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'''グジェゴシ・ラトー'''('''Grzegorz Bolesław Lato'''、[[1950年]][[4月8日]] - )は、[[ポーランド]]出身の[[サッカーポーランド代表|元同国代表]][[サッカー|サッカー選手]]、サッカー指導者、[[政治家]]。現役時代のポジションは[[フォワード (サッカー)|FW]]。 |
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2008年9月28日 (日) 01:45時点における版
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ファイル:Grzegorz lato2.jpg | ||||||
名前 | ||||||
本名 | グジェゴシ・ボレスワフ・ラトー | |||||
カタカナ | グジェゴシ・ラトー | |||||
ラテン文字 | Grzegorz Bolesław Lato | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ポーランド | |||||
生年月日 | 1950年4月8日 | |||||
出身地 | マルボルク | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
グジェゴシ・ラトー(Grzegorz Bolesław Lato、1950年4月8日 - )は、ポーランド出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者、政治家。現役時代のポジションはFW。
人物
100mを11秒台で走る俊足とドリブルが武器のポーランドを代表する右サイドのウイングプレイヤー。1974年の西ドイツW杯では7得点を挙げ得点王に輝き、ゲームメーカーのカジミエシュ・デイナ、左ウイングのロベルト・ガドハと共に3位入賞に貢献し、ポーランドサッカーの一時代を築いた。
ポーランド代表通算104試合出場は歴代最多、通算45得点はヴォジミエシュ・ルバンスキに次ぐ2位の記録である。
引退後は指導者としてサッカーに携わり続けている。また政治家として民主左派連合 ( Sojusz Lewicy Demokratycznej、通称 SLD) に所属し、2001年から2005年までポーランド上院議員を務めた。
所属クラブ
- 1962年-1980年 スタル・ミエレク(ポーランド)
- 1980年-1982年 KSCロケレン(ベルギー)
- 1982年-1984年 アトランテ(メキシコ)
代表歴
- 代表デビュー:1971年11月17日 vs 西ドイツ(0-0)
- 代表通算:95試合出場 42得点
- オリンピック
- 1972年ミュンヘンオリンピック: 金メダル
- 1976年モントリオールオリンピック: 銀メダル
- ワールドカップ
- 1974年西ドイツW杯: 7試合 7得点(3位)
- 1978年アルゼンチンW杯: 6試合 1得点(2次リーグ)
- 1982年スペインW杯: 7試合 1得点(3位)
- W杯通算: 20試合 10得点
指導歴
- 1988年-1990年 ノースヨーク・ロケッツ(カナダ)
- 1991年-1993年 スタル・ミエレク(ポーランド)
- 1993年-1995年 オリンピア・ポズナン(ポーランド)
- 1995年-1996年 アミカ・ウロンキ(ポーランド)
- 1996年-1997年 スタル・ミエレク(ポーランド)
- 1999年 ヴィゼフ・ウッチ(ポーランド)
オリンピック | ||
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男子 サッカー | ||
金 | 1972 | サッカー |
銀 | 1976 | サッカー |
先代 ゲルト・ミュラー |
FIFAワールドカップ得点王 1974 |
次代 マリオ・ケンペス |