ウミト・ダヴァラ

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ウミト・ダヴァラ Football pictogram.svg
名前
カタカナ ウミト・ダヴァラ
ラテン文字 ÜMIT Davala
基本情報
国籍 トルコの旗 トルコ
ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1973-07-30) 1973年7月30日(43歳)
出身地 ドイツの旗 ドイツ マンハイム
身長 184cm
選手情報
ポジション DF (RSB)、MF (RSH)
代表歴
1996-2004 トルコの旗 トルコ 41 (4)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ウミト・ダヴァラÜmit Davala1973年7月30日 - )は、ドイツマンハイム出身で元トルコ代表サッカー選手。ポジションはDFサイドバックが主戦場だが、サイドハーフウイングもこなした。

2002年ワールドカップ日本を破る決勝ゴールを挙げた選手としても知られ、当時のモヒカンスタイルは話題となった。

経歴[編集]

クラブ[編集]

ウミト・ダヴァラは、VfRマンハイム、ASVフォイデンハイム、テュルクスポル・マンハイム、アフヨンスポル、ゲンジュレルビルリギ、ディヤルバクルスポル、イスタンブールスポルASを経て、1997年ガラタサライに入団。3つ連続でトルコのチャンピオンを獲得。2000年に、トルコ・フットボール・カップの決勝でベシクタシュと対戦し決勝で2ゴールを挙げ優勝に貢献した。同年には、クラブがレアル・マドリードアーセナルといったヨーロッパの強豪を破りUEFAカップの優勝に貢献した。

2001年9月、ウミトは、ガラタサライの前監督ファティ・テリムについて行きたかったため、500万ユーロでACミランに移籍。そして、テリムはミラノの監督に任命される。しかし、11月に、テリムは解任され、カルロ・アンチェロッティが新監督に就任。そしてその後、ウミトはレギュラーを失い、2002年夏には、ダリオ・シミッチと替わってインテル・ミラノに移籍するも、ガラタサライへすぐにレンタル移籍。2003年7月、ウミトはヴェルダー・ブレーメンにレンタル移籍し、ドイツチャンピオンシップとドイツカップ優勝に貢献した。2004年7月に、生涯契約されるも、怪我により出場機会が減る。2005年10月、負った腰損傷の回復はあまりに難しいと判明。そして、2005-06シーズン途中、ブレーメンを解雇され、プロサッカー界を引退した。

代表[編集]

トルコ代表としてはUEFA EURO 20002002 FIFAワールドカップのメンバーに選出された。2002年のワールドカップでは、決勝トーナメント1回戦で日本を破る決勝点を挙げた。また準々決勝では、セネガルに対してイルハン・マンスズの決勝点となるクロスを上げ勝利に貢献した。今大会では最終的に3位入賞という成績を収めた。

引退後[編集]

現役を引退後はフットサルの道へ進み、UEFAフットサル選手権では主将を務めた。またU-21トルコ代表のアシスタントコーチを一年間務めた後、2008年6月からガラタサライのアシスタントコーチに就任したが、同年10月に解任されている。

所属クラブ[編集]

外部リンク[編集]