リウネ
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| リウネ Рівне | |||||
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| 位置 | |||||
| 座標 : 北緯50度45分 東経25度29分 / 北緯50.750度 東経25.483度 | |||||
| 歴史 | |||||
| 建設 | 13世紀 | ||||
| 行政 | |||||
| 国 | |||||
| 行政区画 | |||||
| 市 | リウネ | ||||
| 地理 | |||||
| 面積 | |||||
| 市域 | 58.24 km2 | ||||
| 人口 | |||||
| 人口 | (2005年現在) | ||||
| 市域 | 249,900人 | ||||
| 人口密度 | 4,274人/km2 | ||||
| その他 | |||||
| 等時帯 | 東ヨーロッパ時間 (UTC+2) | ||||
| 夏時間 | 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3) | ||||
| 郵便番号 | 33000-33499 | ||||
| 市外局番 | +380-362 | ||||
| ナンバープレート | АА | ||||
| 公式ウェブサイト : http://www.city-adm.rv.ua/ | |||||
リウネ(ウクライナ語:Рівне[1])は、北西ウクライナに位置する都市で、リウネ州の州庁所在地である。
地理[編集]
リウネは、ヴォルィーニ地方の最大の都市の一つとされる。当市はリウネ州の南部に位置し、ウスチャ川の河岸に置かれている。
歴史[編集]
- 10世紀:ウスチャ川の右河岸でキエフ大公国の要塞が築城される。
- 1238年:リウネの地名はハールィチ・ヴォルィーニ大公国の都市として初めてルーシ年代記に登場する。
- 1340年:リトアニア大公国の都市となる。
- 1461年:リウネはヴォルィーニ系ネスヴィツィクィイ公家によって支配されるようになる。
- 1491年:自治権が下賜される。
- 1518年:リウネはヴォルィーニ系オストロジシクィイ公家によって支配されるようになる。
- 1569年:ポーランド王国の都市となる。クリミア・タタール人はリウネを陥落させて略奪する。
- 1624年:大火事によりリウネの80%は焼失する。
- 1648年:リウネの初病院が建立される。
- 1640年:クリミア・タタール人は再びリウネを略奪する。
- 1648年:ウクライナ・コサックはリウネを略奪する。リウネ周辺はコサック軍とポーランド軍の争い場となる。
- 1691年:大火災によりリウネの90%は焼失する。
- 1723年:リウネはポーランド系リュボミルスキ家によって支配されるようになる。
- 1755年:リウネの人口は700戸まで増長する。
- 1770年:ペストの流行。
- 1793年:ロシア帝国の都市となる。
- 1839年:リウネのギムナジウムが創立される。
- 1917年:ウクライナ人民共和国の都市となる。
- 1919年:ウクライナ人民共和国の一時的首都となる。
- 1920年:ポーランド・ソビエト平和条約によりポーランド共和国の都市となる。
- 1939年:ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の都市となる。リウネ州が設置され、リウネは当州の州庁所在地となる。
- 1941年:リウネはドイツ軍によって占領され、ウクライナ帝政委員部の中央都市となる。
- 1944年:リウネはソ連軍によって奪還される。
- 1991年:ウクライナが独立する。リウネはリウネ州の州庁所在地となる。
人口[編集]
姉妹都市[編集]
観光[編集]
注[編集]
- ^ 「平ら」を意味している。ソ連崩壊まではロシア語名Ровно(ロヴノ)が正式名であった。
- ^ (英語) (ウクライナ語) 2001年のウクライナ国勢調査
参考文献[編集]
- (日本語) 『ポーランド・ウクライナ・バルト史 』/ 伊東孝之,井内敏夫,中井和夫. 山川出版社, 1998.12. (新版世界各国史 ; 20)
- (ウクライナ語) Історія міст і сіл Укр. РСР. Чернігівська область - Київ, 1972.
外部リンク[編集]
- (ウクライナ語) リウネ市の公式サイト
ウィキメディア・コモンズには、リウネに関するカテゴリがあります。
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