サミュエル・デュムラン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サミュエル・デュムラン
Samuel Dumoulin
個人情報
本名 Samuel Dumoulin
サミュエル・デュムラン
生年月日 (1980-08-20) 1980年8月20日(43歳)
国籍 フランスの旗 フランス
身長 159cm
体重 56kg
チーム情報
所属 AG2R・ラ・モンディアル
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 パンチャー
スプリンター
アマ所属チーム
2000-2001
VC・リオン・ヴォー=アン=ヴラン
プロ所属チーム
2002-2003
2004-2007
2008-2012
2013-
ジャン・ドラトゥール
AG2R・プレヴォワイアンス
コフィディス
AG2R・ラ・モンディアル
グランツール最高成績
主要レース勝利
ツール・ド・フランス 区間1勝
カタルーニャ一周 区間通算3勝
エトワール・ド・ベセージュ 2010
最終更新日
2017年3月1日

サミュエル・デュムラン(Samuel Dumoulin、1980年8月20日 - )は、フランスヴェニシュー出身の自転車競技ロードレース)選手。2002年プロデビューし、現在はAG2R・ラ・モンディアル所属。

経歴[編集]

1996年、ノービス部門のフランス選手権ロードレースで優勝。

その後、VC・リオン・ヴォー=アン=ヴランに加入し数々の勝利を収めた。2001年パリ〜ツール・エスポワールとパリ〜オセールで優勝。ツール・ド・サヴォワ第2ステージ、ツール・ド・レン第1ステージでも優勝した。この活躍がマルク・マディオの目に留まり、ラ・フランセーズ・デ・ジューのトレーニーになる。

2002-2003年:ジャン・ドラトゥール[編集]

2002年、ジャン・ドラトゥールに加入し、プロデビュー。プリ・ダルモリカで優勝し、ツール・ド・ラブニール第4ステージでも優勝。またトラック競技にも取り組み、フランス選手権トラックレースのドミフォンで2位になった。

2003年、シーズン序盤にツール・ド・ノルマンディで総合優勝し、トロ・ブロ・レオンでも優勝。ツール・ド・フランスに初出場し総合141位で完走。ツール・ド・ラブニールでは区間2勝。フランス選手権トラックレースのドミフォンでは、優勝してドミフォンのフランスチャンピオンになった。

2004-2007年:AG2R・プレヴォワイアンス[編集]

2004年AG2R・プレヴォワイアンスに移籍。トロ・ブロ・レオンで2連覇を達成。ツール・ド・フランスでは第8ステージで、犬と接触し落車。なんとかゴールしたものの骨折しており、第9ステージはDNS、そのままシーズン終了となった。

2005年クリテリウム・デュ・ドフィネ・リベレツール・デュ・リムザンで区間優勝。フランス選手権トラックレースのドミフォンで優勝して、2度目のフランスドミフォンチャンピオンになる。

2006年、春にルート・アデリ・ド・ヴィトレで優勝し、グランプリ・ド・プリュムレック=モルビアンで3位、ヴァッテンフォール・サイクラシックスでは7位に入った。ツール・ド・フランスにも出場し、総合119位で完走。

2008-2012年:コフィディス[編集]

2008年コフィディスに移籍。ツール・ド・フランス第3ステージでは200km以上逃げた後、ウィル・フリッシュコーンロマン・フェイユとのスプリント勝負になりスプリントを制し区間優勝。

2010年、シーズン初レースのラ・トロピカル・アミサ・ボンゴ第1ステージで優勝。ク―プ・ド・フランス初戦のグランプリ・ドゥヴェルテュール・ラ・マルセイエーズで3位に入る。翌週、エトワール・ド・ベセージュ第3ステージで優勝し総合優勝。グラン・プレミオ・レッジョ・インスブリカではホセ・ホアキン・ロハスニコラス・ロッシュらにスプリントで勝ち優勝。カタルーニャ一周第6ステージにて優勝[1]

2011年カタルーニャ一周では第5,7ステージにて優勝を果たした[2][3]。他にも、エトワール・ド・ベセージュ第3ステージやツール・デュ・オー・ヴァル第1ステージでも優勝。パリ〜コレーズでは第1ステージで優勝し、総合優勝した。

2012年グランプリ・ドゥヴェルテュール・ラ・マルセイエーズで優勝。ク―プ・ド・フランスでは総合優勝した。

2013年-:AG2R・ラ・モンディアル[編集]

2013年、父のように慕うヴァンサン・ラヴニュ率いるAG2R・ラ・モンディアルに移籍。エトワール・ド・ベセージュ第5ステージとグランプリ・ド・プリュムレック=モルビアンで優勝。10月には、ツール・ド・ヴァンデで2位に入り2年連続でク―プ・ド・フランス総合優勝した。

2014年、勝利こそなかったもののグランプリ・ドゥヴェルテュール・ラ・マルセイエーズで3位、ツール・デュ・オー・ヴァルパリ〜コレーズでは総合2位に入った。

2015年ドローム・クラシックで1年半ぶりに優勝。しかし、調整がうまくいかず2007年から8年間連続で出ていたツール・ド・フランスには出場しなかった。

2016年ラ・ルー・トゥランジェルグランプリ・ド・プリュムレック=モルビアンブークル・ド・ロルヌというクープ・ド・フランスのレースで3連勝。8月、チームと契約を2年間延長。それから数週間後には、ツール・デュ・ドゥーでは集団スプリントでバプティスト・プランカールトティボー・フェラスに先着し優勝。プリュムレックで行われたヨーロッパ選手権ロードレースにはフランス代表として出場し4位。10月、ツール・ド・ヴァンデで2位に入り3度目のク―プ・ド・フランス総合優勝を達成した。

2017年、シーズン序盤はツール・デュ・オー・ヴァル第1ステージで優勝、パリ〜カマンベールで2位、グランプリ・ド・プリュムレック=モルビアンで3位。夏には、ツール・ド・レン第2ステージのスプリントでナセル・ブアニに続き2位。しかし、第3ステージで落車し、意識を失い外傷性脳損傷に苦しんだ。

2019年のフランス国内選手権・ロードレース(DNF)を最後に現役を引退。

主な戦績[編集]

  • 1996年
    • フランス選手権 ノービス ロードレース 優勝
  • 2001年
    • ツール・ド・サヴォワ 区間優勝(第2ステージ)
    • ツール・ド・レン 区間優勝(第1ステージ)
    • パリ〜オセール 優勝
    • パリ〜ツール・エスポワール 優勝
    • ロンド・マイエンネーズ 2位
    • ヨーロッパ選手権 U23 ロードレース 8位

グランツール[編集]

ツール・ド・フランス[編集]

ブエルタ・ア・エスパーニャ[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]