常明親王
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常明親王 | |
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時代 | 平安時代前期 - 中期 |
生誕 | 延喜6年(906年) |
薨去 | 天慶7年11月9日(944年11月27日) |
改名 | 将明 → 常明 |
官位 | 四品、刑部卿 |
父母 | 父:醍醐天皇、母:源和子 |
兄弟 | 勧子内親王、宣子内親王、恭子内親王、克明親王、保明親王、慶子内親王、代明親王、勤子内親王、婉子内親王、都子内親王、重明親王、常明親王、修子内親王、敏子内親王、式明親王、雅子内親王、有明親王、普子内親王、時明親王、長明親王、源高明、兼明親王、源兼子、靖子内親王、源厳子、源自明、韶子内親王、源允明、康子内親王、英子内親王、斉子内親王、朱雀天皇、章明親王、村上天皇、源為明、盛明親王 |
妻 | 藤原恒佐女 |
子 | 源茂親、一条の君 |
常明親王(つねあきらしんのう)は、平安時代前期から中期にかけての皇族。初名は将明(まさあきら)。醍醐天皇の第五皇子。官位は四品・刑部卿。
経歴
[編集]醍醐朝の延喜8年(908年)親王宣下を受け、延喜11年(911年)崇象親王(保明親王)ら兄の4親王とともに改名し、名を将明から常明に改める。延喜18年(918年)初めて参内し、延喜21年(921年)内裏にて、重明親王らととともに元服して四品に叙せられた。
朱雀朝にて、上野太守・刑部卿を務める。天慶7年(944年)11月9日に薨去。享年39。
官歴
[編集]注記のないものは『日本紀略』による。
- 延喜8年(908年) 4月5日:親王宣下
- 延喜11年(911年) 11月28日:将明から常明に改名
- 延喜18年(918年) 8月23日:初めて参内
- 延喜21年(921年) 11月24日:元服、四品か
- 承平4年(934年) 3月24日:見上野太守[1]
- 時期不詳:刑部卿[2]
- 天慶7年(944年) 11月9日:薨去(四品)
系譜
[編集]注記のないものは『尊卑分脈』による。