T-5 (練習機)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

富士 T-5

T-5 Ozuki (22103680772).jpg

T-5は、海上自衛隊が運用する練習機KM-2の後継機として採用され、対潜哨戒機などのパイロットを養成するための初等訓練で使用される。富士重工業が製造した。

T-5による訓練時のコールサインは『ルーキーフライト』である。

導入経緯[編集]

KM-2の老朽化と、レシプロエンジンによる陳腐化により、後継機が求められた。富士重工はこれに応えるべく、ターボプロップエンジンを搭載し、主翼や尾翼の形状を大幅に変更したKM-2D(JA8222)を独自に製作、1984年昭和59)6月28日に初飛行し、次期練習機の為のデータ収集に当たった。防衛庁はKM-2Dの採用を決定し、同時にモックアップ審査が行われ、コックピットを4座席キャノピー型に変更、居住性向上や装備の近代化が図られた。KM-2改と仮称された機体は1985年(昭和60)より調達が開始され、初号機は1987年(昭和62)4月27日に初飛行、同年8月に海上自衛隊へ納入し、T-5として制式採用された。1989年平成元)から1999年(平成11)まで36機を納入、第201教育航空隊(小月航空基地)に配備された。海上自衛隊のアクロバットチーム「ブランエール」もこの機体を運用している。

老朽化により減数に転じたため、2006年(平成18)から不足分が再調達され、2008年(平成20)3月27日に1機(37号機)が納入された。平成19年度・20年度予算では共に4機が認められており、20・21年度に各々引き渡される。平成21年度予算では5機・22年度予算では4機が認められており、21・22年度に各々引き渡される。平成23年度予算では5機・24年度予算では4機・25年度予算では3機が認められている。なお、訓練課程の変更と予算削減を受けた防衛大綱によって、将来は30機まで減数する事となっている。2012年11月まで合計54機が納入されている。

機体[編集]

展示飛行を行うブランエール

エンジン・プロペラを機首に搭載し、主翼は直線翼であり低翼配置、座席は並列配置である。ただし、補助席により4座とすることもできる。航空自衛隊戦闘機パイロットの養成を主流とし座席をタンデムとしているが、海上自衛隊では固定費哨戒機やヘリコプターのパイロット養成が主な目的であるため、座席の配置が大型機・ヘリコプターと同様のサイド・バイ・サイドとなっている。また、ジェット機と使用燃料を統一するため、初等練習機では主流のレシプロエンジンではなく、ロールス・ロイス製のターボプロップエンジン250-B17Dを採用した。この結果、騒音の低減にもつながっている。主翼形状の変更や尾翼の後退翼化など、改修箇所は多岐に渡り、コックピットは視界を重視した大型バブルキャノピーを採用したことで、外観はT-3から一変している。製造再開された機体は、計器や航法機器など搭載装備品が近代化されている。

海上自衛隊では唯一、曲技飛行が可能な機体であるため[1]、教官による曲技飛行チーム『ブランエール』でも使用している。

航空自衛隊が後に導入したT-7は250-B17Dの出力増加型である250-B17Fを採用しており、エンジンの本格的な修理は共にMHIエアロエンジンサービスが請け負っている[2]

シミュレータ[編集]

フライトシミュレータも導入されており小月航空基地の『スウェルフェスタ』において体験搭乗が行われている[1]

配備基地[編集]

事故[編集]

  • 1996年(平成8年)12月8日 - 教官1名・練習生2名を載せた6313号機が小月航空基地で胴体着陸、けが人なし。訓練後に着陸しようとした際にメインギアが故障、右主脚が作動せず左主脚も途中で止まったため、教官の操縦により胴体着陸を行った。[3]
  • 2001年(平成13年)9月14日、教官1名・練習生2名を乗せた6331号機が下関市高畑の霊鷲山山中に墜落。教官1名と練習生1名が死亡、1名は顔面骨折など重傷を負った[4]

スペック[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 小月航空基地祭 スウェルフェスタ2015特設ページ |海上自衛隊小月航空基地
  2. ^ MHIエアロエンジンサービス | 取扱製品 | 下請機種 | 250-B17
  3. ^ “ニュースフラッシュ”. 世界の艦船 1996年3月号(NO.608) (海人社): p68. 
  4. ^ 墜落の海自機発見、2人死亡1人救出”. 中国新聞 (2001年9月16日). 2013年4月13日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]