ウミト・ダヴァラ

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ウミト・ダヴァラ
ガラタサライ時代(2012年)
名前
本名 ウミト・アイドゥン・ダヴァラ
Ümit Aydın Davala
ラテン文字 Ümit Davala
基本情報
国籍 トルコの旗 トルコ
ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1973-07-30) 1973年7月30日(50歳)
出身地 西ドイツの旗 西ドイツ マンハイム
身長 184cm
選手情報
ポジション DF / MF (RB, RMF)
利き足 右足
ユース
1981-1990 ドイツの旗 VfRマンハイムドイツ語版
1990-1992 ドイツの旗 フォイデンハイムドイツ語版
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1994 ドイツの旗 テュルクスポル・マンハイム
1994 トルコの旗 アフヨンカラヒサルスポルトルコ語版 11 (3)
1995-1996 トルコの旗 イスタンブルスポル 22 (6)
1996 トルコの旗 ディヤルバクルスポルトルコ語版(loan) 18 (3)
1996-2001 トルコの旗 ガラタサライ 125 (15)
2001-2002 イタリアの旗 ミラン 10 (0)
2002-2004 イタリアの旗 インテル・ミラノ 0 (0)
2002-2003 トルコの旗 ガラタサライ (loan) 23 (1)
2003-2004 ドイツの旗 ヴェルダー・ブレーメン (loan) 22 (0)
2004-2005 ドイツの旗 ヴェルダー・ブレーメン 11 (0)
1992-2005 通算 241 (28)
代表歴2
1994-1995 トルコの旗 トルコ U-21 7 (2)
1996-2004 トルコの旗 トルコ 41 (4)
監督歴
2007-2008 トルコの旗 トルコ U-21
2008 トルコの旗 ガラタサライ(アシスタントコーチ)
2011-2013 トルコの旗 ガラタサライ(アシスタントコーチ)
2017 トルコの旗 トゥズラスポルトルコ語版
2018- トルコの旗 ガラタサライ(アシスタントコーチ)
1. 国内リーグ戦に限る。2020年10月14日現在。
2. 2020年10月14日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ウミト・ダヴァラÜmit Davala, 1973年7月30日 - )は、西ドイツマンハイム出身の元トルコ代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDFで、右サイドバックが主戦場だがサイドハーフウイングもこなした。

2002年のワールドカップ日本を破る決勝ゴールを挙げた選手としても知られ[1]、当時のモヒカンスタイルは話題となった[2]

クラブ歴[編集]

地元マンハイムのユースクラブで育ち、ドイツ国内のトルコ系やトルコのクラブでプレー。イスタンブルスポルを経て、1997年にガラタサライSKに入団。スュペル・リグ3連覇を経験する。2000年にテュルキエ・クパス決勝でベシクタシュJKと対戦し、2ゴールを挙げ優勝に貢献した。同年にはUEFAカップアーセナルFCを、UEFAスーパーカップレアル・マドリードを破り、いずれもクラブの初優勝メンバーの一員となった。

2001年9月、ガラタサライ前監督ファティ・テリムの後を追って500万ユーロの移籍金でACミランへ加入[3]。11月にテリムが解任されカルロ・アンチェロッティが新監督に就任するとポジションを失う。

2002年夏、ダリオ・シミッチとトレードされる形でインテルナツィオナーレ・ミラノに移籍[4]。直後にガラタサライへシーズンローンとなる[5]

2003年7月にトーマス・シャーフ監督率いるヴェルダー・ブレーメンへレンタルされると、翌年7月から完全移籍へ移行する[6]。22試合に出場しブンデスリーガDFBポカールダブルに貢献した。2004-05シーズンは負傷によりリーグ戦1試合の出場に止まる。2005年8月10日のFCバーゼル戦以降は出場機会がなく、同年10月に腰部を故障すると2005-06シーズンのウィンターブレイク明けまで回復が見込めなかったため12月にクラブとの契約を解除[7]。2006年に現役を引退した[8]


代表歴[編集]

トルコ代表としてはUEFA EURO 20002002 FIFAワールドカップのメンバーに選出。日韓W杯では決勝トーナメント1回戦で日本を破る決勝点を挙げた[1]。また準々決勝では、セネガルに対してイルハン・マンスズの決勝点となるクロスを上げ勝利[9]。チームの3位入賞に貢献した。

現役引退後[編集]

現役引退後はフットサルの道へ進み、UEFAフットサル選手権では主将を務めた[10]

2007年からU-21トルコ代表の監督を1年間務める[8]。2008年6月からガラタサライSKのアシスタントコーチに就任したが、同年10月に解任されている[11]。2011年6月にガラタサライでアシスタントコーチに復帰するが、2013年9月にテリム監督と共にクラブを退団した[12]

2016年12月に2. リグ英語版(トルコ3部リーグ)のトゥズラスポルでディレクターに就任すると、翌年2月から3か月間は同クラブを率いる[13]。2018年1月にはガラタサライで3度目のアシスタントコーチを務めることが発表された[14]

人物[編集]

現役を引退して以降、ラッパーとして数曲リリースしている[15]

タイトル[編集]

ガラタサライ
ブレーメン

脚注[編集]

  1. ^ a b 夢を打ち砕いた選手も…日本代表サポーターにとって「トラウマ」な選手たち”. サッカーキング (2017年9月2日). 2020年10月14日閲覧。
  2. ^ World Cup 2002 hair do's and don'ts”. The Guardian. 2020年10月14日閲覧。
  3. ^ Milan'da Ümit sevinci”. Hürriyet (2001年9月6日). 2020年10月14日閲覧。
  4. ^ Simic crosses San Siro divide”. UEFA.com (2002年7月1日). 2020年10月14日閲覧。
  5. ^ Ümit Davala Galatasaray'la vedalaştı...”. Milliyet (2003年6月30日). 2020年10月14日閲覧。
  6. ^ Ümit extends Bremen stay”. UEFA.com (2014年1月27日). 2020年10月14日閲覧。
  7. ^ Ümit leaving Bremen behind”. UEFA.com (2005年12月20日). 2020年10月14日閲覧。
  8. ^ a b Umit Davala Dreams Of Coaching Milan”. Goal.com (2008年5月26日). 2020年10月14日閲覧。
  9. ^ Turkey 1 - 0 Senegal”. The Guardian (2002年6月22日). 2020年10月14日閲覧。
  10. ^ Ümit excited by EURO challenge”. UEFA.com (2007年1月15日). 2020年10月14日閲覧。
  11. ^ Galatasaray'da şok gelişme”. Hürriyet (2008年10月10日). 2020年10月14日閲覧。
  12. ^ Hasan Şaş ve Ümit Davala istifa etti”. Hürriyet (2013年9月25日). 2020年10月14日閲覧。
  13. ^ Ümit Davala istifa etti”. Sanal Basın (2017年5月17日). 2020年10月14日閲覧。
  14. ^ Galatasaray'dan KAP bildirisi”. Hürriyet (2018年1月16日). 2020年10月14日閲覧。
  15. ^ Siyah-Beyaz Ümit Davala !..”. BeIN Sports (2008年7月8日). 2020年10月14日閲覧。

外部リンク[編集]