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野村貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野村 貞
生誕 1845年2月22日
死没 (1899-05-04) 1899年5月4日(54歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1870年 - 1899年
最終階級 海軍少将
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野村 貞(のむら ただし[1]1845年2月22日弘化2年1月16日) - 1899年明治32年)5月4日)は、日本武士越後長岡藩士)、海軍軍人海軍少将)。

日清戦争で武勲を挙げ、越後長岡藩出身の最初の海軍将官となった。

長岡藩家老河合継之助は、野村の従兄である[1]。また、連合艦隊司令長官山本五十六は、野村の甥である(野村の妻である「はる」[1]は、高野貞吉〈山本五十六の実父〉の妹)[2]

人物・来歴

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野村貞。戊辰戦争頃の撮影[3]

父は、長岡藩用人[4]、長岡藩軍事奉行[5]を務めた萩原要人[1]

奥羽越列藩同盟に加わった長岡藩の一員として戊辰戦争に従軍し、砲軍司令士として砲兵隊を率い武名があった。17歳の時に野村氏を嗣ぐが、「野村」へ改姓したのは戊辰戦争後であった。

維新後は近藤塾(のちの攻玉社)に在籍し海軍兵学寮に通学したが、通学生が廃止されたことに伴い退寮扱いとなる[6]。しかし教授、助教に次ぐ教員職である少得業生となり、兵学寮において句読手伝い、算術教授の業務に就いた。7か月後、野村は「龍驤」乗組士官(砲術)を命ぜられ、海軍将校の道を歩むこととなった。

1871年(明治4年)に海軍中尉に任官。翌年には大尉へ進み、「日進」副長、東海水兵本営副長を歴任。「日進」副長時代は西南戦争に従軍している[7]1881年(明治14年)2月に少佐へ進級。少佐、中佐の時期は造兵廠長職を除き海上勤務に終始し、「孟春」、「比叡」、「清輝」、「筑紫」、「大和」、「筑波」、「富士山」と7艦で艦長を務めた。

野村は豪傑肌な一面をもち、「清輝」艦長時代には、台風に遭遇し疲労した乗員に対し、「総員死に方用意」の号令をかけ士気を回復させた逸話は海軍部内で有名であった[8]。「筑波」艦長としては遠洋航海海兵14期鈴木貫太郎佐藤鉄太郎クラス)を指導している。この航海では分隊長・加藤友三郎が鯨に向けて無断で大砲を発射し、野村にしかられた逸話がある。

1890年(明治23年)に大佐となり、佐世保鎮守府参謀長を経て、「松島」艦長に就任。次いで「高千穂」艦長として日清戦争に参戦。黄海海戦において坪井航三率いる第一遊撃隊の1艦として戦い、抜群の武功と評価された武勲を挙げた[9]。第一遊撃隊は4艦で構成され、同僚の艦長は河原要一東郷平八郎上村彦之丞の三名、八代六郎岡田啓介は「高千穂」艦長時代の部下である[10]

戦後は竹敷要港部の初代司令官となり、明治29年11月、少将へ進級。横須賀軍港司令官、常備艦隊司令官と司令官職を歴任したが、呉鎮艦隊司令官在職中に死去した。墓所は青山霊園にある。

野村が死去した際、郷里の長岡中学に在学していたのが、後年の連合艦隊司令長官山本五十六である。野村の妻は山本の実父・高野貞吉の妹[6]という縁があり、野村の存在は山本の海軍志望に影響を与えたとされる。

栄典・授章・授賞

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d 秦 2005, p. 241, 第1部 主要陸海軍人の履歴:海軍:野村貞
  2. ^ 相澤 2023, 第1章 長岡から海軍へ:海軍兵学校志願
  3. ^ 新潟県立長岡中学校編『長岡中学読本 人物篇』(1936年)p.102
  4. ^ 武鑑(万延元年〈1860年〉):牧野備前守 忠恭、七万四千石余、居城 越後長岡」『大武鑑 巻4 改訂』大武鑑刊行会、1940年、959-960頁https://dl.ndl.go.jp/pid/3430179/1/60 
  5. ^ 大井光高「兜城偶感」『有終』昭和8年1月号、海軍有終会、1933年、90-93頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1555874/1/54 
  6. ^ a b 『海軍兵学校物語』10頁
  7. ^ 『明治十年西南征討志 附録』
  8. ^ 『蒼茫の海』211-212頁
  9. ^ 『海軍少将正五位勲三等功四級野村貞勲位進級ノ件』
  10. ^ 『明治28年1月1日 現在艦船艇其他配員表』
  11. ^ 『官報』第4046号「叙任及辞令」1896年12月22日。
  12. ^ 『官報』第1936号「叙任及辞令」1889年12月10日。
  13. ^ 『官報』第3131号「叙任及辞令」1893年12月5日。
  14. ^ 『官報』第3676号「叙任及辞令」1895年9月28日。
  15. ^ 『官報』第3858号・付録「辞令」1896年5月12日。

参考文献

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  • 海軍少将正五位勲三等功四級野村貞勲位進級ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10112495800 (国立公文書館蔵 叙勲裁可書・明治三十二年・叙勲巻一・内国人 勲00051100)
  • 明治28年1月1日 現在艦船艇其他配員表」 アジア歴史資料センター Ref.C08040637100 (防衛省防衛研究所蔵 海軍省公文備考類 海軍省-日清-M27-109)
  • 秦郁彦 編著『日本陸海軍総合事典』(第2版)東京大学出版会、2005年。 
  • 相澤淳『山本五十六:アメリカの敵となった男』(カドカワBookWalker版)中央公論新社〈中公選書 135〉、2023年。 
  • 鎌田芳朗『海軍兵学校物語』原書房、1979年。 
  • 太平洋戦争研究会『真珠湾攻撃の真実』PHP出版
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4-8295-0003-4 
  • 豊田穣『蒼茫の海 海軍提督 加藤友三郎の生涯』集英社文庫、1989年。ISBN 4-08-749477-2 
  • 長岡市史編纂室編『ふるさと 長岡の人びと』長岡市、1998年3月。
  • 明治十年西南征討志 附録』 近代デジタルライブラリー(19枚目から「日進艦」乗員名簿)
軍職
先代
(設置)
竹敷要港部司令官
初代:1896年4月1日 - 1897年12月27日
次代
有馬新一