「ベンジャミン・サッタリー」の版間の差分
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| スポーツ歴 = サッカー<br />アイスホッケー |
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[[2012年]][[新日本プロレス]]の[[ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア]]に参戦。初出場ながら、ベスト4の成績を残した。7月22日の[[神戸ワールド記念ホール]]大会で、この日を持ってドラゴンゲートから卒業することが発表された。 |
[[2012年]][[新日本プロレス]]の[[ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア]]に参戦。初出場ながら、ベスト4の成績を残した。7月22日の[[神戸ワールド記念ホール]]大会で、この日を持ってドラゴンゲートから卒業することが発表された。 |
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[[2012年]][[9月27日]]、ドラゴンゲートサイトにて[[WWE]]と契約した事が発表された(契約上、すぐには発表が出来なかった) |
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== 得意技 == |
== 得意技 == |
2012年10月3日 (水) 08:48時点における版
PAC | |
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プロフィール | |
リングネーム | PAC |
本名 | ベン・サッタレイ |
ニックネーム | 超・鳥人 |
身長 | 175cm |
体重 | 78kg |
誕生日 | 1987年8月22日(36歳) |
出身地 | イギリス・ニューカッスル |
所属 | WWE |
スポーツ歴 |
サッカー アイスホッケー |
デビュー | 2004年 |
PAC(パック、1987年8月22日 - )は、イギリスのプロレスラー。
本名、ベン・サッタレイ (Ben Satterley)、ニューカッスル出身。DRAGON GATE UK所属。
経歴
幼い頃からWWEに憧れていた。中でもダイナマイト・キッドやクリス・ベノワを尊敬していたらしい。また、日本のレスラーでは獣神サンダー・ライガーや初代タイガーマスクに影響を受けた。
2004年にIWFでプロレスデビュー。以後、イギリスやアメリカの様々な独立系団体に出場し、若手ながら多くの支持を得る。
アメリカではPWGにおけるエル・ジェネリコとのシングルマッチで注目を集め、同団体ではロドリック・ストロングをパートナーにタッグ王座を獲得した。
2007年にはDRAGON GATEのWrestle JAMに参戦、初来日を果たした。その驚異的な動きから一部専門誌で超・鳥人と称され、それ以降Typhoonのメンバーとして定期的に来日。
2008年12月にTyphoonが解散し、その後はWORLD-1のメンバーとして参戦していた。
2010年2月7日の博多スターレーン大会にて、当時オープン・ザ・ブレイブゲート王者のK-ness.に挑戦するも、獲得はならなかった。
8月29日に第19代ブレイブゲート王者の吉野正人の王座返上によって行われた1day王座決定トーナメントで、堀口元気(1回戦)、KAGETORA(準決勝)、横須賀享(決勝)の3人を破り、第20代ブレイブゲートチャンピオンとなる。
2011年1月28日~30日に行われたオープン・ザ・ユナイテッドゲート初代王者決定戦に吉野正人とタッグを組み、参加し初 代王者となる。
2月10日にPAC引き抜きを狙ったBlood WARRIORSとWORLD-1で「PAC・コントラ・PAC」マッチが行われ、、Blood WARRIORSが勝利したが、移籍を拒否。ブレイブゲート王座にBlood WARRIORSのリコシェを挑戦させることで、WORLD-1残留となった(3月1日のリコシェ戦は王座防衛)。
4月14日の後楽園ホール大会での「オープン・ザ・トライアングルゲート選手権試合~トライアングルゲート・コントラ・解散~」マッチで、王者チームであったBlood WARRIORSのCIMA、ドラゴン・キッド、リコシェ組に破れ、自身が所属していたWORLD-1が、解散となるが、同日に新オープン・ザ・ドリームゲート王者となった望月成晃の「2大ユニット構想」の呼びかけで、吉野正人らとともに、望月と共闘していく事となる。その後の、4月24日の博多スターレーン大会において、正式合体を表明する。
5月5日の愛知県体育館大会で行われた土井成樹とのブレイブゲートのタイトルマッチで吉野正人、谷嵜なおきの持つ最多防衛記録(6回)を破る7回目の防衛に成功。
6月に行われた博多スターレーン2連戦にて初日・18日のブレイブゲートのタイトルマッチでリコシェを破り、8回目の防衛に成功。そして、2日目・19日には斎藤了、堀口元気組の持つオープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座にドラゴン・キッドとのタッグで挑戦。試合はキッドが堀口に勝利し王座戴冠、先述のブレイブゲート、ユナイテッドゲートと合わせて三冠となった。
10月22日、イギリスのロイヤル・アルバート・ホールで行われたブレイブゲートのタイトルマッチでドラゴン・キッドを破り、11回目の防衛に成功するも、11月19日大阪府立体育会館・第2競技場で行われたタイトルマッチでリコシェに敗れてしまう。
2012年新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに参戦。初出場ながら、ベスト4の成績を残した。7月22日の神戸ワールド記念ホール大会で、この日を持ってドラゴンゲートから卒業することが発表された。
2012年9月27日、ドラゴンゲートサイトにてWWEと契約した事が発表された(契約上、すぐには発表が出来なかった)
得意技
- 360°シューティングスター・プレス
- コークスクリュー・シューティングスター・プレス。現在の主なフィニッシュ・ムーブである。
- ダイビング・サマーソルト・ハリケーンラナ(ドラゴン・ラナ)
- 各種シューティングスター・プレス
- 通常のシューティングスター・プレスに加え、レッグドロップやセントーンを組み合わせたもの等を使用。その場飛び式に放つこともある。
- 各種630°スプラッシュ
- トップロープからの630°セントーンに加え、コークスクリュー式やスプリングボード式など、様々なバリエーションを使用する。
- コークスクリュー450°スプラッシュ
- 各種ムーンサルトプレス
- 通常のムーンサルトに加え、その場飛び式やコークスクリュー式のものを使用する。
- 450°スプラッシュ(ファイヤーバード・スプラッシュ)
- フレーミングスター・プレス
- 空中での前方2回転式のリバース式ファイヤーバード・スプラッシュ。SUGIのライトニングストラックと同型。ほとんど出すことがなく、PACの奥の手といえる技。
- ジャーマン・スープレックス・ホールド
- タイガー・スープレックス・ホールド
- リバース・フランケンシュタイナー
- 雪崩式に繰り出すこともあり、入り方のバリエーションは豊富である。
- ドロップサルト
- アサイ・ムーンサルト/ラ・ケブラーダ
- 延髄斬り
- 各種ハリケーン・ラナ
- ブリティッシュ・エアウェイズ
タイトル歴
- オープン・ザ・ブレイブゲート王座第20代王者
- オープン・ザ・ツインゲート統一タッグ王座第16代王者(パートナーはドラゴン・キッド)
- オープン・ザ・ユナイテッドゲート王座初代王者(パートナーは吉野正人)
- オープン・ザ・トライアングルゲート王座第24代・第28代・第35代王者(パートナーは吉野正人&B×Bハルク→土井成樹&谷嵜なおき→土井成樹&吉野正人)
- PWG
- PWG世界タッグ王座: 1回
- wXw世界ライト級王座: 2回
他多数