鎌苅
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鎌苅 | |
---|---|
北緯35度46分28秒 東経140度11分20.3秒 / 北緯35.77444度 東経140.188972度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 印西市 |
地区 | 印旛地区 |
標高 | 32 m |
人口 | |
• 合計 | 425人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
270-1613[2] |
市外局番 | 0476[3] |
ナンバープレート | 習志野 |
※座標・標高は東祥禅寺付近 |
鎌苅(かまがり)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-1613[2]。
地理
[編集]北は角田、北西は荒野、萩原、東は舞姫、瀬戸、南東は鎌苅干拓、南は師戸干拓、師戸、南西は岩戸、西は大廻に隣接している。
歴史
[編集]江戸期は鎌苅村であり、下総国印旛郡のうち。元禄9年頃は佐倉藩領、旗本土屋氏ほか4氏の相給、「各村級分」では旗本杉原氏ほか5氏の相給、「旧高旧領」では佐倉藩領。村高は「元禄郷帳」270石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに299石余。水戸街道我孫子宿の助郷村。元和4年瀬戸村との境の秣場入会いをめぐり、また享保3年には大廻村との境の橋谷津・寺下谷津の所有をめぐりそれぞれ争論となっている。享保12年山水帳では古山新山合わせて29町余。寛保4年宗門書抜帳では、家数68・人数273。安政5年頃の反別田23町余・畑8町余・新田畑10町余(石橋家文書)。神社は宗像神社、寺院は曹洞宗東祥寺、天台宗円照院、ほかに禅宗新願寺。明治6年千葉県に所属。同20年岩戸尋常小学校分校が開校。明治22年宗像村の大字となる[4]。
年表
[編集]- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 宗像村大字鎌苅になる。
- 1955年(昭和30年)3月10日 - 印旛村鎌苅となる。
- 2010年(平成22年)3月23日 - 印西市鎌苅となる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
鎌苅 | 278世帯 | 425人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 印西市立いには野小学校 | 印西市立印旛中学校 |
施設
[編集]- 印西地区消防組合印旛消防署
- 日本医科大学看護専門学校
- 日本医科大学千葉北総病院
- 印西市商工会印旛支所
- 鎌苅地区構造改善センター
- 宗像神社
- 鷲宮神社
- 東祥禅寺
- 鎌苅不動堂
交通
[編集]道路
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201、269頁
- ^ “印西市立小・中学校の通学区域”. 印西市 (2020年4月1日). 2020年4月14日閲覧。
角田 | 荒野、萩原 | |||
大廻 | 舞姫、 瀬戸 | |||
鎌苅 | ||||
岩戸 | 師戸、師戸干拓 | 鎌苅干拓 |