留産駅
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留産駅 | |
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るさん Rusan | |
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所在地 | 北海道虻田郡喜茂別町字留産 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 胆振線 |
キロ程 | 62.9 km(伊達紋別起点) |
電報略号 | ルサ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1928年(昭和3年)10月21日[1] |
廃止年月日 | 1986年(昭和61年)11月1日[2] |
備考 | 胆振線廃線に伴い廃駅[1] |
留産駅(るさんえき)は、北海道(後志支庁)虻田郡喜茂別町字留産にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)胆振線の駅(廃駅)である。電報略号はルサ。事務管理コードは▲131911[3]。
歴史
[編集]- 1928年(昭和3年)10月21日 - 胆振鉄道京極駅 - 喜茂別駅(初代)間の開通に伴い、開業。一般駅[1]。
- 1941年(昭和16年)9月27日 - 胆振鉄道が胆振縦貫鉄道に譲渡(合併)される。それに伴い、同鉄道の駅となる。
- 1944年(昭和19年)7月1日 - 胆振縦貫鉄道が戦時買収により国有化され、路線名を胆振線に改称。それに伴い、同線の駅となる[1]。
- 1971年(昭和46年)10月1日 - 貨物・荷物の取り扱いを廃止[1][4]。無人駅となる[5](簡易委託化[6])。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 胆振線の全線廃止に伴い、廃駅となる[2]。
駅名の由来
[編集]所在地名より。アイヌ語の「ルオサニ(ru-o-san-i)」(道が・そこで・浜の方〔=大きな川の端〕へ出る・処)に由来するとされる[7][8]。松浦武四郎の図にも当地とされる場所にこれを略して名づけられたと考えられる「ルウサン」と記されており、それに字をあてて名づけられたと考えられる[7]。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の東側(倶知安方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[9]。かつては相対式ホーム2面2線を有する、列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった構内西側の1線は、交換設備運用停止後に線路、ホーム共に撤去されていた[9]。
無人駅となっており、待合所機能のみの駅舎が残っていた[9][10]。駅舎は構内の東側に位置し、ホームから少し離れていた[9]。ホーム北側の出入口は階段となっていた。
利用状況
[編集]- 1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は5人[9]。
駅周辺
[編集]ジャガイモ畑に囲まれていた[9]。
駅跡
[編集]2001年(平成13年)時点では畑となっており[12]、2010年(平成22年)時点でも同様であった[13]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、859頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b 「日本国有鉄道公示第109号」『官報』1986年10月14日。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、226頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 「日本国有鉄道公示第383号」『官報』1971年9月30日。
- ^ 「通報 ●胆振線蟠渓駅ほか6駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1971年9月30日、11面。
- ^ 「営業体制近代化」『交通新聞』交通協力会、1971年10月6日、1面。
- ^ a b 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日、466頁。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、80頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b c d e f 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)93ページより。
- ^ 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)208ページより。
- ^ a b c d e 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)6ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTBパブリッシング、2001年8月発行)70ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)154ページより。