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鎌苅

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日本 > 千葉県 > 印西市 > 鎌苅
鎌苅
鎌苅の位置(千葉県内)
鎌苅
鎌苅
鎌苅の位置
北緯35度46分28秒 東経140度11分20.3秒 / 北緯35.77444度 東経140.188972度 / 35.77444; 140.188972
日本の旗 日本
都道府県 千葉県
市町村 印西市
地区 印旛地区
標高
32 m
人口
2017年(平成29年)10月31日現在)[1]
 • 合計 425人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
270-1613[2]
市外局番 0476[3]
ナンバープレート 習志野
※座標・標高は東祥禅寺付近

鎌苅(かまがり)は、千葉県印西市大字郵便番号270-1613[2]

地理

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北は角田、北西は荒野萩原、東は舞姫瀬戸、南東は鎌苅干拓、南は師戸干拓師戸、南西は岩戸、西は大廻に隣接している。

歴史

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江戸期は鎌苅村であり、下総国印旛郡のうち。元禄9年頃は佐倉藩領、旗本土屋氏ほか4氏の相給、「各村級分」では旗本杉原氏ほか5氏の相給、「旧高旧領」では佐倉藩領。村高は「元禄郷帳」270石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに299石余。水戸街道我孫子宿の助郷村。元和4年瀬戸村との境の秣場入会いをめぐり、また享保3年には大廻村との境の橋谷津・寺下谷津の所有をめぐりそれぞれ争論となっている。享保12年山水帳では古山新山合わせて29町余。寛保4年宗門書抜帳では、家数68・人数273。安政5年頃の反別田23町余・畑8町余・新田畑10町余(石橋家文書)。神社は宗像神社、寺院は曹洞宗東祥寺、天台宗円照院、ほかに禅宗新願寺。明治6年千葉県に所属。同20年岩戸尋常小学校分校が開校。明治22年宗像村の大字となる[4]

年表

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世帯数と人口

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2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
鎌苅 278世帯 425人

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

番地 小学校 中学校
全域 印西市立いには野小学校 印西市立印旛中学校

施設

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交通

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道路

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脚注

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  1. ^ a b 印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
  4. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201、269頁
  5. ^ 印西市立小・中学校の通学区域”. 印西市 (2020年4月1日). 2020年4月14日閲覧。