李肇星
李 肇星 李肇星 李肇星 Li Zhaoxing | |
---|---|
| |
生年月日 | 1940年10月20日(84歳) |
出生地 | 中華民国 山東省膠県 |
出身校 | 北京大学 |
所属政党 | 中国共産党 |
配偶者 | 秦暁美 |
子女 | 1人 |
内閣 | 温家宝内閣 |
在任期間 | 2003年3月17日 - 2007年4月27日 |
国務院総理 | 温家宝 |
李 肇星 | |
---|---|
職業: | 政治家・外交官 |
各種表記 | |
繁体字: | 李 肇星 |
簡体字: | 李 肇星 |
拼音: | Lǐ Zhàoxīng |
和名表記: | り ちょうせい |
発音転記: | リー・ヂャオシン |
李 肇星(り ちょうせい、簡体字:李 肇星、繁体字:李 肇星、英語:Li Zhaoxing(リー・ヂャオシン)、1940年10月20日 - )は、中華人民共和国の政治家、外交官。第9代外交部長(外務大臣)、第16期中国共産党中央委員を経て、第11期全国人民代表大会常務委員会委員・全国人民代表大会外事委員会主任委員を務める。
略歴
[編集]1940年10月20日に中華民国(汪兆銘政権)の山東省膠県に誕生する。1964年に北京大学を卒業し、中国外交学会職員として勤務した。北京外国語大学大学院でも学んだが、1968年の文化大革命により、山西省や江西省などに下放された。
1970年に駐ケニア大使館員として復職した。外交部情報局勤務が長く、報道局長を経て、1990年に外交部部長助理(次官補)となった。その後1993年に国際連合大使、1995年に外交部副部長(次官)となり、1998年3月16日に駐アメリカ合衆国全権大使に就任する。
2001年1月、副部長として外交部に戻る。2003年3月17日、第10期全国人民代表大会第1回会議において温家宝内閣が成立し、李は外交部長(大臣)に任命された。
2007年4月27日、全国人民代表大会常務委員会の決定により、李は外交部長を退任。2008年3月の第11期全人代第1回会議において全人代常務委員、全人代外事委員会主任委員に就任。
2012年12月31日、新設された非営利団体「中国公共外交協会」の初代会長に就任した[1]。
主な発言
[編集]2004年11月27日 “没有日本援助,中国也行。”“中国人民能够依靠自己的力量、智慧、决心和自信,建设自己的国家。”
- (「日本の援助が無くても、中国はいける」「中国人民は自分の力、知恵、決心そして自信を頼りに、自分の国家を建設することができる」) ― 小泉純一郎首相(当時)が「中国もODAは卒業すべき時だ」と発言したことを受けて。
2005年4月17日 “中国政府从来没有做对不起日本人民而必须向日本人民道歉的事,主要的问题是日本政府做了一系列伤害中国人民感情的事情。”
- (「中国政府はこれまで日本人民に申し訳が立たないような、謝らなくてはならないことをしたことがない。大事な問題は、日本政府が中国人民の感情を傷つけた一連の行為だ」) ― 3週連続で反日デモが開催され、一部が北京大使館、上海総領事館に投石など破壊行為をした件で、町村信孝外相(当時)に謝罪を求められて。
2006年3月7日 “一位德国官员告诉我,德国人也不能理解,日本的领导怎么能干这种事,这种傻事,不合道德的事。这是德国人说的。他们说,二战之后没有哪个德国领导人还对希特勒或者纳粹分子表示崇拜。”
- (「あるドイツ政府当局者が、『日本の指導者がこの様な事をなぜできるのか、この様な愚かで不道徳なことをするとは、ドイツ人も理解できない』と言っていた。これはドイツ人が言っていたことだ。彼らは、第二次大戦以降ドイツの指導者のだれも、ヒトラーやナチス党員を崇拝する人がいなかった、と言っている」) - 両会開催中の外交方針に関する記者会見場で。記者は東シナ海のガス田について質問したが、激昂して演説となった。原稿はあらかじめ用意しており、日本関連の質問が出たら話す予定だった模様。
著書
[編集]- 李肇星、ジョセフ・E・スティグリッツ、ジョージ・ソロスほか『混乱の本質』(徳川家広訳、土曜社、2012年)
脚注
[編集]- ^ 「有利な国際世論形成へ「中国公共外交協会」設立」、2012年12月31日21時14分、Yomiuri Online。
外部サイト
[編集]- Li Zhaoxing(英語)
- [1](中国語)
中華人民共和国
|
---|