粟鹿神社

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粟鹿神社
Awaga Jinja Haiden.jpg
拝殿
所在地 兵庫県朝来市山東町粟鹿2152
位置 北緯35度18分2.89秒
東経134度54分17.32秒
座標: 北緯35度18分2.89秒 東経134度54分17.32秒
主祭神 彦火々出見命
日子坐王
阿米美佐利命
社格 式内社名神大
但馬国一宮または二宮
県社
創建 不詳
本殿の様式 流造銅板葺
例祭 10月17日
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鳥居

粟鹿神社(あわがじんじゃ)は、兵庫県朝来市にある神社式内社名神大社)、但馬国一宮または二宮旧社格県社。但馬五社の一社ともされる。

概要[編集]

但馬国随一の古社であり、2000年以上の歴史があるとも言われる。日下部氏との関係が深い。

粟鹿とは、鹿が粟を三束くわえて山(粟鹿山)から現れ、人々に農耕を教えたことからつけられ、粟鹿神社にその鹿が祀られていると言う。

祭神[編集]

主祭神は以下の3柱。

歴史[編集]

概史[編集]

但馬主要3神の神階
出石神 粟鹿神 養父神
845年 無位
→従五位下
無位
→従五位下
無位
→従五位下
868年 従五位上
→正五位下
従五位上
→正五位下
869年 従五位上
→正五位下
874年 正五位下
→正五位上
正五位下
→正五位上
正五位下
→正五位上
神名帳 名神大8座 名神大1座 名神大2座
小3座
一宮制 一宮 二宮 三宮?

「粟鹿神」の記述は古代史料から見え、天平9年(737年)の『但馬国正税帳』[1]によると、粟鹿神戸は租代が六十六束二把、調絁二匹疋丈五尺を直稲百六十五束で買い取るとある。更に、『新抄格勅符抄大同元年(806年)牒[2]には、「粟鹿神」に但馬国から神戸が二戸充てるとある。『延喜式神名帳』では、但馬国朝来郡に「粟鹿神社 名神大」として、名神大社に列すると記載されている。

弘安4年(1281年)、蒙古襲来に際し、当社に勅使卜部兼直を遣わし祈願した際に勅使門が建立される。この勅使門は、応仁の乱の兵火で社殿が消失した際唯一焼亡を免れたとされ、それ以前から残る唯一の建物とされている。

近代社格制度では、明治5年(1872年)2月に郷社、明治12年(1879年)5月に県社に列格した。

但馬国一宮について[編集]

但馬国一宮は出石神社と当社の二社とされる。但し、いくつかの資料で異なっており、鎌倉時代但馬国大田文では当社を二宮としているが、室町時代大日本国一宮記では当社を一宮に挙げ、出石神社が記載されていない。現在は両社ともが但馬国一宮を称し、全国一の宮会に加盟している。

神階[編集]

  • 承和12年(845年)7月16日、無位から従五位下 (『続日本後紀』)[3] - 表記は「粟鹿神」。
  • 貞観10年(868年)12月27日、従五位上から正五位下 (『日本三代実録』)[4] - 表記は「粟鹿神」。
  • 貞観16年(874年)3月14日、正五位下から正五位上 (『日本三代実録』)[5] - 表記は「粟鹿神」。

境内[編集]

祭事[編集]

現地情報[編集]

所在地
交通アクセス

鉄道

バス

周辺

参考文献[編集]

  • 粟鹿神社由緒書
  • 社頭案内板
  • 粟鹿神社(但馬国朝来郡)”. 國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」. 2018年11月13日閲覧。

脚注[編集]

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  1. ^ 『正倉院文書』正集36 天平9年(737年)『但馬国正税帳』(神道・神社史料集成参照)。
  2. ^ 『新抄格勅符抄』巻10(神事諸家封戸)大同元年(806年)牒(神道・神社史料集成参照)。
  3. ^ 『続日本後紀』承和12年(845年)7月辛酉(16日)条(神道・神社史料集成参照)。
  4. ^ 『日本三代実録』貞観10年(868年)12月27日条(神道・神社史料集成参照)。
  5. ^ 『日本三代実録』貞観16年(874年)3月14日条(神道・神社史料集成参照)。

関連項目[編集]