杉並区立杉並第四小学校
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杉並区立杉並第四小学校 | |
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北緯35度42分24秒 東経139度39分13秒 / 北緯35.70668度 東経139.65367度座標: 北緯35度42分24秒 東経139度39分13秒 / 北緯35.70668度 東経139.65367度 | |
過去の名称 | 東京都杉並区立杉並第四国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 東京都杉並区 |
設立年月日 | 1925年9月1日 |
閉校年月日 | 2020年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
小中一貫教育 | 杉並区立高円寺中学校 |
幼小一貫教育 | 杉並区立高円寺北幼稚園 |
所在地 | 〒166-0002 |
東京都杉並区高円寺北2-14-13 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
杉並区立杉並第四小学校(すぎなみくりつすぎなみだいししょうがっこう)は、東京都杉並区高円寺にあった公立小学校。
概要
[編集]教育目標
[編集]- よく考えてやりぬく子ども
- すすんで体をきたえる子ども
- 明るく思いやりのある子ども
沿革
[編集]- 1925年9月1日 - 杉並第三尋常小学校(現 杉並区立杉並第三小学校)から分離して、開校
- 1934年7月23日 - 皇太子誕生記念プール完成
- 1943年
- 4月1日 - 東京市杉並第四国民学校と改称
- 7月1日 - 東京都杉並区立杉並第四国民学校と改称
- 1944年
- 4月1日 - 学校給食を開始する
- 9月6日 - 3年生以上の児童に対し集団疎開を実施する(477名)
- 1945年11月3日 - 疎開を終了し、児童が帰京する
- 1947年
- 1月20日 - 学校給食を再開する
- 4月1日 - 東京都杉並区立杉並第四小学校と改称
- 2005年3月31日 - 杉並区立高円寺北幼稚園が校舎内に移設
- 2007年
- 1月26日 - 杉並区教育委員会教育課題研究指定校研究発表(幼小連携教育の推進)
- 10月23日 - 杉並区立高円寺中学校との小中一貫教育を開始する
- 2008年10月16日 - 小中一貫教育を本格実施する
- 2016年4月1日 - 杉並区教育委員会より幼保小連携推進校に指定される。以降、2019年度まで継続指定される
- 2020年3月31日 - 杉並区立杉並第八小学校との統合のため廃校
特色
[編集]小中一貫教育
[編集]高円寺中学校と小中一貫教育を実施していた。毎週金曜日に、5年生および6年生は、高円寺中学校へ登校し授業を受けていた。また、4-6年生の授業に中学校の教員も参加していた[2]。
幼小連携教育
[編集]2006年から廃校まで、当校に併設した高円寺北子供園(こども園)と連携して教育を行っていた。「子供園・小学校のかかわりを通して、豊かな人間性をはぐくむ」ことを教育目標として掲げ、それぞれの学びを深める教育活動を小学校・こども園と共に実践していた。教育活動の例として、毎週金曜日に4年生と園児との交流給食を行ったり、園児が小学校の運動会に参加した[3]。
関係者
[編集]出身者
[編集]職員
[編集]跡地
[編集]旧校舎には2023年(令和5年)10月7日に科学館「IMAGINUS(イマジナス)」がオープンした[6]。
アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ 同日付で、高円寺中学校を統合した杉並区立小中一貫教育校高円寺学園が開校。
- ^ 小中一貫教育
- ^ 子小連携教育
- ^ ねじめ正一「飯豊の散居集落」『日本経済新聞』2019年12月28日。2022年4月29日閲覧。
- ^ 乙武洋匡、高橋陽子「教員・乙武洋匡氏が貫いた子どもの心に寄り添う教育とは」『フィランソロピー』2010年12月、公益社団法人日本フィランソロピー協会。
- ^ “杉並の新しい科学館「IMAGINUS」オープン 旧校舎で民間運営 1日8回 わくわく実験ショー”. 東京新聞 (2023年10月9日). 2023年10月9日閲覧。