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養父神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
養父神社

拝殿
所在地 兵庫県養父市養父市場840
位置 北緯35度23分14.6秒 東経134度48分13.7秒 / 北緯35.387389度 東経134.803806度 / 35.387389; 134.803806座標: 北緯35度23分14.6秒 東経134度48分13.7秒 / 北緯35.387389度 東経134.803806度 / 35.387389; 134.803806
主祭神 倉稲魂命
大己貴命
少彦名命
谿羽道主命
船帆足尼命
社格 式内社名神大2座、小3座)
但馬国三宮
県社
創建 (伝)崇神天皇30年
本殿の様式 入母屋造檜皮葺
例祭 10月10日
主な神事 お走り祭り(4月第3日曜日とその前日)
地図
養父神社の位置(兵庫県内)
養父神社
養父神社
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境内入り口

養父神社(やぶじんじゃ)は、兵庫県養父市養父市場にある神社但馬国三宮式内社名神大社2座、小社3座)で、旧社格県社

「養父の明神さん」と呼ばれ、農業の神として知られる。養父市場は古くから但馬牛の牛市の中心地であり、現在でも近隣の大藪で但馬牛のせり市が開かれている。

祭神

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現在の祭神は次の5座。

江戸時代に編纂された地誌『但馬考』にはかつて弥高山の山頂にあったとされる上社に大己貴命、中腹の中社に倉稲魂命と少彦名命、現社地である下社に谿羽道主命を祀るとの記述がある。『特選神名牒』では大己貴命以外の4座を不詳としている。昭和3年(1928年)発行の『養父郡誌』では上社が保食神五十猛神、中社が少彦名命、下社が谿羽道主命と船帆足尼命としている[1]

歴史

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崇神天皇30年創祀と伝えられ、天平9年(737年)の『但馬国税正帳』にも出石神社粟鹿神社とともにその名が見える。

神階は承和12年(845年)に従五位下を授けられ(『続日本後紀』)、貞観11年(869年)に正五位下、同16年(874年)に正五位上まで昇叙した(『日本三代実録』)。『延喜式神名帳』には「夜夫坐神社五座(名神大二座小三座)」との記載がある[1]

江戸時代には水谷山普賢寺が別当寺であった。

1814年(文化11年)には、伊能忠敬測量に訪れている。

境内

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祭事

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文化財

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兵庫県登録文化財

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  • 有形文化財
    • 養父神社 5棟(建造物) - 2010年(平成22年)3月5日登録[2]
      • 本殿 - 江戸時代末期の造営。
      • 拝殿 - 江戸時代末期の造営。
      • 摂社山野口神社本殿 - 江戸時代末期の造営。
      • 摂社五社神社本殿 - 江戸時代末期の造営。

養父市指定文化財

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  • 有形文化財
    • 石造宝篋印塔 - 1977年(昭和52年)5月18日指定[3]
  • 無形民俗文化財
    • お走り祭り

交通

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周辺

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脚注

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  1. ^ a b 『日本の神々(7)山陰』331頁
  2. ^ 県登録文化財一覧” (PDF). 兵庫県立教育研修所. 2020年1月13日閲覧。
  3. ^ 石造宝篋印塔 説明板。

参考文献

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  • 谷川健一編 『日本の神々 神社と聖地 7 山陰』(新装復刊) 2000年 白水社 ISBN 978-4-560-02507-9
  • 『式内社調査報告』第19巻 山陰道2、皇學館大學出版部、昭和59年
  • 『兵庫縣神社誌』下巻(兵庫縣神職會刊行、昭和13年の復刻)、臨川書店、昭和59年ISBN 4-653-01102-8

外部リンク

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