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== 生涯 ==
== 生涯 ==
[[ダブリン]]北部[[ミース県]]の[[タラの丘]]近くに建つ[[:en:Dunsany Castle and Demesne|ダンセイニ城]]を居城とする、いわゆる「[[アングロ・アイリッシュ]]」([[:en:Anglo-Irish people|en]])と呼ばれる支配階級の出身である。ロンドンに生まれ、12歳の時父の死去により爵位を継承する。
[[ダブリン]]北部[[ミース県]]の[[タラの丘]]近くに建つ[[:en:Dunsany Castle and Demesne|ダンセイニ城]]を居城とする、いわゆる「{{仮リンク|アングロ・アイリッシュ|en|Anglo-Irish people|label=アングロ・アイリッシュ}}」と呼ばれる支配階級の出身である。ロンドンに生まれ、12歳の時父の死去により爵位を継承する。


成人後はイギリス陸軍に入隊。1899年に[[南アフリカ]]での[[第二次ボーア戦争]]に従軍しボーア人共和国と戦う。1901年に帰国、ロンドンに居を定め[[ヴィクター・チャイルド・ヴィリアーズ (第7代ジャージー伯爵)|第7代ジャージー伯爵]]の娘ベアトリス・ヴィリアーズと結婚。
成人後はイギリス陸軍に入隊。1899年に[[南アフリカ]]での[[第二次ボーア戦争]]に従軍しボーア人共和国と戦う。1901年に帰国、ロンドンに居を定め[[ヴィクター・チャイルド・ヴィリアーズ (第7代ジャージー伯爵)|第7代ジャージー伯爵]]の娘ベアトリス・ヴィリアーズと結婚。
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『[[ペガーナの神々]]』、『{{仮リンク|エルフランドの王女|en|The King of Elfland's Daughter}}』などにより[[ファンタジー]]小説のジャンルで功績を残す。
『[[ペガーナの神々]]』、『{{仮リンク|エルフランドの王女|en|The King of Elfland's Daughter}}』などにより[[ファンタジー]]小説のジャンルで功績を残す。


執筆時期[[ケルト文学復興運動]]([[:en:Irish Literary Revival|en]])時代と被るが、[[アングロ・アイリッシュ]]出自や特定の文学活動や党派から距離を置く姿勢もあ、その活動は[[オーガスタ・グレゴリー|レディ・グレゴリー]]や[[ウィリアム・バトラー・イェイツ|イェイツ]]、[[ジョン・ミリントン・シング|シング]]らとは異なってアイルランド民族のアイデンティティあまり肩入したのではなかった<ref>[[アベイ座]]のために劇作を提供するなどはしている。なお、ダンセイニが戯曲に手を染めるようになったきっかけはイェイツの勧誘によるものという通説があるが、実際にはアイルランドの神秘家として有名だった[[ジョージ・ラッセル]](筆名 AE)の勧めによるもの。(「イェイツとハイド――文学と民俗学と」P81、『妖精のアイルランド 「取り替え子(チェンジリング)の文学史』平凡社新書、[[下楠昌哉]]著、2005年8月 </ref>。
ダンセイニ{{仮リンク|ケルト文学復興運動|en|Irish Literary Revival}}旗手ひととして[[オーガスタ・グレゴリー|レディ・グレゴリー]]や[[ウィリアム・バトラー・イェイツ|イェイツ]]、[[ジョン・ミリントン・シング|シング]]らととも数えられもするが<ref name="sullivan1998"/><ref name="willimason2015"/>{{Refn|group="注"|イェイツやグレゴリー夫人の[[アベイ座]]のために劇作を提供するなどはしている<ref name="sullivan1998"/>。なお、ダンセイニが戯曲に手を染めるようになったきっかけはイェイツの勧誘によるものという通説があるが、実際にはアイルランドの神秘家として有名だった[[ジョージ・ラッセル]](筆名 AE)の勧めによるもの<ref>[[下楠昌哉]]「イェイツとハイド――文学と民俗学と」、『妖精のアイルランド 「取り替え子(チェンジリング)の文学史』平凡社新書、2005年8月、p. 81</ref>。}}、アングロ・アイリッシュ貴族でも保守派なため、グレゴリーやイェイツらとはそがあわなかった<ref name="sullivan1998"/>。{{cn-span|アイルランドの出自や特定の文学活動や党派から距離を置く姿勢もあり、その活動はとは異なってアイルランド民族のアイデンティティにあまり肩入れしたものではなかった|date=2023年12月}}。ダンセイニは、主だったファンタジー作品を執筆する中で、なかなかアイルランドを対象にはせず、『{{仮リンク|賢女の呪い|en|The Curse of the Wise Woman}}』(1933年)に至って初めて母国を背景にしている<ref name="willimason2015"/>。


日本には[[大正]]時代に戯曲作家として紹介され、[[稲垣足穂]]らに影響を与えた<ref>[[井辻朱美]]([[由良君美]]『世界のオカルト文学 幻想文学・総解説84』自由国民社 1983年)</ref>。また「二壜の[[レリッシュ|調味料]]」は "[[奇妙な味]]" の古典として[[アンソロジー]]などに度々収録されている。
日本には[[大正]]時代に戯曲作家として紹介され、[[稲垣足穂]]らに影響を与えた<ref>[[井辻朱美]]([[由良君美]]『世界のオカルト文学 幻想文学・総解説84』自由国民社 1983年)</ref>。また「二壜の[[レリッシュ|調味料]]」は "[[奇妙な味]]" の古典として[[アンソロジー]]などに度々収録されている。
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*『[[ペガーナの神々]]』 ''The Gods of Pegana'' 1905年(短編集)
*『[[ペガーナの神々]]』 ''The Gods of Pegana'' 1905年(短編集)
*『時と神々』 ''Time and the Gods'' 1906年(短編集)
*『時と神々』 ''Time and the Gods'' 1906年(短編集)
*『ウェレランの剣』 ''The Sword of Welleran and Other Stories'' 1908年(短編集)
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*『夢見る人の物語』 ''A Dreamer's Tales'' 1910年(短編集)
*『夢見る人の物語』 ''A Dreamer's Tales'' 1910年(短編集)
*''The Book of Wonder'' 1912年(短編集)
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*『牧神の祝福』 ''The Blessing of Pan'' 1927年
*『牧神の祝福』 ''The Blessing of Pan'' 1927年
*''The Travel Tales of Mr. Joseph Jorkens'' 1931年(短編集)
*''The Travel Tales of Mr. Joseph Jorkens'' 1931年(短編集)
*『賢女の呪い』''The Curse of the Wise Woman'' 1933年
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*''Jorkens Remembers Africa'' 1934年(短編集)
*''Jorkens Remembers Africa'' 1934年(短編集)
*''Up in the Hills'' 1935年
*''Up in the Hills'' 1935年
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* ダンセイニ戯曲集
* ダンセイニ戯曲集
** [[松村みね子]]訳、沖積舎、1991年、新版2018年
** [[松村みね子]]訳、沖積舎、1991年、新版2018年

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}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==

2023年12月7日 (木) 22:42時点における版

ロード・ダンセイニ

ロード・ダンセイニもしくはダンセイニ卿(Lord Dunsany、1878年7月24日 - 1957年10月25日)はアイルランド小説家軍人。フルネームは第18代ダンセイニ男爵エドワード・ジョン・モアトン・ドラックス・プランケット(Edward John Moreton Drax Plunkett, 18th Baron of Dunsany)[注 1]

生涯

ダブリン北部ミース県タラの丘近くに建つダンセイニ城を居城とする、いわゆる「アングロ・アイリッシュ英語版」と呼ばれる支配階級の出身である。ロンドンに生まれ、12歳の時父の死去により爵位を継承する。

成人後はイギリス陸軍に入隊。1899年に南アフリカでの第二次ボーア戦争に従軍しボーア人共和国と戦う。1901年に帰国、ロンドンに居を定め第7代ジャージー伯爵の娘ベアトリス・ヴィリアーズと結婚。

作家としての活動は、1905年の『ペガーナの神々』の自費出版より始まる。これはデーヴィッド・ベラスコジョン・ルーサー・ロングの劇 The Darling of the Gods に触発されたものであり、翌年には『時と神々』を出版。

第一次世界大戦ではフランスなどへ出征。この頃の体験は後に Tales of War などの作品にまとめられる。1916年のイースター蜂起ではイギリス軍人としてアイルランド共和主義者の鎮圧に当たった。

戦後は長篇にも手を染め、1920年に『影の谷年代記』を発表。1924年の第2長編『エルフランドの王女』は好評を得た。後半生ではミステリーやユーモア小説の執筆が増え、短編ミステリ「二壜の調味料 (Two Bottles of Relish)」はエラリー・クイーンらの高評を受けてクイーンの定員にも選ばれる。

第二次世界大戦中は在住していたケント州にてドイツ軍の空襲から村を守る任務に付く。晩年はチェス三昧の暮らしを続けていたが、1957年に消化器疾患にて死去。遺言により同州のショアハム共同墓地に葬られた。

チェス・プレイヤーとしても高名で、ホセ・ラウル・カパブランカとの指導対局で引き分けたこともある[1]チェス・プロブレムを『タイムズ文芸付録』紙にしばしば掲載していた[2]

作品

作風

ペガーナの神々』、『エルフランドの王女英語版』などによりファンタジー小説のジャンルで功績を残す。

ダンセイニはケルト文学復興運動英語版の旗手のひとりとしてレディ・グレゴリーイェイツシングらとともに数えられもするが[3][4][注 2]、アングロ・アイリッシュ貴族でも保守派なため、グレゴリーやイェイツらとはそりがあわなかった[3]アイルランドの出自や特定の文学活動や党派から距離を置く姿勢もあり、その活動はとは異なってアイルランド民族のアイデンティティにあまり肩入れしたものではなかった[要出典]。ダンセイニは、主だったファンタジー作品を執筆する中で、なかなかアイルランドを対象にはせず、『賢女の呪い英語版』(1933年)に至って初めて母国を背景にしている[4]

日本には大正時代に戯曲作家として紹介され、稲垣足穂らに影響を与えた[6]。また「二壜の調味料」は "奇妙な味" の古典としてアンソロジーなどに度々収録されている。

作品リスト

小説

  • ペガーナの神々The Gods of Pegana 1905年(短編集)
  • 『時と神々』 Time and the Gods 1906年(短編集)
  • 『ウェレランの剣』英語版 The Sword of Welleran and Other Stories 1908年(短編集)
  • 『夢見る人の物語』 A Dreamer's Tales 1910年(短編集)
  • The Book of Wonder 1912年(短編集)
  • Fifty-One Tales 1915年(短編集)
  • Tales of Wonder 1916年(短編集)
  • Tales of War 1918年(短編集)
  • Unhappy Far-Off Things 1919年(短編集)
  • Tales of Three Hemispheres 1919年(短編集)
  • The Chronicles of Rodriguez 1922年(短編集)
  • 『エルフランドの王女』 The King of Elfland's Daughter 1924年
  • 『魔法使いの弟子』 The Charwoman's Shadow 1926年
  • 『牧神の祝福』 The Blessing of Pan 1927年
  • The Travel Tales of Mr. Joseph Jorkens 1931年(短編集)
  • 賢女の呪い英語版The Curse of the Wise Woman 1933年
  • Jorkens Remembers Africa 1934年(短編集)
  • Up in the Hills 1935年
  • Rory and Bran 1936年
  • My Talks With Dean Spanley 1936年
  • The Story of Mona Sheehy 1939年
  • Jorkens Has a Large Whiskey 1940年(短編集)
  • Guerilla 1944年
  • The Fourth Book of Jorkens 1947年(短編集)
  • The Man Who Ate the Phoenix 1949年(短編集)
  • The Strange Journeys of Colonel Polders 1950年
  • The Last Revolution 1951年
  • 『スミザーズの話(二壜の調味料)』 The Little Tales of Smethers and Other Stories 1952年(短編集)
  • His Fellow Men 1952年
  • Jorkens Borrows Another Whiskey 1954年(短編集)

戯曲

  • Five Plays 1914年
  • Plays of Gods and Men 1917年
  • If 1921年
  • Plays of Near and Far 1922年
  • Alexander and Three Small Plays 1925年
  • Seven Modern Comedies 1928年
  • The Old Folk of the Centuries 1930年
  • Lord Adrian 1933年
  • Mr Faithful 1935年
  • Plays for Earth and Air 1937年

  • Fifty Poems 1929年
  • Mirage Water 1938年
  • War Poems 1941年
  • Wandering Songs 1943年
  • A Journey 1944年
  • The Year 1946年
  • The Odes of Horace 1947年
  • To Awaken Pegasus 1949年

ノンフィクション(自伝・評論・他)

  • If I Were Dictater 1934年(政治パンフレット)
  • My Ireland 1937年
  • Patches of Sunlight 1938年(自伝)
  • While the Sirens Slept 1944年(自伝)
  • The Sirens Wake 1945年(自伝)
  • The Donnellan Lectures 1945年(講演集)
  • A Glimpse From A Watch Tower 1946年

日本語訳一覧

  • ダンセイニ幻想小説集
  • ペガーナの神々(短編集)
  • 魔法の国の旅人(短篇集)
    • 荒俣宏訳、ハヤカワ文庫FT、1982年
  • 妖精族のむすめ(短編集)
  • ヤン川の舟唄(短篇集)
  • 世界の涯の物語(短篇集)。The Book of Wonder および Tales of Wonder の翻訳
  • 夢見る人の物語(短篇集)。The Sword of Welleran and Other Stories および A Dreamer's Tales の翻訳
    • 中野善夫・中村融・安野玲・吉村満美子訳、河出文庫、2004年
  • 時と神々の物語(短篇集)。Time and the Gods および Tales of Three Hemispheres の翻訳
    • 中野善夫・中村融・安野玲・吉村満美子訳、河出文庫、2005年
  • 最後の夢の物語(短篇集)。The Man Who Ate the Phoenix および Fifty-One Tales の翻訳
    • 中野善夫・安野玲・吉村満美子訳、河出文庫、2006年
  • ウィスキー&ジョーキンズ:ダンセイニの幻想法螺話(短篇集)
  • 二壜の調味料(短篇集)
  • 影の谷物語(長篇)
    • 『影の国年代記』原葵訳、月刊ペン社 「妖精文庫」、1979年
    • 『影の谷物語』原葵訳、ちくま文庫、1991年
  • エルフランドの王女(長篇)
    • 原葵訳、月刊ペン社「妖精文庫」、1977年
    • 原葵訳、沖積舎、1991年、新版1998年、2018年
  • 魔法使いの弟子(長篇)
    • 荒俣宏訳、ハヤカワ文庫FT、1981年/ちくま文庫、1994年
  • 牧神の祝福(長篇)
    • 杉山洋子訳、月刊ペン社「妖精文庫」、1981年
  • ダンセイニ戯曲集

注釈

  1. ^ 「ロード」はペンネームではなく男爵位に対する敬称である。
  2. ^ イェイツやグレゴリー夫人のアベイ座のために劇作を提供するなどはしている[3]。なお、ダンセイニが戯曲に手を染めるようになったきっかけはイェイツの勧誘によるものという通説があるが、実際にはアイルランドの神秘家として有名だったジョージ・ラッセル(筆名 AE)の勧めによるもの[5]

脚注

  1. ^ Lord Dunsany and Chess
  2. ^ 若島正編『モーフィー時計の午前零時』国書刊行会 2009年
  3. ^ a b c Sullivan III, C. W. (Winter 1998). “Celtic Myth and English-Language Fantasy Literature: Possible New Directions”. Journal of the Fantastic in the Arts (International Association for the Fantastic in the Arts) 10 (1 (37)): 90. doi:10.2307/1177429. JSTOR 43308327. 
  4. ^ a b Jamie, Williamson (2015). The Evolution of Modern Fantasy: From Antiquarianism to the Ballantine Adult Fantasy Series. Springer. pp. 134–135. ISBN 9781137515797. https://books.google.com/books?id=nGFOCgAAQBAJ&lpg=PA134 
  5. ^ 下楠昌哉「イェイツとハイド――文学と民俗学と」、『妖精のアイルランド 「取り替え子(チェンジリング)の文学史』平凡社新書、2005年8月、p. 81
  6. ^ 井辻朱美由良君美『世界のオカルト文学 幻想文学・総解説84』自由国民社 1983年)

参考文献

  • H・P・ラヴクラフト 『文学における超自然の恐怖』 大瀧啓裕訳、学研 2009年
  • 荒俣宏 『別世界通信』 イースト・プレス 2002年。旧版・月刊ペン社 1977年/ちくま文庫 1987年
  • リン・カーター 『ファンタジーの歴史 空想世界』 中村融訳、東京創元社 2004年
  • 下楠昌哉 『妖精のアイルランド 「取り替え子(チェンジリング)の文学史』 平凡社新書 2005年

外部リンク

アイルランドの爵位
先代
ジョン・ウィリアム・プランケット英語版
ダンセイニ男爵
1899年 – 1957年
次代
ランダル・アーサー・ヘンリー・プランケット英語版