「ハーヴェイ・ワインスタイン」の版間の差分

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2008年6月22日 (日) 19:34時点における版

2002年のカンヌにて

ハーヴェイ・ワインスタインHarvey Weinstein1952年3月19日 - )は、アメリカ合衆国映画プロデューサー

ユダヤ系の家庭に生まれ、弟のボブと共にニューヨークで育つ。1970年代の終わりに自身の制作会社をボブと共に立ち上げ、コンサートの制作から始めて映画のプロデュースを手がけるようになる。その会社が後にミラマックスとなる。エグゼクティブ・プロデューサーとして多くのヒット作を手がけている。

2005年にはミラマックスを離れ、ワインスタイン・カンパニー(The Weinstein Company)を設立した。

性格・その他

  • 90年代、映画の買い付け価格を高騰させた張本人。ケビン・スミス監督の1993年の数百万円で製作したデビュー作『クラークス』に10倍以上の値段をつけたり、無名監督の作品に数億円を払う等、ハリウッドの金銭感覚を狂わした張本人でもある。
  • 「ハーヴェイ・シザーハンズ」とも揶揄されており、買い付けた作品をそのまま公開する事はまずなく、長期間に渡る再編集、再撮影、更にはマーケティング試写でのアンケート結果の数字が上昇するまで絶対に公開しないスタンスを取っている。日本映画『Shall we ダンス?』の買い付け後、1年近くにも及ぶこうしたプロセスが敢行された。(周防正行監督著「Shall we ダンス?アメリカに行く」より。文春文庫刊)尚、ミラマックス社の元重役のマーク・ギル(現ザ・フィルム・デパートメント社社長)はラジオのインタビューで「ハーヴェイ・シザーハンズとは私自身の事だ」と告白しており、ワインスタインの指示を請け負い、実際、再編集を実行していたのはギル自身であった事を明かした。
  • ヘビースモーカーであり、毎日数本のダイエットコークを愛飲している。
  • 90年代にサンダンス映画祭において、オーストラリア映画『シャイン』の買い付けの席上、ライバル会社の重役の首を絞め脅迫した事で有名。かなり傲慢な性格をしており、こう云った業界で有名な「ハーヴェイ・ストーリー」と云われる逸話は枚挙にいとまがない。
  • 近年はアジア市場にも目を向けており、金融機関のゴールドマン・サックス社等と数百億円のファンドを組み、アジア映画、特に中国語映画の共同製作・買い付けに奔走している。また東京の映像専門学校にも寄付している。

主なプロデュース作品

外部リンク