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山崎佐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1952年

山崎 佐(やまざき たすく、1888年7月5日 - 1967年7月30日)は、日本弁護士医事法制学を創始[1][2][3]

経歴

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千葉県君津郡木更津町の医家に生まれ[4]。1913年、東京帝国大学法科大学独法科卒業[4]。司法官となり、地方裁判所民、刑事部を経て予審判事となり、東京地方裁判所予審判事として首相原敬を暗殺した中岡艮一の審理、荒畑寒村らの治安警察法違反事件などを手がけた[5]。更に控訴院判事となったが、1922年、官を辞して弁護士を開業[4]、医事専門の弁護士に転じた。

東京帝国大学、九州帝国大学など多くの大学で医事法制を教え、医学部講師を務めたことがある九州帝国大学で、1931年3月に医学博士の学位の申請を行い教授会を通過したが文部省が12月23日まで承認しないということがあった[6][7]

さらに医史学を研究。1942年から1953年まで日本医史学会理事長を務めた。1951年、「江戸期前日本医事法制の研究」で日本大学法学博士日本弁護士連合会会長などを歴任。

山崎文庫

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山崎佐の父および兄が順天堂内科に入局したことがあり、山崎佐と当時の学長との親交により全蔵書を寄贈した。文庫は順天堂大学酒井シヅ教授担当の医史学教室の管轄となり、『山崎文庫目録』(1969年)が刊行され公開活用されている[5]

著書

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論文、雑誌

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CiNii

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関連書籍

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脚注

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  1. ^ 有山登山崎文庫目録 序』順天堂大学図書館、1969年https://dl.ndl.go.jp/pid/12612098/1/4?keyword=医事法制学を創始 
  2. ^ 江尻進『思い出に綴られる山崎佐の生涯 表彰状 武見太郎』1968年https://dl.ndl.go.jp/pid/2984786/1/12?keyword=医事法制 
  3. ^ 中野操 著、江尻進 編『医事法制史開拓の巨星落つ』〈思い出に綴られる山崎佐の生涯〉1968年https://dl.ndl.go.jp/pid/2984786/1/160?keyword=医事法制 
  4. ^ a b c 『東京弁護士名家録 第1巻』佐藤幸平著、日本法曹要覧発行所、1925年、pp72-73(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年7月9日閲覧。
  5. ^ a b 日本の大学所蔵特殊文庫解題目録”. tksosa.dijtokyo.org. 2025年6月20日閲覧。
  6. ^ 山崎佐『江戸期前日本医事法制の研究 あとがき』中外医学社、1953年、681頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1374099/1/349?keyword=私の医学の学位は 
  7. ^ 九州大学新聞 昭和6年8月5日号”. 九大法文会 (1931年8月5日). 2025年6月21日閲覧。
  8. ^ 続・『無冤録述』の初歩的検討―江戸及び明治警察史の一齣―(改訂稿)
  9. ^ 江尻進 えじり すすむKotobank

参考

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  • デジタル版日本人名大事典・コトバンク:[1]