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親衛隊及び警察指導者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

親衛隊及び警察指導者(SS- und Polizeiführer)は、ナチス・ドイツ親衛隊(SS)及び警察を地域規模で指導した指導者の称号である。親衛隊及び警察最高級指導者(Höchste SS- und Polizeiführer、略称HöSSPF )、親衛隊及び警察高級指導者(Höhere SS- und Polizeiführer、略称HSSPF)、親衛隊及び警察指導者(SS- und Polizeiführer、略称SSPF)の三等級が存在する。

歴史

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1936年6月17日に親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーが全ドイツ警察長官に任じられた[1]。ヒムラーはこの権限に基づき、1937年11月13日に「親衛隊及び警察高級指導者」(Höhere SS- und Polizeiführer、略称HSSPF)の職を新設してドイツの各地域に配置した[2][3]

各地域の「親衛隊及び警察高級指導者」はヒムラーの親衛隊全国指導者と警察長官の地位をその地域で代理する権限を持ち、管轄地域の一般親衛隊武装親衛隊・警察に指揮権を有した[2]

基本的には一般親衛隊の親衛隊上級地区(SS-Oberabschnitt)指導者(Führer)の地位にある者が兼務していた[2][4]。ヒムラーは1939年12月18日の命令で「親衛隊及び警察高級指導者は親衛隊、秩序警察保安警察SD(親衛隊情報部)、必要な限りにおいてあらゆる機関に命令できる」と定めた[1]

この職の新設をめぐってはヒムラーと国家保安本部保安警察の長官ラインハルト・ハイドリヒの権力争いが背景にあったようである[4][5]。保安警察を指揮する「保安警察監察官ドイツ語版」(Inspekteur der SiPo、略称IdS)の指揮権についてヒムラーは「保安警察監察官は国家保安本部の直接指揮を受け、親衛隊及び警察高級指導者の間接指揮を受ける」と曖昧に定義したため、ハイドリヒの国家保安本部と各地の親衛隊及び警察指導者の間でしばしば指揮権の競合が生じるようになった[1]。SDや保安警察の指揮権を自分から奪い取ることを目的としていると感じ取ったハイドリヒは、この「ヒムラーの代理人」達と潜在的に争うようになっていった。独ソ戦中にハイドリヒは国家保安本部の指揮のみを受ける「保安警察及びSD司令官」(Befehlshaber der SiPo und SD、略称BdS)を設置し、保安警察とSDを自分が指揮する体制の強化をはかっている。

第二次世界大戦開戦後にドイツが獲得したドイツ本国以外の占領地域には親衛隊上級地区の指定がなかったので親衛隊及び警察高級指導者だけが配置された。ドイツ本国以外の「親衛隊及び警察高級指導者」の管轄にはさらに細かく区分して「親衛隊及び警察指導者」(SS- und Polizeiführer、略称SSPF)という役職も置かれた。イタリアを管轄とするカール・ヴォルフウクライナを管轄とするハンス・アドルフ・プリュッツマンの両名は「親衛隊及び警察高級指導者」より上位の「親衛隊及び警察最高級指導者」(Höchste SS- und Polizeiführer、略称HöSSPF )に任命されている[6]

ヒムラーは親衛隊及び警察指導者の権限を拡大して親衛隊と警察の自分の直接支配体制を強めようとしたが、巨大な存在になりすぎた国家保安本部を前にしてはヒムラーといえども強引には推し進められなかった。

結局のところ親衛隊及び警察指導者の警察に対する指揮権の強弱は地域差が激しく、一般にはそれほど強力な実権は有していなかったといえる。親衛隊及び警察指導者の存在はいたずらに警察指揮権を混乱させる存在でもあった[7]

主な親衛隊及び警察指導者

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親衛隊及び警察最高級指導者(HöSSPF)

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  • イタリア」親衛隊及び警察最高級指導者(Höchste SS- und Polizeiführer „Italien“)
    独断で降伏したイタリアをドイツ軍が占領した後に創設された。イタリアに駐留する親衛隊及び警察を管轄。本部はローマ。「アドリア海沿岸」親衛隊及び警察高級指導者と「イタリア西部」親衛隊及び警察高級指導者を統括した。「イタリア西部」親衛隊及び警察高級指導者は「イタリア」親衛隊及び警察最高級指導者と一体である。
    1. 1943年9月23日‐1945年5月8日、親衛隊大将[8]カール・ヴォルフ
  • ウクライナ」親衛隊及び警察最高級指導者(Höchste SS- und Polizeiführer „Ukraine“)
    ドイツが占領したウクライナに駐留する親衛隊及び警察を管轄。本部はキエフ。「黒海」親衛隊及び警察高級指導者と「南ロシア」親衛隊及び警察高級指導者を統括した。
    1. 1943年10月29日-1944年9月、親衛隊大将ハンス・アドルフ・プリュッツマン

親衛隊及び警察高級指導者(HSSPF)

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親衛隊及び警察指導者(SSPF)

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「東」親衛隊及び警察高級指導者(Höhere SS- und Polizeiführer „Ost“)指揮下

「オストラント及び北ロシア」親衛隊及び警察高級指導者(Höhere SS- und Polizeiführer „Ostland und Rußland-Nord“)指揮下

「南ロシア」親衛隊及び警察高級指導者(Höhere SS- und Polizeiführer „Rußland-Süd“)指揮下

「中央ロシア及び白ロシア」親衛隊及び警察高級指導者(Höhere SS- und Polizeiführer „Rußland-Mitte und Weißruthenien“)指揮下

セルビアサンジャクモンテネグロ」親衛隊及び警察高級指導者(Höhere SS- und Polizeiführer „Serbien, Sandschack und Montenegro“)指揮下

イタリア」親衛隊及び警察最高級指導者(Höchste SS- und Polizeiführer „Italien“)指揮下

「北」親衛隊及び警察高級指導者(Höhere SS- und Polizeiführer „Nord“)指揮下

「アルペンラント」親衛隊及び警察高級指導者(Höhere SS- und Polizeiführer „Alpenland“)指揮下

「南東」親衛隊及び警察高級指導者(Höhere SS- und Polizeiführer „Südost“)指揮下

フランス」親衛隊及び警察高級指導者(Höhere SS- und Polizeiführer „Frankreich“)指揮下

デンマーク」親衛隊及び警察高級指導者(Höhere SS- und Polizeiführer „Dänemark“)指揮下

  • コペンハーゲン」占領地区警察指導者(Polizeigebietsführer „Kopenhagen“)
    1. 1944年10月1日‐1945年5月、親衛隊少佐ヤーコプ・グロッベン(Jakob Grobben)

クロアチア」親衛隊及び警察高級指導者(Höhere SS- und Polizeiführer „Kroatien“)指揮下

アドリア海沿岸」親衛隊及び警察高級指導者(Höhere SS- und Polizeiführer „Adriatisches Küstenland“)指揮下

脚注

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  1. ^ a b c 山下(彩流社)、90頁
  2. ^ a b c 山下(新紀元社)、49頁
  3. ^ Yerger,p22
  4. ^ a b ヘーネ、300頁
  5. ^ 山下(彩流社)、91頁
  6. ^ Yerger,p22-25
  7. ^ 山下(彩流社)、93-94頁
  8. ^ 階級は全員在職当時の最高階級を記してある

参考文献

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  • ハインツ・ヘーネ(de) 著、森亮一 訳『SSの歴史 -髑髏の結社-』フジ出版社、1981年。ISBN 978-4892260506 
  • 山下英一郎『SSガイドブック』新紀元社、1997年。ISBN 978-4883172986 
  • Mark C. Yerger (2002) (英語). Allgemeine-SS. Schiffer Pub Ltd. ISBN 978-0764301452 
  • 山下英一郎『ナチ・ドイツ軍装読本 警察・ナチ党の組織と制服』彩流社、2006年。ISBN 978-4779112126 

外部リンク

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