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'''ティモシー・ジョン・バーナーズ=リー'''<!--日本の百科事典では人物名に、英国内の称号(「サー」や英国での勲章名)をつけない。英国内の称号というのは、あくまでイギリスの権力者が様々な政治的な意図も込めて与えている称号なので、(イギリス人や英語話者の一部が、名前の前につけたがることはあっても)その国の外では基本的に無視して表記しない。 -->({{Lang-en|Timothy John Berners-Lee}}、[[1955年]][[6月8日]] - )は、[[イギリス]]の[[計算機科学]]者。[[ロバート・カイリュー]]とともに[[World Wide Web]](WWW)を考案し、[[ハイパーテキスト]]システムを実装・開発した人物である。[[Uniform Resource Locator|URL]]、[[Hypertext Transfer Protocol|HTTP]]、[[HyperText Markup Language|HTML]] の最初の設計は彼によるもの。
'''ティモシー・ジョン・バーナーズ=リー'''<!--日本の百科事典では人物名に、英国内の称号(「サー」や英国での勲章名)をつけない。英国内の称号というのは、あくまでイギリスの権力者が様々な政治的な意図も込めて与えている称号なので、(イギリス人や英語話者の一部が、名前の前につけたがることはあっても)その国の外では基本的に無視して表記しない。 -->({{Lang-en|Timothy John Berners-Lee}}、[[1955年]][[6月8日]] - )は、[[イギリス]]の[[計算機科学]]者。[[ロバート・カイリュー]]とともに[[World Wide Web]](WWW)を考案し、[[ハイパーテキスト]]システムを実装・開発した人物である。また、[[Uniform Resource Locator|URL]]、[[Hypertext Transfer Protocol|HTTP]]、[[HyperText Markup Language|HTML]] の最初の設計は彼によるものである


== 経歴 ==
== 経歴 ==
黎明期の電子計算機の一つである [[Manchester Mark I]]の開発チームに参加していた数学者夫妻コンウェイ・バーナーズ=リーとメアリー・リー・ウッズのもと、[[ロンドン]]に生まれる。
出生地は[[ロンドン]]。黎明期の電子計算機の一つである[[Manchester Mark I]]の開発チームに参加していた数学者夫妻コンウェイ・バーナーズ=リーとメアリー・リー・ウッズのもとに生まれる。


[[1973年]]にロンドンのエマニュエル校を卒業後、[[オックスフォード大学]][[クイーンズ・カレッジ]]に進学し[[物理学]]を専攻。在学時には自身最初のコンピュータを[[はんだごて]]と [[Transistor-transistor logic|TTL]]ゲート、[[MC6800|M6800]]プロセッサ、中古のテレビ受像機を使って組み立てたこともあり<ref>{{Cite web
[[1973年]]に[[ロンドン]]のエマニュエル校を卒業後、[[オックスフォード大学]][[クイーンズ・カレッジ]]に進学し[[物理学]]を専攻。在学時には自身最初のコンピュータを[[はんだごて]]と[[Transistor-transistor logic|TTL]]ゲート、[[MC6800|M6800]]プロセッサ、中古のテレビ受像機を使って組み立てたこともあり<ref>{{Cite web
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|accessdate=2007年7月20日 }}</ref>。[[1976年]]に卒業後、英プレッセイ電信電話会社に2年間勤務。[[分散トランザクション]]システムやメッセージ転送、バーコード技術などを担当した。[[1978年]]に英 D・G・ナッシュ社に転職し、[[インテリジェントプリンタ]]用のソフトウェアやマルチタスクOS などを開発した。
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[[ファイル:First_Web_Server.jpg|thumb|left|200px|バーナーズ=リーが CERN で使用した[[NeXTcube]]。初のWebサーバとなった。]]
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その後会社を辞めて個人で[[コンサルタント]]を営み、[[1980年]]6月に[[スイス]]・[[ジュネーヴ]]の[[欧州原子核研究機構]](CERN)にソフトウェア技術のコンサルタントとして6ヶ月間在籍した。バーナーズ=リーは数千人に上る研究者や参加者に効率よく情報を行き渡らせるためのシステム開発を命じられるが、折しもバーナーズ=リーは個人的開発作業の一環として、ランダムに他の文書と連結できる仕組みを持った[[ENQUIRE]]を開発していた。公表されなかったものの、WWW の概念の基礎となるものであった。
その後会社を辞めて個人で[[コンサルタント]]を営み、[[1980年]]6月に[[スイス]]・[[ジュネーヴ]]の[[欧州原子核研究機構]](CERN)にソフトウェア技術の[[コンサルタント]]として6ヶ月間在籍した。バーナーズ=リーは数千人に上る研究者や参加者に効率よく情報を行き渡らせるためのシステム開発を命じられるが、折しもバーナーズ=リーは個人的開発作業の一環として、ランダムに他の文書と連結できる仕組みを持った[[ENQUIRE]]を開発していた。公表こそされなかったものの、[[World Wide Web|WWW]]の概念の基礎となるものであった。


[[1981年]]から4年間英イメージ・コンピュータ・システムズ社の技術デザインの責任者を務めた後、[[1984年]]にCERNへ復帰すると科学データ閲覧のための分散リアルタイムシステムに関する業績でフェローシップを贈呈される。[[1989年]]3月、後にWWWへ発展することになる、CERN内の情報にアクセスするためのグローバルハイパーテキストプロジェクトの提案を公式に行う<ref name="proposal">{{Cite web
[[1981年]]から4年間 イメージ・コンピュータ・システムズ社の技術デザインの責任者を務めた後、[[1984年]]に[[欧州原子核研究機構|CERN]]へ復帰すると科学データ閲覧のための分散リアルタイムシステムに関する業績で[[フェローシップ]]を贈呈される。[[1989年]]3月、後に[[World Wide Web|WWW]]へ発展することになる、[[欧州原子核研究機構|CERN]]内の情報にアクセスするためのグローバルハイパーテキストプロジェクトの提案を公式に行う<ref name="proposal">{{Cite web
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[[1991年]][[8月6日]]には「World Wide Web プロジェクトに関する簡単な要約」をalt.hypertext [[ニュースグループ]]に投稿<ref>[http://groups.google.com/group/alt.hypertext/msg/395f282a67a1916c WorldWideWeb: Summary - alt.hypertext], [[Googleグループ]]</ref>。この日、WWWは[[インターネット]]上で利用可能なサービスとしてデビューした。同日、世界最初の[[ウェブサイト]] http://info.cern.ch/ が設立されている。公開に際しては社会全体への貢献を第一に考え、特許を一切取得せず使用料も徴収しなかった。CERNは[[1993年]][[4月30日]]、WWW を誰に対しても無償で開放することを発表した<ref>{{Cite web
[[1991年]][[8月6日]]には「[[World Wide Web]]プロジェクトに関する簡単な要約」をalt.hypertext[[ニュースグループ]]に投稿<ref>[http://groups.google.com/group/alt.hypertext/msg/395f282a67a1916c WorldWideWeb: Summary - alt.hypertext], [[Googleグループ]]</ref>。この日、[[World Wide Web|WWW]]は[[インターネット]]上で利用可能なサービスとしてデビューした。同日、世界最初の[[ウェブサイト]] http://info.cern.ch/ が設立されている。公開に際しては社会全体への貢献を第一に考え、特許を一切取得せず使用料も徴収しなかった。[[欧州原子核研究機構|CERN]]は[[1993年]][[4月30日]]、[[World Wide Web|WWW]]を誰に対しても無償で開放することを発表した<ref>{{Cite web
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[[1994年]]、[[マサチューセッツ工科大学]]に着任した直後 [[World Wide Web Consortium]](W3C)を設立。WWWの仕様や指針、標準技術を策定・開発することで、WWWの可能性を最大限に導くことを目的としている。[[1999年]]、[[Project MAC|MITコンピュータ科学研究所]]内の [[スリーコム|3Com]] 創業者会会長に就任。[[2004年]]12月には[[サウサンプトン大学]]電子コンピュータ科学部の学部長兼教授に就任し、次世代のWeb技術として、[[セマンティック・ウェブ|Semantic Web]]技術の標準化を進めている。
[[1994年]]、[[マサチューセッツ工科大学]]に着任した直後 [[World Wide Web Consortium]](W3C)を設立。[[World Wide Web|WWW]]の仕様や指針、標準技術を策定・開発することで、[[World Wide Web|WWW]]の可能性を最大限に導くことを目的としている。[[1999年]]、[[Project MAC|MITコンピュータ科学研究所]]内の [[スリーコム|3Com]] 創業者会会長に就任。[[2004年]][[12月]]には[[サウサンプトン大学]]電子コンピュータ科学部の学部長兼教授に就任し、次世代のWeb技術として、[[セマンティック・ウェブ|Semantic Web]]技術の標準化を進めている。


[[2009年]][[World Wide Web Foundation]]を設立した<ref>[http://www.webfoundation.org/ World Wide Web Foundation]</ref>
2007年現在[[マサチューセッツ州]]に在住し<ref name="W3Bio"/>、W3CのディレクターとしてWWWに使用される各種技術の標準化を進める傍ら、[[MITコンピュータ科学・人工知能研究所]]の上級研究科学者を兼務し分散情報グループ(Decentralized Information Group, DIG)の指揮を取っている。

[[2009年]] [[World Wide Web Foundation]]を設立した<ref>[http://www.webfoundation.org/ World Wide Web Foundation]</ref>

[[2012年ロンドンオリンピックの開会式]]の第2部に登場し、パフォーマンスを行う<ref>[http://www.zdnet.com/uk/web-inventor-tim-berners-lee-stars-in-olympics-opening-ceremony-7000001744/ Web inventor Tim Berners-Lee stars in Olympics opening ceremony]</ref>。


== 栄誉 ==
== 栄誉 ==
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* [[1998年]] - [[USENIX]] 貢献賞を受賞。
* [[1998年]] - [[USENIX]]貢献賞を受賞。
* 1998年[[6月2日]] - マッカーサー特別研究員賞を受賞。<ref>{{Cite web
* 1998年[[6月2日]] - マッカーサー特別研究員賞を受賞。<ref>{{Cite web
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* 1999年 - 『[[タイム (雑誌)|タイム]]』誌の「20世紀で最も重要な人物100人」(100 Most Important People of the 20th Century)のうちの一人に選ばれる<ref>{{cite web|title=Tim Berners Lee - Time 100 People of the Century|url=http://205.188.238.181/time/time100/scientist/profile/bernerslee.html|publisher=[[タイム (雑誌)|タイム]]|accessdate=2010-05-05|quote=He wove the World Wide Web and created a mass medium for the 21st century. The World Wide Web is Berners-Lee's alone. He designed it. He loosed it on the world. And he more than anyone else has fought to keep it open, nonproprietary and free.}}</ref>。
* 1999年 - 『[[タイム (雑誌)|タイム]]』誌の「20世紀で最も重要な人物100人」(100 Most Important People of the 20th Century)の一人に選ばれる<ref>{{cite web|title=Tim Berners Lee - Time 100 People of the Century|url=http://205.188.238.181/time/time100/scientist/profile/bernerslee.html|publisher=[[タイム (雑誌)|タイム]]|accessdate=2010-05-05|quote=He wove the World Wide Web and created a mass medium for the 21st century. The World Wide Web is Berners-Lee's alone. He designed it. He loosed it on the world. And he more than anyone else has fought to keep it open, nonproprietary and free.}}</ref>。
* [[2000年]] - [[王立協会|ロンドン王立協会]] [[ロイヤル・メダル]]を受賞。
* [[2000年]] - [[王立協会|ロンドン王立協会]][[ロイヤル・メダル]]を受賞。
* 2000年3月 - [[オープン大学]]から名誉博士号を授与される<ref>{{cite web|title=ICTlogy, review of ICT4D &raquo; Tim Berners Lee: doctor honoris causa|publisher=Open University of Catalonia|date=2008-10-10|url=http://ictlogy.net/review/20081010-tim-berners-lee-doctor-honoris-causa/|accessdate=2010-05-05}}</ref>。
* 2000年3月 - [[オープン大学]]から[[名誉博士号]]を授与される<ref>{{cite web|title=ICTlogy, review of ICT4D &raquo; Tim Berners Lee: doctor honoris causa|publisher=Open University of Catalonia|date=2008-10-10|url=http://ictlogy.net/review/20081010-tim-berners-lee-doctor-honoris-causa/|accessdate=2010-05-05}}</ref>。
* [[2001年]] - ロンドン王立協会の会員に就任。[[コロンビア大学]]、[[オックスフォード大学]]から名誉博士号を授与される。
* [[2001年]] - [[ロンドン王立協会]]の会員に就任。[[コロンビア大学]]、[[オックスフォード大学]]から[[名誉博士号]]を授与される。
* 2002年4月 - [[日本国際賞]]を受賞。
* 2002年4月 - [[日本国際賞]]を受賞。
* [[2002年]] - 英国王立技芸協会アルバート賞、[[アストゥリアス皇太子賞]]科学技術研究部門を受賞。
* [[2002年]] - 英国王立技芸協会アルバート賞、[[アストゥリアス皇太子賞]]科学技術研究部門を受賞。
* 2003年 - World Wide Web開発への重要な貢献に対して[[コンピュータ歴史博物館]]フェロー賞を受賞<ref>http://www.computerhistory.org/fellowawards/index.php?id=88</ref>。
* 2003年 - [[World Wide Web|WWW]]開発への重要な貢献に対して[[コンピュータ歴史博物館]]フェロー賞を受賞<ref>http://www.computerhistory.org/fellowawards/index.php?id=88</ref>。
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* 2007年 - 『[[デイリー・テレグラフ]]』紙の「存命中の天才100人」(Top 100 living geniuses)の投票で、[[アルバート・ホフマン (化学者)|アルバート・ホフマン]]と同率1位を獲得<ref>[http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/1567544/Top-100-living-geniuses.html "Top 100 living geniuses" [[デイリー・テレグラフ]] 2007年10月28日]</ref>。
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* 2007年[[6月13日]] - [[英国王室]]から[[メリット勲章]]を授与される。<ref>{{Cite web
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*2009年 - [[ウェビー賞]]生涯功績部門を受賞。
*2009年 - [[ウェビー賞]]生涯功績部門を受賞。
*2009年4月28日 - [[米国科学アカデミー]]の会員に選出される<ref>{{cite web|title=Timothy Berners-Lee Elected to National Academy of Sciences|url=http://www.ddj.com/217200450|publisher=[[Dr. Dobb's Journal]]|accessdate=2010-05-05}}</ref>。
*2009年4月28日 - [[米国科学アカデミー]]の会員に選出される<ref>{{cite web|title=Timothy Berners-Lee Elected to National Academy of Sciences|url=http://www.ddj.com/217200450|publisher=[[Dr. Dobb's Journal]]|accessdate=2010-05-05}}</ref>。
*2009年10月 - [[アムステルダム自由大学]]から名誉博士号を授与される<ref>{{nl icon}} {{cite web|url=http://www.vu.nl/nl/Images/pb%2009.082%20Eredoctoraat_tcm9-94528.pdf|title=Uitvinder World Wide Web krijgt eredoctoraat Vrije Universiteit|accessdate=2010-05-05|author=[[アムステルダム自由大学]]|date=2008-07-22}}</ref><ref>{{nl icon}} {{cite web|url=http://www.nu.nl/internet/2046688/bedenker-wereldwijd-web-krijgt-eredoctoraat-vu.html|title='Bedenker' wereldwijd web krijgt eredoctoraat VU|accessdate=2010-05-05|author=NU.nl|date=2008-07-22}}</ref>。
*2009年10月 - [[アムステルダム自由大学]]から[[名誉博士号]]を授与される<ref>{{nl icon}} {{cite web|url=http://www.vu.nl/nl/Images/pb%2009.082%20Eredoctoraat_tcm9-94528.pdf|title=Uitvinder World Wide Web krijgt eredoctoraat Vrije Universiteit|accessdate=2010-05-05|author=[[アムステルダム自由大学]]|date=2008-07-22}}</ref><ref>{{nl icon}} {{cite web|url=http://www.nu.nl/internet/2046688/bedenker-wereldwijd-web-krijgt-eredoctoraat-vu.html|title='Bedenker' wereldwijd web krijgt eredoctoraat VU|accessdate=2010-05-05|author=NU.nl|date=2008-07-22}}</ref>。
*[[2012年ロンドンオリンピックの開会式]]の第2部に登場し、パフォーマンスを行う<ref>[http://www.zdnet.com/uk/web-inventor-tim-berners-lee-stars-in-olympics-opening-ceremony-7000001744/ Web inventor Tim Berners-Lee stars in Olympics opening ceremony]</ref>。


== 著書 ==
== 著書 ==

2015年6月2日 (火) 08:14時点における版

ティム・バーナーズ=リー
Tim Berners-Lee
ティム・バーナーズ=リー(2012年)
生誕 (1955-06-08) 1955年6月8日(68歳)[1]
イングランドの旗 イングランドロンドン[1]
国籍 イギリスの旗 イギリス
教育 オックスフォード大学クイーンズ・カレッジ
父:コンウェイ・バーナーズ=リー
母:メアリー・リー・ウッズ
業績
所属機関 World Wide Web Consortiumマサチューセッツ工科大学およびサウサンプトン大学
成果 World Wide Webの発明

ティモシー・ジョン・バーナーズ=リー英語: Timothy John Berners-Lee1955年6月8日 - )は、イギリス計算機科学者。ロバート・カイリューとともにWorld Wide Web(WWW)を考案し、ハイパーテキストシステムを実装・開発した人物である。また、URLHTTPHTML の最初の設計は彼によるものである。

経歴

出生地はロンドン。黎明期の電子計算機の一つであるManchester Mark Iの開発チームに参加していた数学者夫妻コンウェイ・バーナーズ=リーとメアリー・リー・ウッズのもとに生まれる。

1973年ロンドンのエマニュエル校を卒業後、オックスフォード大学クイーンズ・カレッジに進学し物理学を専攻。在学時には自身最初のコンピュータをはんだごてTTLゲート、M6800プロセッサ、中古のテレビ受像機を使って組み立てたこともあり[2]、大学のコンピュータで友人とハッキングをして使用禁止にされたりもしたという[3]1976年に卒業後、英プレッセイ電信電話会社に2年間勤務。分散トランザクションシステムやメッセージ転送、バーコード技術などを担当した。1978年に英 D・G・ナッシュ社に転職し、インテリジェントプリンタ用のソフトウェアやマルチタスクOS などを開発した。

バーナーズ=リーが CERN で使用したNeXTcube。初のWebサーバとなった。

その後、会社を辞めて個人でコンサルタントを営み、1980年6月にスイスジュネーヴ欧州原子核研究機構(CERN)にソフトウェア技術のコンサルタントとして6ヶ月間在籍した。バーナーズ=リーは数千人に上る研究者や参加者に効率よく情報を行き渡らせるためのシステム開発を命じられるが、折しもバーナーズ=リーは個人的開発作業の一環として、ランダムに他の文書と連結できる仕組みを持ったENQUIREを開発していた。公表こそされなかったものの、WWWの概念の基礎となるものであった。

1981年からの4年間は英 イメージ・コンピュータ・システムズ社の技術デザインの責任者を務めた後、1984年CERNへ復帰すると科学データ閲覧のための分散リアルタイムシステムに関する業績でフェローシップを贈呈される。1989年3月、後にWWWへ発展することになる、CERN内の情報にアクセスするためのグローバルハイパーテキストプロジェクトの提案を公式に行う[4]。上司マイク・センドールや同僚ロバート・カイリューの支援も受け、1990年11月にはより具体化した提案書 "WorldWideWeb: Proposal for a HyperText Project" を提出[5]。同年12月にNEXTSTEP上で世界初のWebサーバであるhttpdと世界初のウェブブラウザHTMLエディタであるWorldWideWebを構築する[6]

1991年8月6日には「World Wide Webプロジェクトに関する簡単な要約」をalt.hypertextニュースグループに投稿[7]。この日、WWWインターネット上で利用可能なサービスとしてデビューした。同日、世界最初のウェブサイト http://info.cern.ch/ が設立されている。公開に際しては社会全体への貢献を第一に考え、特許を一切取得せず使用料も徴収しなかった。CERN1993年4月30日WWWを誰に対しても無償で開放することを発表した[8]

1994年マサチューセッツ工科大学に着任した直後 World Wide Web Consortium(W3C)を設立。WWWの仕様や指針、標準技術を策定・開発することで、WWWの可能性を最大限に導くことを目的としている。1999年MITコンピュータ科学研究所内の 3Com 創業者会会長に就任。2004年12月にはサウサンプトン大学電子コンピュータ科学部の学部長兼教授に就任し、次世代のWeb技術として、Semantic Web技術の標準化を進めている。

2009年World Wide Web Foundationを設立した[9]

栄誉

ティム・バーナーズ=リー(2005年11月18日)

OM, KBE, FRS, FREng, FRSA

著書

脚注

  1. ^ a b Berners-Lee biography at the World Wide Web Consortium
  2. ^ Berners-Lee, Tim. “Longer Bio for Tim Berners-Lee” (英語). World Wide Web Consortium. 2007年7月20日閲覧。
  3. ^ Tim Berners-Lee / Great British Design Quest : Software Engineer (1955-) - Design/Designer Information” (英語). Design Museum. 2007年7月20日閲覧。
  4. ^ Berners-Lee, Tim (1989年3月). “The original proposal of the WWW, HTMLized” (英語). World Wide Web Consortium. 2007年7月20日閲覧。
  5. ^ Berners-Lee, Tim; Robert Cailliau (1990年11月12日). “WorldWideWeb: Proposal for a HyperText Project” (英語). World Wide Web Consortium. 2007年7月20日閲覧。
  6. ^ Berners-Lee, Tim. “Tim Berners-Lee: WorldWideWeb, the first Web client” (英語). World Wide Web Consortium. 2007年7月20日閲覧。
  7. ^ WorldWideWeb: Summary - alt.hypertext, Googleグループ
  8. ^ 10 Years Public Domain” (英語). 欧州原子核研究機構. 2007年7月20日閲覧。
  9. ^ World Wide Web Foundation
  10. ^ 1996年「C&C賞」(平成8年度)受賞者の決定について”. C&C財団 (1996年9月20日). 2007年7月15日閲覧。
  11. ^ MIT scientist Timothy Berners-Lee with $270,000 MacArthur Fellowship” (英語). マサチューセッツ工科大学 (1998年6月2日). 2007年7月15日閲覧。
  12. ^ Tim Berners Lee - Time 100 People of the Century”. タイム. 2010年5月5日閲覧。 “He wove the World Wide Web and created a mass medium for the 21st century. The World Wide Web is Berners-Lee's alone. He designed it. He loosed it on the world. And he more than anyone else has fought to keep it open, nonproprietary and free.”
  13. ^ ICTlogy, review of ICT4D » Tim Berners Lee: doctor honoris causa”. Open University of Catalonia (2008年10月10日). 2010年5月5日閲覧。
  14. ^ http://www.computerhistory.org/fellowawards/index.php?id=88
  15. ^ WWW発明のバーナーズ・リー氏、Millennium Technology Prize受賞”. ITmedia (2004年4月16日). 2007年6月14日閲覧。
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関連項目

外部リンク