コンテンツにスキップ

コーヴィナ (潜水艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
USS コーヴィナ
基本情報
建造所 エレクトリック・ボート造船所
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 攻撃型潜水艦 (SS)
級名 ガトー級潜水艦
艦歴
発注 1940年7月1日[1]
起工 1942年9月21日[2]
進水 1943年5月9日[2]
就役 1943年8月6日[2]
最期 1943年11月17日トラック諸島沖にて戦没
除籍 1944年3月14日
要目
水上排水量 1,526 トン
水中排水量 2,424 トン
全長 311フィート9インチ (95.02 m)
水線長 307フィート (93.6 m)
最大幅 27フィート3インチ (8.31 m)
吃水 17フィート (5.2 m)
主機 ゼネラルモーターズ278A 16気筒ディーゼルエンジン×4基
電源 ゼネラル・エレクトリック発電機×2基
出力 5,400馬力 (4.0 MW)
電力 2,740馬力 (2.0 MW)
最大速力 水上:20.25ノット
水中:8.75ノット
航続距離 11,000カイリ/10ノット時
潜航深度 試験時:300フィート (91 m)
乗員 士官、兵員82名
兵装
  • 21インチ魚雷発射管×10基(前方6,後方4)/魚雷×24本
  • 3インチ砲×1基
  • 機銃
テンプレートを表示

コーヴィナ (USS Corvina, SS-226) は、アメリカ海軍潜水艦ガトー級。艦名は食用となるニベ科の魚の名前から名付けられた。

ハナレニベ(Bigthooth corvina
キグチ(Yellow corvina

艦歴

[編集]

「コーヴィナ」はコネチカット州グロトンエレクトリック・ボート社で起工する。ラルフ・W・クリスティー英語版少将の夫人により1943年5月9日に進水した。1943年8月6日にロデリック・S・ルーニー中佐(アナポリス1929年組)が艦長として着任し、任務についた。就役後はコネチカット州ニューロンドンを1943年9月18日に出港し、真珠湾に10月14日に到着した。

最初で最後の哨戒

[編集]

11月4日、「コーヴィナ」は最初の哨戒でカロリン諸島方面に向かった。11月6日にジョンストン島において燃料を補給したが、その後未帰還となった。「コーヴィナ」の任務は、次のような危険なものであった。

当時トラック諸島周辺には「ブラックフィッシュ (USS Blackfish, SS-221) 」「ドラム (USS Drum, SS-228) 」「スレッシャー (USS Thresher, SS-200) 」および「アポゴン (USS Apogon, SS-308) 」が同様の監視任務についており[3]、「コーヴィナ」にはトラック諸島の南側が哨区として割り当てられていた[4]。3隻には「日本潜水艦に警戒すべし」との警報が出されており、「ブラックフィッシュ」は11月13日夜に北緯03度02分 東経149度41分 / 北緯3.033度 東経149.683度 / 3.033; 149.683の地点で潜水艦らしきものを発見していたが、薄暗い時刻での発見だったため敵か味方かどうかは分からなかった[5]。5日後の11月18日、「ブラックフィッシュ」は「ドラム」と交信したが、「ドラム」は「本艦ではない」と否定した[5][6]。次いで「ブラックフィッシュ」は「コーヴィナ」と交信を試みたが、返事はなかった[3]。やがて11月30日になり、真珠湾の太平洋艦隊潜水部隊司令部から「コーヴィナ」に対し、「第7艦隊指揮下の第72任務部隊に入って、ブリスベンに移動するように」との命令を出し、返信を求めたがついに返信は来なかった[7]。「コーヴィナ」とその乗組員82名の損失は1944年3月14日に発表された。

伊176、コーヴィナを撃沈

[編集]
伊号第一七六潜水艦(伊176)

11月13日、ラバウルから「伊号第一七六潜水艦(伊176)」が日本本土に向けて出港した[8]。「伊176」はソロモン諸島方面の鼠輸送に従事していたが、爆雷攻撃で損傷したためで修理をすべく北上していた[9]。11月16日22時12分、「伊176」は16ノットの速力でトラック諸島の南東海面を北上中だったが、この時北東約8kmの方角に黒点を発見した[8]。「伊176」は黒点に向かって航行していたが、22時15分、黒点はどうも「パーチ型潜水艦[9]らしいと判断。潜航して様子を窺うこととした[10]。23時57分には「パーチ型」の右舷後方2,500mあまりに接近していたが、魚雷発射の死角に入っていたので、浮上砲戦で片付けるべく浮上した[10]。ところが、日付が変わった11月17日0時12分、「パーチ型」が「伊176」に気づいたのか反転するそぶりを見せ、「伊176」は再び潜航[10]。0時20分、「伊176」は「パーチ型」に対して3本の魚雷を発射し、そのうち2本の命中による爆発を確認した[10]。10分後浮上したが、周辺の海上には重油痕があるのみだった[10]

この撃沈された「パーチ型潜水艦」が「コーヴィナ」だった。「コーヴィナ」は日本の潜水艦により沈められた唯一のアメリカ潜水艦であり[7]、日本の潜水艦が敵潜水艦を撃沈したのは3隻目で、これが最後だった[注釈 1]。 沈没位置は北緯05度05分 東経151度10分 / 北緯5.083度 東経151.167度 / 5.083; 151.167と記録されている[12]。 殊勲の「伊176」は1944年5月16日、ブカ島北方にて輸送任務中にアメリカ駆逐艦「フランクス英語版(USS Franks, DD-554) 」「ハガード英語版(USS Haggard, DD-555) 」「ジョンストン (USS Johnston, DD-557) 」の攻撃で撃沈された。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 他は「伊66」が1941年12月25日にクチン沖で撃沈したオランダ潜水艦の「K-16」と、「伊25」が1942年10月11日にアメリカ西海岸で誤認撃沈したソ連海軍の「L-16」。ちなみに、「伊25」を除く他の5隻の艦番号の末尾が「6」で揃っている[11]

出典

[編集]

参考文献

[編集]
  • (issuu) SS-228, USS DRUM, Part 1. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-228_drum_part1 
  • (issuu) SS-221, USS BLACKFISH, Part 1. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-221_blackfish_part1 
  • 深谷甫(編)「写真 米国海軍」『増刊 海と空』、海と空社、1940年。 
  • Roscoe, Theodore. United States Submarine Operetions in World War II. Annapolis, Maryland: Naval Institute press. ISBN 0-87021-731-3 
  • Blair,Jr, Clay (1975). Silent Victory The U.S.Submarine War Against Japan. Philadelphia and New York: J. B. Lippincott Company. ISBN 0-397-00753-1 
  • 木俣滋郎『敵潜水艦攻撃』朝日ソノラマ、1989年。ISBN 4-257-17218-5 
  • 木俣滋郎『日本潜水艦戦史』図書出版社、1993年。ISBN 4-8099-0178-5 
  • Friedman, Norman (1995). U.S. Submarines Through 1945: An Illustrated Design History. Annapolis, Maryland: United States Naval Institute. pp. pp .285–304. ISBN 1-55750-263-3 

外部リンク

[編集]

座標: 北緯05度05分 東経151度10分 / 北緯5.083度 東経151.167度 / 5.083; 151.167