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1983年から1995年まで、[[エソンヌ県]]、[[マシー]]市元老院委員・市長。1983年から2001年まで、エソンヌ県、マシー市長会委員。1998年から2001年まで、エソンヌ県大評議会副議長。1985年から1992年まで、1998年から2004年までエソンヌ県大評議会議員。1998年に再任。 |
2015年8月2日 (日) 03:08時点における版
ジャン=リュック・メランション Jean-Luc Mélenchon | |
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ジャン=リュック・メランション(2012年) | |
生年月日 | 1951年8月19日(72歳) |
出生地 | フランス保護領モロッコ、タンジェ |
出身校 | フランシュ=コンテ大学 |
所属政党 |
社会党(1977年 – 2008年) 左翼党(2008年 – 現在) |
公式サイト | Jean-Luc Mélenchon |
内閣 | リオネル・ジョスパン内閣 |
在任期間 | 2000年3月27日 - 2002年5月6日 |
大統領 | ジャック・シラク |
選挙区 | 南フランス |
在任期間 | 2009年7月14日 - 2014年5月25日 |
選挙区 | エソンヌ県 |
在任期間 | 1986年10月2日 - 2000年4月27日 |
在任期間 | 2004年10月1日 - 2010年1月7日 |
ジャン=リュック・メランション(フランス語: Jean-Luc Mélenchon(フランス語発音: [ʒɑ̃lyk melɑ̃ˈʃɔ̃])、JLM, 1951年8月19日 - )はフランスの政治家。
2008年から、マルティーヌ・ビヤルと共に左翼党の共同党首を務めている。
経歴
モロッコのタンジェ[1](詳しくはタンジェ国際管理地域内)に生まれた。父は郵便局員で、スペイン出身の母は学校教師だった。モロッコ北部で育ち、両親の離婚に伴い1962年にフランスへ移住し、ジュラ県ロン=ル=ソーニエのルージェ・ド・リール高等学校で学んだ。フランシュ=コンテ大学では哲学を学び、卒業後はCAPES(フランス文部省の専門の指導資格)に合格して教師となった[1][2]。
1983年から1995年まで、エソンヌ県、マシー市元老院委員・市長。1983年から2001年まで、エソンヌ県、マシー市長会委員。1998年から2001年まで、エソンヌ県大評議会副議長。1985年から1992年まで、1998年から2004年までエソンヌ県大評議会議員。1998年に再任。
1986年、エソンヌ県選出の元老院議員として当選(35歳での当選は当時最年少)。1995年に再任され、2000年まで務めた。
2000年から2002年まで職業教育大臣を務めた[1]。2004年に元老院議員に再任され、2010年まで務めた。
2008年11月に国民議会議員マルク・ドレズと共に社会党を離党[3][4]して左翼党を創設した。
左翼党の党首として、2009年欧州議員選前に左翼戦線に加わり、南西仏選挙区の候補者として選ばれた。この選挙で8.15%の得票率を収めて欧州議会議員に当選した。
2010年に行われた年金制度改革を抵抗する運動の際、何回か公演やテレビ番組に出た影響で、公に知られるようになった。
2012年フランス大統領選
2012年フランス大統領選挙で、フランス共産党・左翼党・統一左翼党の合同組織「左翼戦線」として立候補[5][6]。憲法を改め「第六共和政」の立ち上げを主張した。
事前の世論調査では第1回投票の上位2人が進出する決選投票への進出はないとされたものの、一時は結果として第1回投票で3位となったマリーヌ・ル・ペン(国民戦線)に迫る支持を集めたが、結果としてマリーヌに得票で倍近い差をつけられた(得票率11.10%、第4位[7])。
2012年フランス国民議会議員選
大統領選挙に敗れた後、メランションは2012年フランス議会総選挙においてパ=ド=カレー県第11選挙区から立候補、ル・ペンとの直接対決に臨んだ[8]。
しかし第1回投票で社会党のフィリップ・ケメルに僅差で敗れ3位となり、決選投票へ進むことはできなかった[9]。なお決選投票ではケメルがル・ペンを破り当選している。
政治思想
メランションは基本的に、ジャン・ジョレスの思想に基づく共和的社会主義者と市場資本主義の危機を理解するためにマルクス的な見解を理解する唯物史観者である。
以前はヨーロッパ連邦構想の支持者だったが、メランションは「ヨーロッパ連合はもう解答でなく、経済自由主義が機構を完全に汚職した事で、欧連が必要とする民主化を成し遂げるのは不可能にした、権力が民衆正当性のない技官達にあるから、問題」だとあきらめた事が知られている。
そのため、彼は協力的、統一的、民衆主義的なヨーロッパの設立を支えながら、リスボン条約と欧州中央銀行の独立に反対している。
南米で自分で経験したことに基づき、ラファエル・コレア、ウゴ・チャベス、エボ・モラレスと同様に、フランス革命とパリ・コミューンからなる思想を土台に、憲法を再び起草できるよう、選挙の勝ちを狙いながら、民衆主義を守る新たな作戦を追加する、公民に付属している値が達成しうる「市民革命」を目指している。
この「市民革命」は現在、証券所有者達に代表されている資本から生み出されている富と労働階層(直接賃金を得るために働く必要のあるの人々をさして広く理解されている意味で)の分け方の逆転に達成すべきものである。
追加目的として、第六共和政を創立する新しい憲法が含まれている。
この第六共和政では、大統領の権力は今より小さく、国会はより大きく、給料が増やされ、私営銀行の国有化によって国営銀行が設立され、共同会社を創立する権利を社員らに与える新しい権利の設立によっての会社内民衆主義化、大手会社の国有化、環境計画導入、北大西洋条約機構の脱退、パレスチナ国の設立によって中近東における平和が達成できるようになる。
メランションは重大な問題を解決するために国民が投票する事の重要さを強調している。
彼はフランス社会における世俗主義の強化、同性結婚と安楽死が法律で認識されるよう、支得することを表現した。
脚注
- ^ a b c “ジャン=リュック・メランションの履歴書”. Frédéric Frangeul, Europe 1 (2014年2月27日). 2014年3月30日閲覧。(フランス語)
- ^ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。「LyCo6
」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません - ^ “ジャン=リュック・メランションが社会党を離党宣言。”. 左翼党 (2008年11月7日). 2014年3月30日閲覧。(フランス語)
- ^ “左翼党立党会議日付”. "左翼党" (2008年11月29日). 2014年3月30日閲覧。(フランス語)
- ^ “2012年フランス大統領選挙に憲法委員会が公式に認識した候補者達”. フランス通信社 (2012年3月19日). 2014年3月30日閲覧。(フランス語)
- ^ “候補者としてのメランションの最初の演説会”. Sophie de Ravinel (2011年6月29日). 2014年3月30日閲覧。(フランス語)
- ^ “国民議会選挙 – 結果”. フランス内務省. 2014年3月30日閲覧。(フランス語)
- ^ “2012年大統領選挙 – 選挙区別第1回結果”. Politiquemania. 2014年3月30日閲覧。(フランス語)
- ^ “French far-left leader Jean-Luc Melenchon admits defeat by far-right's Le Pen”. 2012年4月14日閲覧。(フランス語)
外部リンク
- 公式ブログ(フランス語)
- フランス元老院公式サイトページ(フランス語)
- 欧州議員公式サイトページ(英語)