和島岩吉
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わじま いわきち 和島 岩吉 | |
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生誕 |
1905年8月5日[1] 日本・大阪府羽曳野市 |
死没 |
1990年5月13日(84歳没) 日本・大阪府 |
出身校 | 京都帝国大学法学部卒業 |
職業 | 弁護士 |
和島 岩吉(わじま いわきち、1905年(明治38年)8月5日 - 1990年(平成2年)5月13日[2])は、日本の弁護士[1]、大阪府羽曳野市名誉市民[3]。和島法律事務所所長[4]。大阪弁護士会会長、日本弁護士連合会人権擁護委員長、日本弁護士連合会会長を歴任。和島陶牛名義による句集もある。
略歴
[編集]大阪府南河内郡埴生村(現・羽曳野市向野)で馬肉卸商の家庭の三男として生まれる[5]。
苦学して専検に合格。1928年、松江高等学校文科乙類卒業[6]。1931年に京都帝国大学法学部を卒業[1][2][7]。同年、弁護士を開業。加藤老事件、徳島ラジオ商殺し事件、狭山事件、甲山事件などで弁護活動を行う[2]。
1946年、部落解放大阪青年同盟委員長。1953年、大阪府同和事業促進協議会会長。長兄の為太郎とは反対に、1960年代後半の組織分裂に際して部落解放同盟側に残る。1973年、日弁連会長[2]。1985年、大阪人権歴史資料館(現・大阪人権博物館)初代理事長。
人物
[編集]宗教は浄土真宗[1][4]。趣味は文藝、囲碁[1]、俳句、洋画[4]。住所は羽曳野市恵我之荘[4]。
多くの冤罪事件に関わった[2]。1975年、勲二等瑞宝章受章[2]。1981年、松本治一郎賞受賞[2]。
羽曳野市のギャラリーはびきのでは、2015年6月13日から同年8月9日まで和島コレクション展が開催された[3]。和島岩吉が収集し、寄贈した仏像や絵画、刀剣などの美術工芸品約400点の中から選んだ彫刻の名品を展示した[3]。
家族・親族
[編集]- 和島家
- 妻(1910年 - ?)[4]
- 子[4]
- 長兄・為太郎(1900年8月22日 - ?) - 部落解放運動家で向野水平社の指導者で、戦後は部落解放同盟を経て、1960年代後半の組織分裂に際して部落解放同盟と袂を分かち、全解連大阪府連の結成に参加した。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『大衆人事録 近畿篇』大阪301頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年1月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g 和島 岩吉コトバンク。2016年7月8日閲覧。
- ^ a b c 和島コレクション展羽曳野市。2015年12月20日閲覧。
- ^ a b c d e f 『大衆人事録 第二十三版 西日本編』わ882頁。
- ^ 三谷秀治『火の鎖 和島為太郎伝』7頁。
- ^ 『松江高等学校一覧 昭和4至5年』98頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年7月8日閲覧。
- ^ 『京都帝国大学一覧 昭和6年』卒業生姓名 法学士445 - 450頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月7日閲覧。