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志賀正浩 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
志賀 正浩
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福島県いわき市[1]
生年月日 (1961-09-25) 1961年9月25日(62歳)[1][2]
身長
体重
184[3] cm
75[3] kg
選手情報
投球・打席[3]投右[3]
ポジション 投手
プロ入り 1979年 ドラフト外
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

志賀 正浩(しが まさひろ、1961年9月25日 - )は、北海道生まれ、福島県いわき市出身の元プロ野球選手投手[1]。右投右打[3]1980年から1981年NPB中日ドラゴンズに在籍した[4]

経歴[編集]

北海道で生まれたが、福島県いわき市市立四倉中学校を卒業し、平工業高校へ進学した[1]。中学時代は3年間、平泳ぎで校内ナンバーワンの座に居続けたという[1]。平工業高校時代は甲子園への出場歴はなく、中央球界では無名だったが、身長184 cmの高身長から投げ下ろす速球の威力を注目されていた[1]。プロ入り時は1試合平均の奪三振が10と言われていた[1][5]。高校3年生だった1979年夏の高校野球福島大会ではコントロールに苦しみ、初戦で福島高校に逆転負けしたが、9奪三振を記録していた[6]。また幼少期から将来プロ野球選手になることを志願しており、高校2年生のころには「テスト生でもいい」と言っていたという[1]

1979年秋には三浦広之福島商業高校から阪急ブレーブスに入団)に匹敵する右の本格派投手として注目され[6]、「東北球界屈指の好投手」と評されていた[1]。後に入団する中日ドラゴンズのほか、ヤクルトスワローズ日本ハム・ファイターズなど8球団から獲得の打診を受けていたが、同年のNPBドラフト会議では指名されなかった[1]。しかしその後も中日・ヤクルト・日本ハム・近鉄バファローズなどから積極的にアプローチを受けており[1]、本人もプロ入りを強く希望していた[6]。中日以上の好条件を提示した球団もあったが[1]、本人はそれ以前から中日を好きな球団として挙げており[6]、同年12月2日には中日へドラフト外入団することで合意した[1][5]。プロ入り当初の年俸は240万円、契約金は1500万円(いずれも推定額)[1][5]。担当スカウトは塚越[注 1][1]背番号82で、志賀は中日球団史上初めて背番号82を着用した人物である[8][9]。また平工業高校出身のプロ野球選手は、志賀が初である[1]

1年目の1980年は一軍(セ・リーグ)、二軍ウエスタン・リーグ)ともに試合出場はなかった[10]。一軍出場はなく、2年目オフの1981年11月28日に球団から自由契約言い渡され[11][12]、同年限りで現役を引退した。

引退後の1999年時点では株式会社ウェルビーに勤務しており[13]指圧師はり師きゅう師の3つの資格を有していた[14]。2023年12月時点では株式会社ウェルビーの専務、および公益社団法人日本サウナ・スパ協会の相談役を務めている[15]2024年7月25日には、中日の本拠地・バンテリンドーム ナゴヤで開催される中日のOB戦「中日スポーツ創刊70周年記念 DRAGONS CLASSIC LEGEND GAME2024」に「強竜チーム」(監督:谷沢健一)の一員として出場する[16][17]

選手としての特徴・人物[編集]

長身である上、右手の中指が約10 cmと長い点が特徴だった[18]。手のひらの長さは20 cmに達しており、フォークボールを楽に握れたといい、『中日新聞』ではかつてのエース投手・杉下茂並みの長い指と形容されていた[19]。担当スカウトの塚越[注 1]からは地肩の強さを高く評価されており、田鎖博美盛岡工業高校)を上回る素質の投手と評されていた[1]

プロ入り直後は、中日の先輩であり同じ本格派投手でもある小松辰雄のように球速で勝負することを目標として掲げていた[1]。また目標の選手として村田兆治を挙げており、プロ入り時は制球力にややがあるが、速球は村田並みであると評されていた[3]。重い速球の球質が武器であるが荒削りであり、変化球が課題であるとする文献もあった[20]

3人兄弟姉妹の末っ子で[1]、父は青年時代にボクシングヘビー級でプレーした元ボクサーであり、母は短距離走選手として福島県大会に出場したことがあった[19]。また兄は水泳、姉は体操競技の選手だった[1]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]

  • 一軍公式戦出場なし

背番号[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b 1955年から中日のスカウトを務め、1981年から近鉄のスカウトに転身していた塚越正宏[7]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 中日スポーツ』1979年12月3日付第5版2頁「DRAGONS TODAY 志賀(平工)第1号 小松辰さんよろしくッ 田鎖上回る 東北屈指の本格派 契約金1500万」(中日新聞社
  2. ^ a b 「セントラル・リーグ '81プロ野球選手写真名鑑 > 中日ドラゴンズ」『週刊ベースボール』第36巻第7号、ベースボール・マガジン社、1981年2月23日、83頁、NDLJP:7909087/42  - 通巻:第1271号(1981年2月23日号)。
  3. ^ a b c d e f g 「グラビア STEP BY STEP 中日ドラゴンズ」『週刊ベースボール』第35巻第27号、ベースボール・マガジン社、1980年6月13日、124-125頁、NDLJP:7909046/62  - 通巻:第1230号(1980年6月23日号)。
  4. ^ 検索結果 | プロ野球在籍者名簿」『NPB.jp 日本野球機構』日本野球機構、2023年。2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧
  5. ^ a b c 中日新聞』1979年12月3日朝刊第12版14頁「中日入り内定第一号に 右の本格派・志賀(平工高) ドラフト外」(中日新聞社) - 縮刷版84頁。
  6. ^ a b c d 福島民友』1979年12月2日朝刊12頁「期待の右腕プロへ 志賀(平工) 伊藤(若商)の両投手 ドラフト外 三浦(阪急)級の本格派」「志賀 中日入りの可能性濃厚」「伊藤 将来性買われる 大洋など3球団 意向打診」(福島民友新聞社)
  7. ^ 「プロ野球スカウトを逆調査 パ・リーグ編」『週刊ベースボール』第37巻第58号、ベースボール・マガジン社、1982年12月27日、111頁、NDLJP:7909196/56  - 通巻:第1380号(1982年12月27日号)。
  8. ^ a b 中日ドラゴンズ 編「ドラゴンズ 背番号の系譜 > 82」『中日ドラゴンズ80年史 Dragons 80』(初版第1刷)中日新聞社(発行)、中日新聞社事業局出版部(発売)、2016年3月18日、275頁。ISBN 978-48062-07009NCID BB21310357国立国会図書館書誌ID:027150771全国書誌番号:22718201 
  9. ^ 歴代背番号」『中日ドラゴンズ 公式サイト』中日ドラゴンズ。2024年7月13日閲覧
  10. ^ 「中日ドラゴンズ > 写真名鑑」『週刊サンケイ』第29巻第16号、サンケイ出版、1981年3月27日、70頁、NDLJP:1811319/36  - 通巻:第1650号(『別冊週刊サンケイスポーツ特集号 プロ野球’81年版オールガイド』)
  11. ^ 『中日新聞』1981年11月29日朝刊第12版19頁「プロ野球短信 28日 中日 コージら自由契約に 関東は任意引退」(中日新聞社) - 縮刷版933頁。
  12. ^ 『中日スポーツ』1981年11月29日付2頁「山本コージ名電)トントン拍子 次回に条件提示即契約」「来る人 去る人 あぁ人生劇場 同じコージ こちら整理」(中日新聞社)
  13. ^ サウナ健康士集中講義 更新講習含め全国11会場で実施」『SAUNA』(PDF)、第273号、社団法人日本サウナ協会、1999年4月15日、1面。2024年7月13日閲覧。オリジナルの2024年7月13日時点におけるアーカイブ。 - 第273号(1999年4月号)。
  14. ^ 「ニュースボックス > 名古屋丸栄百貨店に初登場 コリコリイタタに効く。ボディケア「セラ」 健康」『中部財界』第42巻第2号、中部財界社、1999年2月1日、57頁、NDLJP:2774088/29  - 通巻:第686号(1999年新春号)。
  15. ^ 役員等名簿” (PDF). 公益社団法人日本サウナ・スパ協会のホームページ. 公益社団法人日本サウナ・スパ協会 (2023年12月1日). 2024年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月14日閲覧。
  16. ^ 【中日OB戦】昇竜チームvs強竜チームの編成を発表 両チームのユニホームも公開」『中日スポーツ』中日新聞社、2024年7月8日。2024年7月13日閲覧。オリジナルの2024年7月13日時点におけるアーカイブ。
  17. ^ 【公式】中日スポーツ創刊70周年記念 DRAGONS CLASSIC LEGEND GAME2024」『中日新聞中日スポーツ中日新聞社、2024年7月25日。2024年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月13日閲覧
  18. ^ 「中日ドラゴンズ > 写真名鑑」『週刊サンケイ』第29巻第16号、サンケイ出版、1980年4月15日、35頁、NDLJP:1811257/18  - 通巻:第1590号(『別冊週刊サンケイスポーツ特集号 プロ野球’80年版オールガイド』)
  19. ^ a b 『中日新聞』1979年12月16日朝刊第12版16頁「よろしく、中日の“140キロトリオ” 志賀、望月山崎 指名外 楽しみ“"未完の大器”(中日新聞社) - 縮刷版526頁。
  20. ^ 「ドラフト外選手獲得状況」『週刊ベースボール』第35巻第27号、ベースボール・マガジン社、1979年12月24日、111頁、NDLJP:7909017/56  - 通巻:第1201号(1979年12月24日号)。

関連項目[編集]