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== 黄金期を支えた監督たち ==
== 黄金期を支えた監督たち ==
*[[リー・ハンシャン]]([[李翰祥]])・・・代表作は『梁山伯祝英台』『傾国傾城』。伝統的な中国歌劇をモチーフに、官能的な大人の映画を製作した。
*[[リー・ハンシャン]]([[李翰祥]])・・・代表作は『梁山伯祝英台』『傾国傾城』。伝統的な中国歌劇をモチーフに、官能的な大人の映画を製作した。
*[[胡金銓|キン・フー]](胡金銓)・・・『[[残酷ドラゴン 血斗竜門の宿]]』『[[大酔侠]]』のような武侠映画でハイレベルな作品を発表した。
*[[胡金銓|キン・フー]](胡金銓)・・・『[[残酷ドラゴン 血斗竜門の宿]]』『[[大酔侠]]』のような武侠映画でハイレベルな作品を発表した。
*[[チャン・チェ]](張徹)・・・『[[片腕必殺剣]]』『[[ヴェンジェンス 報仇]]』など勇敢な男達の絆と友情を描いた作品を次々に出した。[[ティ・ロン]](狄龍)、[[姜大衛|デヴィッド・チャン]](姜大衛)、[[ダニー・リー (俳優)|ダニー・リー]]([[李修賢]])らの看板スターが世に出た。また助監督を務めていた[[ジョン・ウー]]も、彼のもとで成長を遂げた。
*[[チャン・チェ]](張徹)・・・『[[片腕必殺剣]]』『[[ヴェンジェンス 報仇]]』など勇敢な男達の絆と友情を描いた作品を次々に出した。[[ティ・ロン]](狄龍)、[[姜大衛|デヴィッド・チャン]](姜大衛)、[[ダニー・リー (俳優)|ダニー・リー]]([[李修賢]])らの看板スターが世に出た。また助監督を務めていた[[ジョン・ウー]]も、彼のもとで成長を遂げた。

2019年2月12日 (火) 14:04時点における版

ショウ・ブラザーズ
Shaw Brothers (Hong Kong) Limited
種類 株式会社
市場情報
hkex 0080
本社所在地 香港の旗 香港
九龍清水湾
設立 1958年
事業内容 映画事業
外部リンク http://www.shawbrothers.com.hk/
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ショウ・ブラザーズ邵氏兄弟有限公司)は、香港の映画会社。60年代末から70年代に香港映画の黄金時代を築いた。香港の民営テレビ局「無綫電視」(電視廣播有限公司)の筆頭株主でもある。

誕生

邵醉翁
邵邨人
ショウ・スタジオ(邵氏影城)
ショウ・ブラザーズ
各種表記
繁体字 邵氏片場
簡体字 邵氏片场
拼音 Shào Shì Piànchǎng
注音符号 ㄕㄠˋㄕˋㄆㄧㄢˋㄔㄤˇ
ラテン字 Shao Shih P'iench'ang
広東語拼音 Siu⑥ si⑥ pin③ coeng④
英文 Shaw Brothers Studio
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邵兄弟の長兄の邵酔翁中国語版1925年上海で設立した「天一影片公司」がショウ・ブラザーズの起源である。1937年に邵邨人中国語版が責任者となり、「南洋影片公司」と改名。日中戦争勃発後に香港に拠点を移し、戦後に「邵氏父子」と改名した。

1957年にランラン・ショウ(邵逸夫)が責任者となると、「邵氏父子」は映画館の運営と配給を行う会社とされ、新たに製作会社「邵氏兄弟」(ショウ・ブラザーズ)が設立された。

1965年には「邵氏影城」と呼ばれる東洋一の巨大スタジオを建設し、スケールの大きな映画を続々と世に出し、香港映画の黄金時代を築き上げる。この頃、同社は「東洋のハリウッド」と呼ばれた。

発展のエネルギー

ランラン・ショウの完全主義

ランラン・ショウは1年で900本のフィルムを見るというほどの映画マニア。その分映画への評価も厳しく、基準に達していないフィルムはすべて焼却した。こうして質の高いものだけを公開する姿勢を貫いた。

先進技術の導入
  • ハリウッドから監督やカメラマンを集め、先進的な知識と技術を吸収
  • 独自の俳優訓練所の設立
  • 「ショウ・スコープ」と呼ばれるシネマスコープの開発
  • 北京語英語による二段字幕の使用

黄金期を支えた監督たち

帝国の落日

ショウ・ブラザースを離れたレイモンド・チョウ(鄒文懐/Raymond Chow)は、ゴールデン・ハーベストを設立し、古巣を激しく追い上げる。とくにゴールデン・ハーベストと契約したブルース・リージャッキー・チェンの爆発的ヒットに対し、1982年に公開された『ブレードランナー[1]など様々な海外の映画に出資して国際化を試みるもかつての勢いを失ったショウ・ブラザーズは低迷を続けた。一方、この頃にはテレビの影響も無視できなくなり、ランラン・ショウは、自身が経営するテレビ局である無綫電視に、次第に経営の軸足を移して行く事となる。

1985年にはラミー・ショウが死去、撮影所も活動を停止し、香港映画界の黄金時代を築いた帝国も、ついに終焉を迎えることになった。

多くの作品が日本では紹介されないままだったが、1999年香港のCelestial Picturesが760本もの作品の権利を買いつけたため、膨大なライブラリーが公開されることになった。日本ではこれをうけ、2004年からキングレコードより「ショウ・ブラザース 黄金のシネマシリーズ」としてDVDがリリースされている。

巣立ったスターたち

脚注

関連項目

外部リンク