「ヤング歌謡大賞・新人グランプリ」の版間の差分
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新人歌手に特化した音楽祭で、[[1982年]]までの「'''ABC歌謡新人グランプリ'''」が[[1983年]]にゴールデンに進出したもの。会場は[[梅田芸術劇場|梅田コマ劇場]]や[[フェスティバルホール]]、[[大阪厚生年金会館]]だったが、1987年から[[大阪城ホール]]で開催されていた。審査委員長は[[服部良一]]であった。その他、作曲家、音楽評論家、テレビ・雑誌のコメンテーターなどが審査員に起用した。 |
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[[1988年]]以降のこの特番の名称は、『'''歌謡ゴールデン大賞・新人グランプリ'''』(かようゴールデンたいしょう - )に変更となった。同じテレビ朝日系列で放送されていた『[[全日本歌謡音楽祭]]』が1990年に終了した後も引き続き放送されていたが、平成に入ってからの音楽祭に対する考えの変化で、音楽祭に左右されない音楽活動を希望するアーティストが増えたため、それに伴いノミネートを辞退するアーティストも増えたことから、大賞自体もその煽りを受け、[[1993年]]の開催をもって幕を閉じた。 |
[[1988年]]以降のこの特番の名称は、『'''歌謡ゴールデン大賞・新人グランプリ'''』(かようゴールデンたいしょう - )に変更となった。同じテレビ朝日系列で放送されていた『[[全日本歌謡音楽祭]]』が1990年に終了した後も引き続き放送されていたが、平成に入ってからの音楽祭に対する考えの変化で、音楽祭に左右されない音楽活動を希望するアーティストが増えたため、それに伴いノミネートを辞退するアーティストも増えたことから、大賞自体もその煽りを受け、[[1993年]]の開催をもって幕を閉じた。 |
2012年1月3日 (火) 04:59時点における版
『ヤング歌謡大賞・新人グランプリ』(ヤングかようたいしょう・しんじんグランプリ)は、かつてテレビ朝日系列で全国放送されていたABC主催・制作の音楽特番。
概要
新人歌手に特化した音楽祭で、1982年までの「ABC歌謡新人グランプリ」が1983年にゴールデンに進出したもの。会場は梅田コマ劇場やフェスティバルホール、大阪厚生年金会館だったが、1987年から大阪城ホールで開催されていた。審査委員長は服部良一であった。その他、作曲家、音楽評論家、テレビ・雑誌のコメンテーターなどが審査員に起用した。
1988年以降のこの特番の名称は、『歌謡ゴールデン大賞・新人グランプリ』(かようゴールデンたいしょう - )に変更となった。同じテレビ朝日系列で放送されていた『全日本歌謡音楽祭』が1990年に終了した後も引き続き放送されていたが、平成に入ってからの音楽祭に対する考えの変化で、音楽祭に左右されない音楽活動を希望するアーティストが増えたため、それに伴いノミネートを辞退するアーティストも増えたことから、大賞自体もその煽りを受け、1993年の開催をもって幕を閉じた。
受賞規定
- グランプリ
- 服部良一特別賞
- 審査員奨励賞
- シルバー賞
司会
- 桂三枝
- 片平なぎさ
- ちなみにこの当時、三枝と片平は同局制作の「新婚さんいらっしゃい!」でも共演していたことになる。
歴代グランプリ受賞者
- 1975年:あいざき進也
- 1976年:岩崎宏美
- 1977年:清水健太郎
- 1978年:渡辺真知子
- 1979年:井上望
- 1980年:松田聖子
- 1981年:近藤真彦
- 1982年:シブがき隊
- 1983年:THE GOOD-BYE
- 1984年:岡田有希子
- 1985年:中村繁之
- 1986年:少年隊
- 1987年:酒井法子
- 1988年:大和さくら
- 1989年:田村英里子
- 1990年:忍者
- 1991年:中嶋美智代
- 1992年:永井みゆき
- 1993年:シュー・ピンセイ