次世界大戦が始まり、翌1940年にドイツはベルギーに侵攻した。エルジェは当初は亡命を考えていたが、結局は占領後も残り続けることに決めた[6]。ナチスに批判的であった『20世紀新聞』は占領軍によって廃刊に追い込まれ、『燃える水の国』は中断された[5]。失業したエルジェはその後、ドイツの管理下でも発行を許された人気新聞『ル・ソワール英語版』の幹部のレイモンド・デ・ベッカー英語版によってイラストレーターとして雇われた[7]。1940年10月17日、彼は同紙の子供版である『ル・ソワール・ジュニア』の編集者となり、新たなタンタンの冒険を描いた『金のはさみのカニ』(1941年)、『ふしぎな流れ星英語版』(1942年)の制作に着手した[8]。この新作では、厳しい政治情勢のためにエルジェはもはや『タンタンの冒険』に政治的テーマを入れることができなかった。タンタン研究家のハリー・トンプソン英語版の指摘の通り、タンタンの記者としての役割は終わり、新しく探検家にとって代わった[9]

『ふしぎな流れ星』が終盤を迎えると、エルジェは新たなタンタンの冒険を描いた『なぞのユニコーン号』の作業に取り掛かった。宝探しの「超ロマンチックなテーマ」を軸に、タンタン研究家のブノワ・ペーテルス英語版は後に「占領の厳しさからの現実逃避の行為」と指摘した[10]。単行本2冊に渡って1つの物語を描くという試みは、『ファラオの葉巻英語版』(1934年)と『青い蓮英語版』(1936年)でも行われていた。エルジェは本作を成功であると考え、『ななつの水晶球英語版』(1948年)と『太陽の神殿英語版』(1949年)、『めざすは月英語版』(1953年)と『月世界探検英語版』(1954年)でも繰り返された[11]

影響[編集]

『なぞのユニコーン号』の背景やその他イラストを描くにあたり、エルジェは以前の『タンタンの冒険』よりも沢山の写真などをモチーフとしてより多くの種類の絵を描いた[12]。彼は歴史的に正確に17世紀の軍艦ユニコーン号を表現するために努力し、パリの海軍博物館で発見された当時の資料を研究した。架空の船を創造するにあたって主に影響を受けたのは、1690年にル・アーヴルで建造されたル・ブリリアントという名の船である。また彼は17世紀の船の設計について理解を深めるために、ル・ソレイユ・ロイヤル、ラ・クローン、ラ・ロワイヤル、ル・レアーレ・デ・フランスといった船舶を研究した。彼がユニコーン号の雑用艇の設計の基礎を得たのは後者の船からだった[13][14]。ユニコーン号という名前はフランスではなく、18世紀半ばに活躍したイギリスのフリーゲート艦から取られた[13][14]

参考文献[編集]

脚注
  1. ^ Thompson 1991. p. 113.
  2. ^ Lofficier and Lofficier 2002. pp. 22–23.
  3. ^ Thompson 1991. p. 24.
  4. ^ Thompson 1991. p. 82.
  5. ^ a b Thompson 1991. pp. 90-91.
  6. ^ Thompson 1991. pp. 91-92.
  7. ^ Thompson 1991. pp. 92-93.
  8. ^ Thompson 1991. pp. 98-99.
  9. ^ Thompson 1991. p. 112.
  10. ^ Peeters 1989. p. 73.
  11. ^ Farr 2001. p. 105.
  12. ^ Farr 2001. p. 112.
  13. ^ a b Farr 2001. p. 111.
  14. ^ a b Peeters 1989. p. 75.
参考資料

外部リンク[編集]