カオプラウィハーン国立公園

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カオプラウィハーン国立公園
อุทยานแห่งชาติเขาพระวิหาร
モーイーデーン岩壁から、東のドンレック(ダンレク)山稜の眺め
モーイーデーン岩壁から、東のドンレック(ダンレク)山稜の眺め
所在地 シーサケート県カンタララック郡タムボン・サオトンチャイ、ウボンラーチャターニー県ナムクン郡ナムユーン郡
登録日時 1998年3月20日
面積 130km2
公式サイト 国立公園局(英語)

カオプラウィハーン国立公園(カオプラウィハーンこくりつこうえん、タイ語: อุทยานแห่งชาติเขาพระวิหาร 、英語:Khao Phra Wihan National Park)はタイの国立公園の一つ。国立公園はムアンシーサケート郡の南98km、国道221号線の終点に位置し、11世紀頃クメール王朝時代の数多くの遺跡が残っている。

コーラート高原の南縁、赤色の岩崖が続くドンラック(ダンレク)山地にあり、タイ王国シーサケート県とカンボジアプレアヴィヒア州の国境に接している。

概要[編集]

カオプラウィハーン国立公園は、シーサケート県カンタララック郡、ウボンラーチャターニー県ナムクン郡、ナムユーン郡領域内に約130km2の面積を持つタイの国立公園。 公園南部はカンボジアと接しており、カンタララック郡タムボン・サオトンチャイのモーイーデーン岩壁地域からプラーサート・プラウィハーン(プレアヴィヒア寺院)へと続く参道がある。「1961年国立公園法」に基づき、1998年3月20日に国立公園に指定。東北部19番目、全国83番目の国立公園となった。

域内森林はカオプラウィハーン国立保全森林地域に指定された広大な森林地帯であり、シーサケート県とウボンラーチャターニー県の3郡にわたって広がっている。豊かな動植物、水源を有しているため、保護のために域内への無断進入、居住は厳禁されている。また域内には歴史学上重要な古代遺跡も数多く残っている。

さらにカオプラウィハーン国立公園には景勝地として知られている場所が数多くある。モーイーデーン岩壁展望台、チョーンポーイ岩壁展望台、サラトラーウ森林地・岩石園、ルーシー(仙人)洞窟、石切り場、ツイン・ストゥーパ(2基の仏塔)、パー・モーイーデーン崖下壁面レリーフ、パー・チョーンポーイ滝、プー・シアンモー展望台、プラーサート・ドーントゥアン遺跡、そしてプラーサート・プラウィハーン遺跡である。プラーサート・プラウィハーン遺跡は重要な遺跡であり、1962年ハーグ国際司法裁判所によりカンボジア領であると決定された(詳細は当該記事参照のこと)。しかし、プラーサート・プラウィハーンに続く参道、階段はタイ王国側に属しており、さらにシーサケート県パー・モーイーデーン地域から登るのが近道となっている。

公園の名について[編集]

公園の名はカンボジア語「プレアヴィヒア」のタイ語発音に由来している。

  • プラーサートปราสาท) は、 サンスクリット語を意味するプラーサーダ (prāsāda)に由来し、両言語ともに城砦のような遺跡を著すためにこの語を用いる。
  • プラพระ)は、カンボジア語のプレアと同様の意味を持ち、サンスクリット語の ヴァラ(varaḥ)は 最高のものを意味する。
  • ウィハーンวิหาร)はサンスクリット語/パーリ語もしくは本堂を意味するヴィハーラ(vi-hāra)に由来する。
  • カオ (เขา) は、タイ語で山もしくは丘である。(カンボジア語では"'プノム"'であり、カンボジアでは同地域を「プノム・プレア・ヴィヒア」と呼ぶことがある。[1])

プラーサートプラウィハーンの参道[編集]

モーイーデーン岩壁地域の上部はプラーサートプラウィハーン寺院遺跡へ繋がるタイ側参道に続いている。カンボジアとの関係が安定している平時は、入場料を支払うとタイ側からの参道の通行が認められる。寺院に行くためにはタイ、カンボジア両サイドからの入場料の支払いが求められるが、カンボジアサイドからビザが求められることはない。カンボジア側は寺院遺跡に限り入場ができる。1962年国際司法裁判所によって寺院遺跡のカンボジアへの帰属が決定されたが[2]、公園内周辺4.6km2の土地の帰属については係争中である[3]。地雷埋設地域には訪問者の安全のために表示がなされている。

2008年、ユネスコ世界遺産委員会によって遺跡がカンボジアの世界遺産として登録されると、タイ側では反発を強め、タイ・カンボジアの国境での緊張が高まった[4]。タイとカンボジア両国の専門家による係争地域を含む管理計画合同調査が行われるが、タイ研究者側がカンボジアの調査に「受け入れがたい不正確な科学調査」であるとして調査団から離脱。独自に報告書をまとめることになった[5]

公園内の自然[編集]

地理[編集]

公園はタイとカンボジア国境地帯に広がるドンラック(ダンレク)山地の一部であり、おおよそ海抜200メートルから500メートルの高地となっている。ターマーリヤ川、ターニー川、ターグート川、トゥン川、タエーク川、ボーン川などの河川の水源にもなっている。

動植物[編集]

公園は切り立った山地の中にあり、以下の動植物を見ることができる[6]

また多くの野生動物も見ることができ、主な生息動物は以下の通り。イノシシカニクイザルジャワマングースビルマノウサギクマネズミフィンレイソンリス、 キタツバイ(Tupaia belangeri)、インドヒオドシコウモリ(Kerivoula picta)、オオコシアカツバメヒタキサンショウクイズグロヒヨドリカザリオウチュウムナフムシクイチメドリカケスシャムザラハダヤモリサンドストーンゲッコウGekko petricolus)、ブチトビトカゲ、チンレーン・プーカオカメーン(: จิ้งเหลนภูเขาเขมรSphenomorphus stellatus、スキンクの一種)、ベンガルオオトカゲメクラヘビビルマニシキヘビ、 アズキマダラオオガシラ、ヒロクチミズヘビ、 ヌマガエル、アジアウキガエル、コップ・ランキート(: กบหลังขีดRana macrodactylaアカガエル属の一種)、ババトラフガエル、シロアゴガエル、ヘイモンズヒメガエル、コップ・オーン(: กบอ่องRana nigrovittata、アカガエル属の一種)など。湖沼にも多くの魚類が生息しており、プラー・クラスープチュット(Hampala dispar)、 プラー・タピヤントーン(Barbonymus altus)、プラー・ヌワンヂャンテート(Cirrhinus cirrhosus、インドゴイ・ケンヒーの一種)、マムシドジョウChanna striataスネークヘッドの一種)、ティラピア、プラー・ドゥクダーン(Clarias batrachus)などがいる。

そのほかの見所[編集]

パー・モーイーデーン[編集]

モーイーデーン岩壁(ผามออีแดง)は直下のカンボジア平原から500メートル以上の高度がある岩壁である。1987年、国境警備の途中のタイ軍準軍事組織タハーン・プラーンの隊員が岩壁に刻まれたレリーフと彫刻を発見した。地域管理計画によると、「図像学に基づくならば、レリーフの制作年代は10世紀ごろか、プラウィハーン遺跡が建立される以前までさかのぼることができる」という[8]。現在このレリーフは公園の見所の一つとなっている。レリーフはすでに部分的に風化が進んでいるため、ゲートと柵で保護している。見学者はゲートから階段を使って下り、観察するようになっている。

ツイン・ストゥーパ[編集]

ツイン・ストゥーパ

ツイン・ストゥーパ(ปราสาทโดนตวล)は赤色砂岩で作られた2基の構築物であり、基部1.93m2、高さ4.2m。「蓮花芽」型上部構造をもつ。

プラーサート・ドーントゥアン遺跡[編集]

北緯14度24分26秒 東経104度44分45秒 / 北緯14.40722度 東経104.74583度 / 14.40722; 104.74583

プラーサート・ドーントゥアン遺跡(ปราสาทโดนตวล)は10世紀から11世紀の建立されたと見られているクメール遺跡であり、シーサケット県カンタララック郡タムボン・ブンマルー プームサローン村(บ้านภูมิซรอล)にある。ナーン・ノムヤイという名の姫にまつわる伝説があり、王に目通りに行く途中、この土地に逗留したといわれている。

クン・シー滝洞窟[編集]

クン・シー滝洞窟(น้ำตกและถ้ำขุนศรี)は、プラウィハーン遺跡への参道に程近いトラーウ貯水池の西に位置している三段の滝とその下にある洞窟。この洞窟は内部は人が生活できるほど広く、プラサートプラウィハーンの建設のためにトラーウ貯水池の石切場を監督していたクン・シーが住んでいたという伝承がある。

プーラオーの滝[編集]

プーラオーの滝(น้ำตกภูละออ)は、カンタララック郡タムボン・サオトンチャイのパノム・ドンラック野生動物保護区にある小滝であるが、9月から2月まで間、水量が多くなる。

参考文献[編集]

  1. ^ Prasat Preah Vihear Temple”. www.preah-vihear.com. 2010年11月22日閲覧。
  2. ^ Temple of Preah Vihear (Cambodia v. Thailand)” (text/html 19.79 KB). Summary of the Summary of the Judgment of 15 June 1962. International Court of Justice. 2010年11月25日閲覧。
  3. ^ Bora Touch, Esq. (2008年6月29日). “Preah Vihear Temple and the Thai's Misunderstanding of the World Court Judgment of 15 June 1962” (JPEG Image). preah-vihear.com/preahv2.jpg. www.preah-vihear.com. 2010年11月22日閲覧。
  4. ^ Temple of Preah Vihear”. World Heritage Convention. 2010年11月23日閲覧。 “Cambodia / N14 23 18 E104 41 2 / Date of Inscription: 2008 / Criteria: (i) / Property : 155 ha / Buffer zone: 2,643 ha / Ref: 1224rev”
  5. ^ Management Plan for Preah Vihear Mountain and Its Setting” (PDF Version 1.6 (Acrobat 7.x)1.02 MB). File 03MgnPlan Created 7/1/2008 ; modified 7/2/2008. Office of Archaeology (สำนักโบราณคดี), Fine Arts Department (อำมาตยากรมศิลปากร), Ministry of Culture, and ICOMOS Thailand (อืโคโมสไทย) 81/1 Si Ayutthaya Rd., Dusit District, Bangkok 10300, THAILAND. p. 1 (2551 B.E. (2008 AD.)). 2010年11月21日閲覧。 “From the meeting [11th – 14th, January, 2008”
  6. ^ อุทยานแห่งชาติเขาพระวิหาร
  7. ^ Phillip Parker King (1791-1856; 探検家) もしくは ジョージ・キング (植物学者) (1840-1909; 植物学者)
  8. ^ "Management Plan" 2008: p14

関連項目[編集]