ブレイン・ダメージ
ブレイン・ダメージ(Brain Damage、1977年12月14日 - 2012年10月18日)は、アメリカ合衆国出身のハードコアレスラー[1]。身長おおよそ193センチメートル、体重おおよそ123キログラム。本名マービン・ランバート(Marvin Lambert)[2]。その経歴のほぼ全部を通してコンバット・ゾーン・レスリングとIWAミッドサウスを主舞台に活動してきた[3]。
略歴
[編集]オハイオ州のマンズフィールドに生まれ、2000年―22歳の時にプロレスラーとしてのデビューを行った[1]。この年にさっそくIWAミッドサウスのキング・オブ・ザ・デスマッチ選手権大会(KOTDM)に出場し、ミスター・インサニティーことトビー・クラインを撃破[4]。
それからしばらくの空白期間を経て再びKOTDMに参加し始めた2005年にあっては、コンバット・ゾーン・レスリング(CZW)のトーナメント・オブ・デス選手権大会(TOD)への初出場をも果たした[5]。
それからというもの2006年〜2007年と欠かさずこれらの大会に出場し、ネクロ・ブッチャー、ミッチ・ペイジ、トビー・クライン、ディレンジド、ドレイク・ヤンガー、ディスファンクション、ミッキー・ナックルズなどといった選手らを相手に歴戦[6]。
そうしたなかで2006年にあっては、ディレンジドと組んだうえで、イアン・ロッテン∽ドレイク・ヤンガー組からIWAミッドサウスのタッグ王座を奪取[7]。翌2007年にはドレイク・ヤンガーの保持下にあったCZWのウルトラバイオレントアンダーグラウンド王座の奪取に挑戦し、有刺鉄線やガラスを用いた一戦を行った末に、これに勝利しこの王座を獲得[8]。
そして同年のうちに催されたTODの『ファスト・フォワード』という番外大会に参戦。ウルトラバイオレントアンダーグラウンド王座が賭けられていたこの大会にあって、ダニー・ハボック&JCベイリー&スコッティー・ヴォルテクズとともに行った決勝戦―200本の蛍光灯が乱舞したバトルロイヤル方式のデスマッチを制し、自身2度目のウルトラバイオレントアンダーグラウンド王座の戴冠を果たすと同時に、遂にはTODの覇者の栄杯の獲得を果たす結果となった[9]。
この年にはIWAイーストコーストのデスマッチ選手権大会―マスターズ・オブ・ペインへの初出場をも行い、ネクロ・ブッチャーとマッドマン・ポンドを破って決勝戦にまで進出するも、やがてはコーク・ヘインに下されそのまま敗退していった[10]。
2008年にはジョーカーとDJハイドを下してCZWアイアンマン王座を2度にわたって獲得[11]。その翌2009年のTODはジョン・モクスリーを相手に一回戦目で敗退[12]。同年に開かれた番外のTOD:リワインドにあっては、MASADAを相手に同じく一回戦目で敗退していった[13]。
2012年10月18日、死去[14]。自殺と見られている。34歳没。
戴冠歴
[編集]- タッグ王座×1
出典
[編集]- ^ a b ケージマッチ:ブレイン・ダメージ
- ^ レスリングゾーン.ru:ブレイン・ダメージ
- ^ オンライン・ワールド・オブ・レスリング:ブレイン・ダメージ
- ^ ケージマッチ:キング・オブ・ザ・デスマッチ2000
- ^ ケージマッチ:ブレイン・ダメージ>大会歴
- ^ ケージマッチ:ブレイン・ダメージ>試合歴
- ^ レスリングタイトルズ.com:IWAミッドサウスタッグ王座
- ^ ケージマッチ:CZWリストア・ジ・オーダー
- ^ ケージマッチ:TODファスト・フォワード
- ^ ケージマッチ:マスターズ・オブ・ペイン2007
- ^ ケージマッチ:CZWアイアンマン王座
- ^ ケージマッチ:トーナメント・オブ・デス8
- ^ ケージマッチ:トーナメント・オブ・デス:リワインド
- ^ FORMER CZW STAR MARVIN 'BRAIN DAMAGE' LAMBERT PASSES AWAY PWInsider.com 2012年10月19日閲覧
- ^ a b ケージマッチ:ブレイン・ダメージ>戴冠歴