養父神社
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養父神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 兵庫県養父市養父市場840 |
位置 | 北緯35度23分14.6秒 東経134度48分13.7秒 / 北緯35.387389度 東経134.803806度座標: 北緯35度23分14.6秒 東経134度48分13.7秒 / 北緯35.387389度 東経134.803806度 |
主祭神 |
倉稲魂命 大己貴命 少彦名命 谿羽道主命 船帆足尼命 |
社格等 |
式内社(名神大2座、小3座) 但馬国三宮 旧県社 |
創建 | (伝)崇神天皇30年 |
本殿の様式 | 入母屋造檜皮葺 |
例祭 | 10月10日 |
主な神事 | お走り祭り(4月第3日曜日とその前日) |
地図 |
養父神社(やぶじんじゃ)は、兵庫県養父市養父市場にある神社。但馬国三宮、式内社(名神大社2座、小社3座)で、旧社格は県社。
「養父の明神さん」と呼ばれ、農業の神として知られる。養父市場は古くから但馬牛の牛市の中心地であり、現在でも近隣の大藪で但馬牛のせり市が開かれている。
祭神
[編集]現在の祭神は次の5座。
江戸時代に編纂された地誌『但馬考』にはかつて弥高山の山頂にあったとされる上社に大己貴命、中腹の中社に倉稲魂命と少彦名命、現社地である下社に谿羽道主命を祀るとの記述がある。『特選神名牒』では大己貴命以外の4座を不詳としている。昭和3年(1928年)発行の『養父郡誌』では上社が保食神と五十猛神、中社が少彦名命、下社が谿羽道主命と船帆足尼命としている[1]。
歴史
[編集]崇神天皇30年創祀と伝えられ、天平9年(737年)の『但馬国税正帳』にも出石神社、粟鹿神社とともにその名が見える。
神階は承和12年(845年)に従五位下を授けられ(『続日本後紀』)、貞観11年(869年)に正五位下、同16年(874年)に正五位上まで昇叙した(『日本三代実録』)。『延喜式神名帳』には「夜夫坐神社五座(名神大二座小三座)」との記載がある[1]。
江戸時代には水谷山普賢寺が別当寺であった。
境内
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社殿
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本殿
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宝篋印塔(養父市指定文化財)
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山野口神社
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境内社
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境内社
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鳥居
祭事
[編集]文化財
[編集]兵庫県登録文化財
[編集]- 有形文化財
- 養父神社 5棟(建造物) - 2010年(平成22年)3月5日登録[2]。
- 本殿 - 江戸時代末期の造営。
- 拝殿 - 江戸時代末期の造営。
- 摂社山野口神社本殿 - 江戸時代末期の造営。
- 摂社五社神社本殿 - 江戸時代末期の造営。
- 養父神社 5棟(建造物) - 2010年(平成22年)3月5日登録[2]。
養父市指定文化財
[編集]- 有形文化財
- 石造宝篋印塔 - 1977年(昭和52年)5月18日指定[3]。
- 無形民俗文化財
- お走り祭り
交通
[編集]- 鉄道・バス
- 道路
周辺
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 谷川健一編 『日本の神々 神社と聖地 7 山陰』(新装復刊) 2000年 白水社 ISBN 978-4-560-02507-9
- 『式内社調査報告』第19巻 山陰道2、皇學館大學出版部、昭和59年
- 『兵庫縣神社誌』下巻(兵庫縣神職會刊行、昭和13年の復刻)、臨川書店、昭和59年ISBN 4-653-01102-8