上澤貴憲

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上澤 貴憲
名前
ラテン文字 Takanori KAMISAWA
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1979-12-04) 1979年12月4日(44歳)
出身地 埼玉県川越市
身長 180cm
体重 70kg
選手情報
ポジション フィクソ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
????-2006 高西クラッシャーズ
2006-2007 大洋薬品BANFF
2007-2009 名古屋オーシャンズ
2009-???? 府中アスレティック
代表歴
2009-2011 日本代表
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

上澤 貴憲(かみさわ たかのり、1979年12月4日 - )は、埼玉県川越市[1]出身のフットサル選手。ポジションはフィクソフットサル日本代表

経歴[編集]

サッカー[編集]

埼玉県川越市出身。小学4年時に高階イレブンズでサッカーを始めた[2]。中学年代では川越市立高階西中学校サッカー部でプレーし、埼玉県中学選抜に選ばれた[2]。中学時代に背番号7を付けたことがきっかけで、後の高西クラッシャーズ、大洋薬品BANFF、名古屋オーシャンズ、府中アスレティックでも7番を付けている[3]

サッカー推薦で狭山ヶ丘高等学校に進学してサッカー部に所属したが、2年時からは町クラブの三菱養和サッカークラブユースでプレーした[2]。やはりサッカー推薦で城西大学に進学し、大学でもサッカー部に所属した[2]

フットサル[編集]

大学4年時に高階西中学校時代の友人と高西クラッシャーズ(現・埼玉アルティスタ)を結成[2]。高西クラッシャーズは埼玉県リーグに所属し、上澤自身は日本代表候補に選ばれた[2]。埼玉時代には4年間ほどサラリーマン生活を送っていた[3]

名古屋オーシャンズ[編集]

翌年に発足する予定のFリーグ参加を前提として2006年に大洋薬品BANFFが結成されると、眞境名オスカー監督によって東海フットサルリーグの大洋薬品BANFFに引き抜かれた[2]。愛知県では初めて一人暮らしを経験し、東海リーグ・全日本フットサル選手権大会FUTSAL地域チャンピオンズリーグの3冠を達成した[1]

2007年に日本初の全国リーグであるFリーグが開幕すると、上澤は大洋薬品BANFFから改名した名古屋オーシャンズと契約し、2007-08シーズンの開幕戦でFリーグ第1号ゴールを決めた[2]。名古屋オーシャンズはこのシーズンに初代Fリーグ王者となり、2008-09シーズンにはFリーグ2連覇を達成した[2]

府中アスレティック[編集]

2009年5月、関東フットサルリーグからFリーグに参入した府中アスレティックFCに移籍[2]。2010年の全日本選手権・準決勝の湘南ベルマーレ戦では、後半20分間のうち約19分間も出場するスタミナを見せている[3]フットサル日本代表としては2010年に2010 AFCフットサル選手権に出場した。2011年には名古屋オーシャンズ時代にチームメイトだった山田ラファエルユウゴ完山徹一と再会した[3]。2011-12シーズンまでのFリーグ出場記録は116試合出場47得点。

2012-13シーズン開幕前に足を痛め、8月中旬には手術を行った。2012-13シーズン開幕時の登録が見送られた上に、2012 FIFAフットサルワールドカップの出場を逃し、2013年5月には依然として治療に専念していることが明らかにされた[4]

所属クラブ[編集]

サッカー[編集]

フットサル[編集]

タイトル[編集]

大洋薬品BANFF
名古屋オーシャンズ

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 オーシャン杯 全日本選手権 期間通算
2006 大洋薬品BANFF   東海
2007-08 名古屋 7 Fリーグ 21 6
2008-09 20 10
2009-10 府中 7 ?? ?
2010-11 26 17
2011-12 ?? ?
通算 日本 Fリーグ 116 47
日本
総通算

脚注[編集]

  1. ^ a b 選手インタビュー第6弾 上澤貴憲選手名古屋オーシャンズ
  2. ^ a b c d e f g h i j takanori kamisawa 上澤貴憲 goleador
  3. ^ a b c d 府中アスレティックFC 上澤貴憲選手インタビュー Love Football 2011年7月30日
  4. ^ 「上澤貴憲選手に関するお知らせ」 府中アスレティックFC 2013年5月22日

外部リンク[編集]