広島市立三和中学校
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広島市立三和中学校 | |
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北緯34度24分03秒 東経132度21分46秒 / 北緯34.400936度 東経132.362806度座標: 北緯34度24分03秒 東経132度21分46秒 / 北緯34.400936度 東経132.362806度 | |
過去の名称 |
佐伯郡八幡・石内・河内3か村学校組合八幡中学校 佐伯郡学校組合立三和中学校 五日市町立三和中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 広島市 |
校訓 | 和・魂・行 |
設立年月日 | 1947年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | C134210001187 |
中学校コード | 340275[1] |
所在地 | 〒731-5106 |
広島県広島市佐伯区利松三丁目10-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
広島市立三和中学校(ひろしましりつさんわちゅうがっこう)は、広島県広島市佐伯区利松三丁目にある公立中学校。
沿革
[編集]- 1947年(昭和22年)4月1日 - 広島県佐伯郡八幡・石内・河内3か村学校組合八幡中学校設立
- 1948年(昭和23年)2月19日 - 広島県佐伯郡学校組合立三和中学校と改称
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 町村合併により、五日市町立三和中学校と改称
- 1982年(昭和57年)4月1日 - 五日市町立五月が丘中学校を分離開校
- 1985年(昭和60年)3月20日 - 広島市との合併により、広島市立三和中学校と改称
- 1985年(昭和60年)4月1日 - 広島市立美鈴が丘中学校を分離開校
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 広島市立城山中学校を分離開校
校区
[編集]- 広島市立石内小学校の校区[2]
- 五日市町大字石内(藤の木小学校と五月が丘中学校の学区分を除く)、石内南一丁目、石内南二丁目、石内南三丁目、 石内南四丁目、石内南五丁目
- 広島市立藤の木小学校の校区
- 五日市町大字石内、五日市町大字上小深川、五日市町大字藤の木、藤の木一丁目〜藤の木四丁目
- 広島市立河内小学校の校区
- 五日市町大字上小深川(藤の木学区分を除く)、五日市町大字下小深川、五日市町大字上河内、五日市町大字下河内
- 広島市立彩が丘小学校の校区
- 河内南一丁目、河内南二丁目
- 広島市立八幡東小学校の校区
- 五日市町大字利松、五日市町大字口和田、五日市町大字高井、五日市町大字中地、利松一丁目〜利松三丁目、八幡東一丁目〜八幡東四丁目
部活動
[編集]運動部
[編集]- 野球部
- サッカー部
- 陸上部
- ソフトボール部
- ソフトテニス部(男子・女子)
- バスケットボール部(男子・女子)
- バレーボール部
- バドミントン部
- 卓球部
- 柔道部
- 剣道部
文化部
[編集]- 吹奏楽部
- 演劇部
- 美術部
- 放送部
- 技術部
アクセス
[編集]学校近くの三和橋周辺に広電バスの「三和中学入口」バス停がある[3]。
- 1号線:五日市駅北口 - 岡の下橋 - 八幡学校 - 三和中学入口 - 彩が丘団地方面 / 藤の木団地方面
- 4 湯来線:五日市駅南口 - 佐伯区役所前 - 楽々園 - 広島工大入口 - 岡の下橋 - 八幡学校 - 三和中学入口 - 湯来川角 - (杉並台) - 湯来ロッジ前
- 54 西広島バイパス線(市役所前・美鈴が丘経由):広島バスセンター - 市役所前 - 古江 - 美鈴モール前 - 三和中学入口 - 彩が丘団地・藤の木団地方面
- 55 西広島バイパス線(市役所前・鈴が台経由):広島バスセンター - 市役所前 - 古江 - 鈴が峰住宅 - 八幡学校 - 三和中学入口 - 彩が丘団地方面 / 藤の木団地方面
著名な出身者
[編集]- 左山桃子(女子サッカー選手:サンフレッチェ広島レジーナ)
- 有原航平(プロ野球選手:福岡ソフトバンクホークス)
- 名原典彦(プロ野球選手:広島東洋カープ)
- 小山田浩子(小説家)
- 金本望(元バレーボール選手:トヨタ車体クインシーズ)
- 住谷綾香(フリーアナウンサー)
脚注
[編集]- ^ “広島県所属中学コード表 - 教育開発ONLINE” (PDF). 2020年10月10日閲覧。
- ^ “小学校・中学校の通学区域一覧【佐伯区学区順】”. 広島市. 2013年9月25日閲覧。
- ^ バス情報 路線バス 広電バス