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宍塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 茨城県 > 土浦市 > 宍塚
宍塚
宍塚の里山
宍塚の里山
宍塚の位置(茨城県内)
宍塚
宍塚
宍塚の位置
北緯36度5分4.59秒 東経140度9分59.57秒 / 北緯36.0846083度 東経140.1665472度 / 36.0846083; 140.1665472
日本の旗 日本
都道府県 茨城県
土浦市
地区 一中地区
人口
2022年令和4年)1月1日現在)[1]
 • 合計 693人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
300-0805(土浦局集配区)[2]
市外局番 029(土浦MA)[3]
ナンバープレート 土浦
※座標は土浦宍塚郵便局付近[4]

宍塚(ししつか)は茨城県土浦市の地名。一中地区に属する地域の一つ。

地理

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宍塚大池

土浦市街地の西方に位置し、土浦市とつくば市との境にある。都市近郊型里山としての自然が残る。開発計画が持ち上がっていたが、各大学や公的研究機関による研究、特定非営利活動法人宍塚の自然と歴史の会による保全活動などにより、その価値が見直されつつある。

2014年現在、大字としての宍塚は行政単位としては使用されず、宍塚の一部が行政区「宍塚町」と称されている[5]

歴史

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江戸期より信太郡の村としてみられる地名で、「完塚」とも書かれた。戦国期は結城氏領、慶長6年(1601年)から常陸土浦藩領、元和3年(1617年)に一時幕府領となったのち、翌元和4年(1618年)から再度土浦藩領となった。[5]

沿革

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  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行により、信太郡宍塚村が佐野子村・飯田村・矢作村・下高津村・中高津村・上高津村・小松村および新治郡粕毛村と合併して信太郡中家村が発足。宍塚村は中家村大字宍塚となる。
  • 1896年(明治29年)3月29日 - 中家村の所属が信太郡から新治郡に変更。
  • 1937年昭和12年)4月1日 - 中家村が新治郡土浦町に編入。中家村大字宍塚は土浦町大字宍塚となる。
  • 1940年(昭和15年)11月3日 - 土浦町と真鍋町が合併し土浦市が発足。土浦町大字宍塚は土浦市大字宍塚となる。
  • 2006年平成18年)2月20日 - 新治村が土浦市へ編入されるのに合わせ、住所表記から「大字」が削除。土浦市大字宍塚は土浦市宍塚となる[6]

竜巻の襲来

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2009年(平成21年)10月8日午前5時頃、台風18号に連動して宍塚で竜巻が発生、2人の怪我人と114棟の住宅被害を出した[7]

竜巻の威力は凄まじく、宍塚郵便局の屋根が飛ばされたり、電柱信号機が折れるなどした[7]

世帯数と人口

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2022年(令和4年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
宍塚 693世帯 276人

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]

番地 小学校 中学校
一部 土浦市立土浦小学校 土浦市立土浦第一中学校
一部 土浦市立下高津小学校 土浦市立土浦第四中学校

交通

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道路

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路線バス

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施設

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  • 土浦宍塚郵便局
  • 土浦労働総合庁舎 - 2019年1月に宍塚へ移転[9]
    • 土浦労働基準監督署[9]
    • ハローワーク土浦(土浦公共職業安定所)[9]
  • 土浦市立宍塚小学校 - 2014年3月をもって閉校となり、宍塚小学校学区は土浦小学校に統合された。

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b 土浦市地区別人口及び世帯数一覧(常住人口)”. 土浦市. 2022年2月3日閲覧。
  2. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2022年2月3日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2022年2月3日閲覧。
  4. ^ Google Earthより
  5. ^ a b 角川日本地名大辞典JLogos版「宍塚(近代)」より。2014年8月10日閲覧。
  6. ^ 土浦市の住所表記について 2014年8月10日閲覧。
  7. ^ a b 東京新聞. “東京新聞:いばらき回顧録2009〈1〉竜巻発生 自然の力のすさまじさ”. 2010年1月14日閲覧。[リンク切れ]
  8. ^ 土浦市立小・中学校及び義務教育学校通学区域”. 土浦市. 2022年2月3日閲覧。
  9. ^ a b c 庁舎移転のお知らせ”. 茨城労働局・土浦労働基準監督署・土浦公共職業安定所(ハローワーク) (2019年). 2019年9月17日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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