三河県 (日本)
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三河県(みかわけん)は、1868年(慶応4年)に、主に三河国内の幕府領・旗本領を管轄するために明治政府によって設置された県。管轄地域は現在の愛知県東部に広く分布している。本項では前身の三河裁判所(みかわさいばんしょ)についても記す。それぞれ参河県、参河裁判所と表記する資料もある。
概要
[編集]江戸時代以降、三河国は譜代大名・旗本領・寺社領・天領と分割支配され、複雑な統治が行われていた。1868年(慶応4年)、吉田に三河国内の幕府領・旗本領を総括する三河裁判所が設置され、のちに赤坂陣屋に移転して三河県に組織変更された。
1869年(明治2年)残部が信濃国南部の幕府領・旗本領を管轄する伊那県に編入され廃止された。一部地域は福島藩から移封された重原藩、徳川宗家が移封された静岡藩に編入されている。
沿革
[編集]管轄地域
[編集]「旧高旧領取調帳」では既に額田県の管轄となっているため、旧領より比定。重原藩、静岡藩への編入地域は複数の郡に分布している。なお相給が存在するため、村数の合計は一致しない。
歴代知事
[編集]三河裁判所
[編集]三河県
[編集]- 1868年(慶応4年)6月9日 - 1868年(慶応4年)6月28日 : 知事・長岡恂(元高知藩士)
- 1868年(慶応4年)6月28日 - 1868年(慶応4年)9月19日 : 知事・水筑竜(元佐伯藩士)
- 1868年(慶応4年)9月19日 - 1868年(慶応4年)12月2日 : 不在
- 1868年(慶応4年)12月2日 - 1869年(明治2年)6月24日 : 知事・鳥居朝道
関連項目
[編集]先代 中泉代官所の一部 (三河国の幕府領・旗本領) |
行政区の変遷 1868年 - 1869年 |
次代 伊那県 |