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その他、脚本家として『[[西部警察]]』などの脚本を手がけたり、小説家としての活動も行っている。小説は『'''机宙人'''』名義で発表することがある<ref name="page2">[http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refISBN=4774720720]著者紹介より</ref>。
その他、脚本家として『[[西部警察]]』などの脚本を手がけたり、小説家としての活動も行っている。小説は『'''机宙人'''』名義で発表することがある<ref name="page2">[http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refISBN=4774720720]著者紹介より</ref>。


2021年6月4日、[[胃がん]]のため[[東京都]][[大田区]]の病院で死去、77歳没<ref>{{Cite news|url=https://kumanichi.com/articles/458676|title=西脇英夫氏死去 映画評論家|newspaper=熊本日日新聞社|date=2021-11-05|accessdate=2021-11-06}}</ref>。
2021年6月4日、[[胃癌|胃がん]]のため[[東京都]][[大田区]]の病院で死去、{{年齢|1943|11|9|2021|6|4}}<ref>{{Cite news|url=https://kumanichi.com/articles/458676|title=西脇英夫氏死去 映画評論家|newspaper=熊本日日新聞社|date=2021-11-05|accessdate=2021-11-06}}</ref>。

== 著書 ==
== 著書 ==
=== 映画評論 ===
=== 映画評論 ===

2021年11月11日 (木) 01:24時点における版

西脇 英夫(にしわき ひでお、1943年11月9日[1] - 2021年6月4日)は、日本映画評論家漫画原作者小説家脚本家東京都出身[2]日本大学芸術学部[2]

経歴

1965年に大学卒業後、CFプロダクション勤務、雑誌『東京25時』(アグレマン社)の編集部を経てフリーとなる[2]。以後、『キネマ旬報』(キネマ旬報社)、『映画批評』(新泉社)などの映画雑誌に映画評論のコラムを発表。現在でも『キネマ旬報』でコラムを発表している。

漫画原作を手掛ける際は、主に『東史朗』名義で活動している。また、清彗社漫画情報誌だっくす』1978年9・10月号から改名後の『ぱふ』1979年9月号まで、『B級劇画講座』というコラムを連載していた(西脇英夫名義)。

その他、脚本家として『西部警察』などの脚本を手がけたり、小説家としての活動も行っている。小説は『机宙人』名義で発表することがある[3]

2021年6月4日、胃がんのため東京都大田区の病院で死去、77歳没[4]

著書

映画評論

シネアルバム

  • 日本映画〈1976 1975年公開日本映画全集〉 佐藤忠男,山根貞男, 西脇英夫 (編) 1976年
  • 日本映画〈1977 1976年公開日本映画全集〉 佐藤忠男,山根貞男, 西脇英夫 (編) 1977年
  • 日本映画〈1978 1977年公開日本映画全集〉 佐藤忠男,山根貞男, 西脇英夫 (編) 1978年

小説

西脇英夫名義

机宙人名義

漫画原作

東史朗名義

西脇英夫名義

脚本

脚注

  1. ^ 月刊シネマグランプリ – Film Critics 50 » Blog Archive » Critic 西脇英夫
  2. ^ a b c 『日本のアクション映画』奥付 社会思想社
  3. ^ [1]著者紹介より
  4. ^ “西脇英夫氏死去 映画評論家”. 熊本日日新聞社. (2021年11月5日). https://kumanichi.com/articles/458676 2021年11月6日閲覧。