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小堀阿吉雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こぼり あきお
小堀 阿吉雄
本名 堀江 計作
別名義
  • 小堀 明男
  • 小堀 阿吉男
生年月日 (1920-03-05) 1920年3月5日
没年月日 (1980-06-08) 1980年6月8日(60歳没)
出生地 日本の旗 日本東京市(現在の東京都
ジャンル 俳優
活動期間 1924年 - 1970年代
活動内容 映画テレビドラマ舞台
配偶者 小堀よね子
著名な家族 小堀誠(父)
主な作品
次郎長三国志』シリーズ[1]
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小堀 阿吉雄(こぼり あきお、1920年大正9年〉3月5日[2][3] - 1980年昭和55年〉6月8日[4]は、日本俳優東京市(現在の東京都)出身[2]。本名は堀江 計作ほりえ けいさく。別名は小堀 明男(読み同じ)[1][2][3]、小堀 阿吉男。

経歴

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4歳で新派の舞台を踏む[2]文京区立金富小学校から1926年京華中学校に入学。1930年に中退し井上正夫に師事し俳優を目指す。1941年に横須賀重砲連隊に入隊。同年小堀よね子と結婚。1945年12月に復員し、1947年7月に東横映画にスカウトされ、同年12月の片岡千恵蔵主演の映画『三本指の男』に小堀明男の芸名でデビュー[2]

1948年4月に正式入社。1951年大映京都撮影所に移籍。1952年3月に東宝で脇役として出演した後、同年12月のマキノ雅弘監督の映画『次郎長売り出す』の主演に抜擢[2]。以後、『次郎長三国志』のタイトルで傑作シリーズとなった[2]

1957年9月にフリーとなって大映松竹新東宝の時代劇を中心に数多くバイプレイヤーとして出演した。しかし、1970年の日活ニュー・アクション『斬り込み』を最後に映画界を離れ、舞台に専念した。芸名は1959年小堀阿吉雄と改名。1961年明男に戻すも1976年阿吉男と改名した。

1980年6月8日に死去[4]。なお、訃報は新聞などでは報道されず、雑誌『演劇界』の編集部が読者の問い合わせに応じて、小堀の親族にその消息を確認したことによって明らかになった[4]

家族

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代表作品

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映画

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テレビドラマ

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脚注

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  1. ^ a b c d ゴジラ大百科 1993, p. 119, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
  2. ^ a b c d e f g h i 東宝特撮映画全史 1983, p. 529, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
  3. ^ a b c 野村宏平、冬門稔弐「3月5日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、70頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  4. ^ a b c 『演劇界』1982年9月号、123頁

参考文献

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  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5 
  • 『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一Gakken〈Gakken MOOK〉、1993年12月10日。