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井上雪彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いのうえ ゆきひこ
井上 雪彦
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 山口県下関市
生年月日 (1946-08-01) 1946年8月1日
没年月日 (2006-08-12) 2006年8月12日(60歳没)
最終学歴 多摩美術大学卒業
勤務局 山口放送
職歴 山口放送ラジオ局次長
活動期間 1970年 - 2006年
ジャンル 情報番組
著名な家族 井上朝美(次女、カラーデザイナー)[1]
担当番組・活動
出演経歴井上雪彦の熱血テレビ
Swing Saturday ねぎって行こう!

井上 雪彦(いのうえ ゆきひこ、1946年昭和21年〉8月1日[2] - 2006年平成18年〉8月12日[3])は、山口放送 (KRY) に在籍していたアナウンサー。同局のラジオ局次長も兼務していた。

来歴・人物

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山口県下関市(旧・豊浦郡豊浦町)出身[3]山口県立豊北高等学校(現在の山口県立下関北高等学校)を卒業後、多摩美術大学へ進学[3]。多摩美術大学では日本画科に在籍し、横山操に師事している。そのため、美術や絵画に対する興味関心は人一倍強いものがあった。糸居五郎高崎一郎が憧れのラジオDJであり[4]、大学生時代は糸居の下で喫茶店などでのディスクジョッキーとして修行を積んでいたこともあった[4]。この他、大学在学中に東京アナウンスアカデミー(夜間)に通う[4]

1970年に山口放送に入社[3]。入社から16年間はテレビに出ることなく、ラジオで音楽番組一筋に関わってきたが、80年代から90年代にかけて『KRY テレビ夕刊』でテレビに出演するようになった。1999年には平日午後の情報番組『井上雪彦の熱血テレビ』のメインキャスターに就任し、同番組のクイズコーナーにおいてサイコロを振る姿で人気を博した。

ラジオ・テレビ以外では、『Swing Saturday ねぎって行こう!』でコンビを組むフリーアナウンサー鈴木久美とデュエット曲「徳山午前0時」をリリースし、佐々部清監督の映画『チルソクの夏』『カーテンコール』にも出演した。また佐々部のほかに、『ねぎって行こう!』を通じて歌手前川清と、『熱血テレビ』を通じて歌手の山本譲二下関市出身)、俳優原田大二郎光市育ち)とも親交があった。

2006年8月1日に60歳の誕生日を迎えた。同月末には定年となり、以後は嘱託アナウンサーとして番組出演を続ける予定であった。8月11日までは通常通りに『熱血テレビ』などをこなしていたが[5]、翌8月12日の朝に自宅で倒れ、8時40分に急性大動脈解離で死去した。当日は『ねぎって行こう!』の放送日であったが、遺族の希望などもあり、8月14日の葬儀・告別式後の『熱血テレビ』にて初めて公に死去が伝えられた。ただし公式発表前の8月12日23時過ぎには、佐々部のブログに追悼コメントが出されていた。

没後3年を経た2009年10月に、生前に残した詩をもとに次女の井上朝美(カラーデザイナー)がイラストを手掛けた絵本『ミディーのおさんぽ』が発表された[1]

生前の担当番組

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テレビ

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ラジオ

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出典

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  1. ^ a b “故・井上雪彦さんの絵本出版 次女・朝美さんが絵担当”. 山口新聞. (2009年10月10日). http://www.minato-yamaguchi.co.jp/yama/news/digest/2009/1010/9p.html 2016年8月26日閲覧。 
  2. ^ a b c 井上雪彦アナウンサー”. 山口放送. 1997年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月13日閲覧。
  3. ^ a b c d 井上雪彦”. 山口放送. 2006年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月13日閲覧。
  4. ^ a b c DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、270頁。
  5. ^ 松藤好典 (2006年8月24日). “松藤好典アナブログ: 訃報”. 広島ホームテレビ. 2007年3月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月13日閲覧。