いすゞ・ヒルマンミンクス

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いすゞ・ヒルマンミンクス(初代)
1953 Isuzu Hillman-Minx 01.jpg
販売期間 1953年 - 1956年
乗車定員 4人
ボディタイプ 4ドア セダン
エンジン 1.3L 水冷直列4気筒 SV
変速機 4速MT
全長 4,000mm
全幅 1,575mm
全高 1,524mm
ホイールベース 2,362mm
車両重量 956kg
-自動車のスペック表-
いすゞ・ヒルマンミンクス(2代目)
フロント
Hilman minx.JPG
リア(写真はイギリス本国生産車)
Hillman.minx.arp.750pix.jpg
販売期間 1956年 - 1964年
乗車定員 6人
エンジン GH150 1.5L 水冷直列4気筒 OHV
最高出力 62PS/4,600rpm
変速機 4MT
駆動方式 FR
全長 4,140mm
全幅 1,543mm
全高 1,510mm
ホイールベース 2,438mm
車両重量 1,065kg
後継 いすゞ・ベレット
-自動車のスペック表-

ヒルマンミンクスはかつていすゞ自動車ルーツ自動車と提携しCKD(完全ノックダウン生産)で製造販売していた自動車であり、それまでトラック/バス専業メーカーだった同社の乗用車分野進出の先駆けとなった。

ラインナップにはセダンのスーパーデラックス、スタンダードの他に、2ドアのライトバンワゴン型)であるヒルマンエキスプレスがあった。

日本では「ヒルマンミンクス」と続けて称されることも多いが、「ヒルマン」は元は独立メーカーの社名でルーツグループ傘下に入った後は同社の大衆車~中級車ブランドとなっており、「ミンクス」はヒルマンの量販車種のネームとして1930年代から30年以上にわたって用いられた、伝統ある車名である。日本でポピュラーな1956年からのモデルは、レイモンド・ローウィ事務所によるスタイリングである。

歴史[編集]

初代 PH10型(1953年-1956年)[編集]

イギリスルーツ自動車と提携し、ヒルマン・ミンクスMkVIを製造した。

  • 1953年11月 - ヒルマン・ミンクスMkVIのCKD組み立て車を発売。
  • 1954年7月 - 初めてのマイナーチェンジを行なった。
  • 1955年7月 - マイナーチェンジを行ないエンジンをOHV1,400ccに変更。
  • 1956年2月 - マイナーチェンジ。

2代目 PH100型(1956年-1964年)[編集]

エンジンも改良が進み、低回転域のトルクを増し、扱いやすさが向上した。品の良いスタイリングによって当時のオーナードライバーからの人気が高く、車格上の後継モデルのベレル、量販小型車種のベレットがそれぞれいすゞの自社開発で登場した後も1964年まで長期生産された。

いすゞの生産工程における品質管理水準は当時、すでに相当高度になっていた模様で、1958年4月に訪日した際にいすゞ製ミンクスを実見したイギリスの自動車評論家ロナルド・バーカーは、イギリス本国製のミンクスと比較して「日本製の方が細部の仕上げとたてつけがよいように見受けられた」[1]と後年記述している。

  • 1956年9月 - ヒルマン・ミンクスMkVIIIのノックダウン生産開始、徐々に国産品の導入を進め、翌年には国産化が完了。
  • 1958年1月 - 一部変更を行う。パワーアップし、スーパーDX追加。
    • 3月 - Std(スタンダード)を追加。
    • 6月 - マイナーチェンジ。ヒルマン50周年記念車ジュビリーを追加。
  • 1959年10月 - マイナーチェンジで1,500ccへ排気量アップした。
  • 1960年10月 - ハイスタイルを追加。
  • 1961年10月 - マイナーチェンジ。
  • 1962年10月 - 一部変更。
  • 1963年4月 - パワーアップ。
  • 1964年6月 - 生産終了。

後継車[編集]

  • ヒルマンミンクスの製造で蓄積したノウハウを投入したいすゞ・ベレットが1963年に後継車として登場した。

関連項目[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ロナルド・バーカー「初めての日本訪問(2)」(小林彰太郎訳 Super CG29号 p57 二玄社 1995年6月)

外部リンク[編集]