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ローマ帝国が衰亡した後も、人間の活動域の拡大に伴ってバーバリライオンの生息地は減っていった。そして近代にはいると、娯楽としての狩猟と[[動物園]]用の捕獲がさらにバーバリライオンを追いつめた。[[アルジェリア]]と[[チュニジア]]からは[[1891年]]に姿を消し、モロッコでは最後の野生個体が[[1922年]]に射殺され[[絶滅]]したというのが通説となっていた。
ローマ帝国が衰亡した後も、人間の活動域の拡大に伴ってバーバリライオンの生息地は減っていった。そして近代にはいると、娯楽としての狩猟と[[動物園]]用の捕獲がさらにバーバリライオンを追いつめた。[[アルジェリア]]と[[チュニジア]]からは[[1891年]]に姿を消し、モロッコでは最後の野生個体が[[1922年]]に射殺され[[絶滅]]したというのが通説となっていた。

しかし、後の調査によって[[アルジェリア]]や[[モロッコ]]に小規模の個体群が1960年代まで生存していた可能性が示唆されている。<ref name="Black et al.2013">{{cite journal |last1=Black |first1=S. A. |last2=Fellous |first2=A. |last3=Yamaguchi |first3=N. |last4=Roberts |first4=D. L. |year=2013 |title=Examining the Extinction of the Barbary Lion and Its Implications for Felid Conservation |journal=PLOS ONE |volume=8 |issue=4 |page=e60174 |doi=10.1371/journal.pone.0060174 |pmid=23573239 |pmc=3616087}}</ref>


== 再発見 ==
== 再発見 ==

2018年12月8日 (土) 15:02時点における版

バーバリライオン
1898年の絵
分類
ドメイン : 真核生物 Eukaryota
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 哺乳綱 Mammalia
: 食肉目 Carnivora
: ネコ科 Felidae
: ヒョウ属 Panthera
: ライオン P. leo
亜種 : バーバリライオン P. l. leo
学名
Panthera leo leoLinnaeus, 1758
和名
バーバリーライオン
英名
Barbary Lion
Atlas Lion
Nubian Lion

バーバリライオンPanthera leo leo)は、食肉目ネコ科に属するライオンの一亜種で、アフリカ北部(マグリブ。現在のエジプトからモロッコにかけて)に生息していた。別名アトラスライオン

記録された最大の個体は全長は4m以上(3.25mの頭胴長と75cmの尻尾)と現存のどの亜種よりも大型で、胸板が厚く、非常に黒いたてがみは長く伸びて胴にまで達していたと言われている。だが、飼育下の個体のサイズと比較したことにより、この記録の信憑性は問われている。全体的には、同じく最大亜種の一つと考えられているケープライオン(絶滅種)と似通った特徴を持つ。彼ら同様のネコ科最大種の一つであるカスピトラとは、分布こそ近接するものの棲み分けがなされていたものと思われる。他のライオンとは違い、山間の森林を好んだ。古代古典上で見られるガエトゥリライオンは、特徴がバーバリライオンに似た印象を持つ。

絶滅

Sultan the Barbary Lion, New York Zoo, 1897

古くから人間の活動が盛んであった地中海周辺では、バーバリライオンの雄姿は見世物として重宝された。カエサルは400頭、ポンペイウスは600頭のバーバリライオンを戦勝パレード用にローマに連れてきたという。競技場で剣闘士と戦わせられたともいう。

ローマ帝国が衰亡した後も、人間の活動域の拡大に伴ってバーバリライオンの生息地は減っていった。そして近代にはいると、娯楽としての狩猟と動物園用の捕獲がさらにバーバリライオンを追いつめた。アルジェリアチュニジアからは1891年に姿を消し、モロッコでは最後の野生個体が1922年に射殺され絶滅したというのが通説となっていた。

しかし、後の調査によってアルジェリアモロッコに小規模の個体群が1960年代まで生存していた可能性が示唆されている。[1]

再発見

しかし、1996年に再発見され、2007年に1頭生息しているのが確認された[2]。しかし、これが純血種のバーバリライオンであるかどうかは定かではない。また、混血種の飼育下繁殖は現在でも行われており、フランスの動物園で50頭ほど飼育されている[3]

その後、原産地のモロッコのムハンマド5世の私的動物園で、かつて献上品として捕獲されたバーバリライオン達が飼育され続けており、全世界で確認されている個体数の半数にあたる32頭もの純血種の個体群がまだ生き残っていた事実が判明。2012年に首都ラバトに開園したラバト動物園にて、繁殖の取り組みが行われている。また動物園開業直後には3頭の子ライオンが誕生するという明るいニュースが伝えられた[4]

Alfred Edward Peaseによって撮影されたアルジェリアのバーバリライオン (1893年)

エピソード

フランスの国立自然史博物館に展示されている雌雄一組の標本

脚注

  1. ^ Black, S. A.; Fellous, A.; Yamaguchi, N.; Roberts, D. L. (2013). “Examining the Extinction of the Barbary Lion and Its Implications for Felid Conservation”. PLOS ONE 8 (4): e60174. doi:10.1371/journal.pone.0060174. PMC 3616087. PMID 23573239. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3616087/. 
  2. ^ BBC NEWS Africa
  3. ^ 希少なバーバリライオンの子ども、順調に生育
  4. ^ アトラスライオンを絶滅から救え、ラバト動物園の挑戦
  5. ^ バーバリライオンと明記されてないが舞台の場所と「黒いライオン」という表現から、これを指していると分かる。

関連項目