柳田邦夫
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柳田 邦夫(やなぎだ くにお、1932年3月7日[1] - 1988年3月1日[1])は、日本の編集者・ジャーナリスト。筆名に小川晴夏(春香)、小原壮八[1]。日本ジャーナリストクラブ会員[1]。
略歴
[編集]鹿児島県鹿児島市出身[1]。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)、ラ・サール高等学校卒業[2]。 1959年、学習院大学政経学部政治学科卒業[1]。大学時代には囲碁部に所属し、のちに囲碁アマ四段、将棋アマ二段となる[3]。
中央公論社に入社。「中央公論」「週刊公論」「暮しの設計」[1]「経営問題」「小説中央公論」[3]の雑誌編集に携わったあと、1962年「思想の科学」天皇制特集号事件で労組委員長として闘争し[1]。1972年に退職[3]。 のちフリーのジャーナリスト、編集者として活躍した。
1959年、加太こうじ、タカクラ・テル、佐藤忠男、福田定良らと「大衆芸術研究会」を創設。
家族
[編集]妻は俳人の柳田芽衣(「鴎座」(松田ひろむ代表)顧問同人)、長男はジャーナリストの柳田大元で、2001年10月に難民の取材のためアフガニスタンに入り、タリバンに26日間拘束されている[4]。長女の夫は野村進。
その他
[編集]民俗学者の柳田國男、ノンフィクション作家、評論家の柳田邦男(1936年生れ)としばしば混同されるが別人。
著書
[編集]- 『団地文明論―住んで見たこと・考えたこと』(1963年) 産報
- 『喧嘩入門』(1973年) 新評社
- 『書き言葉のシェルパ―それでも君はジャーナリストになれるか!』 (1978年5月) 晩聲社
- 『強豪木谷一門の秘密―知的戦闘集団』現代新社 (1979年)
- 『公務員への道 君たちの将来は』ポプラ社 (1979年)
- 『自己対決の論理 異能・異才は組織を救う』PHP研究所 1981
- 『"不要な親"にならないために これから親と教師になる方々へ』第三文明社・灯台ブックス (1982年)
- 『創価学会名誉会長池田大作は何を考えているか』ロングセラーズ (1983年)
- 『ジャーナリズム読本』青峰社(1985年)
- 『ギタさんの現代人物怪快伝―異風堂々怪人十二面相』コア 1985年
- 『ジャーナリスト精神』晩声社 1991
共編書
[編集]- 『日本の大衆芸術 : 民衆の涙と笑い』加太こうじ、浅井昭治、佐藤忠男、虫明亜呂無、森秀人、邑井操、鶴見俊輔共著、現代教養文庫 1962
- 『替歌百年』加太こうじ・吉田智恵男(1966年)コダマプレス
- 『沖縄5月の10日間―日本復帰を迎えた沖縄』中央公論社(1972年)
- 『宗教と人間を問う』水上勉共編 ペップ出版(1974年)
- 『まんが国家秘密法』伊藤マサペップ出版(1987年)