T-5 (練習機)

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富士 T-5

T-5 Ozuki (22103680772).jpg

T-5は、海上自衛隊が運用する練習機KM-2の後継機として採用され、固定翼機ヘリコプターを問わず全パイロットの初等訓練で使用される。富士重工業が製造した。

導入経緯[編集]

KM-2の老朽化と、レシプロエンジンによる陳腐化により、後継機が求められた。富士重工はこれに応えるべく、ターボプロップエンジンを搭載し、主翼や尾翼の形状を大幅に変更したKM-2D(JA8222)を独自に製作、1984年昭和59)6月28日に初飛行し、次期練習機の為のデータ収集に当たった。防衛庁はKM-2Dの採用を決定し、同時にモックアップ審査が行われ、コックピットを4座席キャノピー型に変更、居住性向上や装備の近代化が図られた。KM-2改と仮称された機体は1985年(昭和60)より調達が開始され、初号機は1987年(昭和62)4月27日に初飛行、同年8月に海上自衛隊へ納入し、T-5として制式採用された。1989年平成元)から1999年(平成11)まで36機を納入、第201教育航空隊(小月航空基地)に配備された。

老朽化により減数に転じたため、2006年(平成18)から不足分が再調達され、2008年(平成20)3月27日に1機(37号機)が納入された。平成19年度・20年度予算では共に4機が認められており、20・21年度に各々引き渡される。平成21年度予算では5機・22年度予算では4機が認められており、21・22年度に各々引き渡される。平成23年度予算では5機・24年度予算では4機・25年度予算では3機が認められている。

訓練課程の変更で練習用ヘリコプター『TH-135』が導入されたため、30機体制に移行している[1]

2012年11月まで合計54機が納入されている。

機体[編集]

展示飛行を行うブランエール

エンジン・プロペラを機首に搭載し、主翼は上反角がついた直線翼であり低翼配置、座席は前後並列配置で最大4名の搭乗が可能。航空自衛隊戦闘機パイロットの養成を主流とし座席をタンデムとしているが、海上自衛隊では固定費哨戒機やヘリコプターのパイロット養成が主な目的であるため、座席の配置が大型機・ヘリコプターと同様のサイド・バイ・サイド操縦桿は8の字を横倒しにした両手持ちタイプとなっている。小型機であるため衝突防止灯の装備義務はないが、編隊飛行の訓練を行うことからT-5には白色のフラッシュタイプが装備されている。訓練用であるため失速警告用のストール・ストリップも装備されている。

ジェット機と使用燃料を統一するため、初等練習機では主流のレシプロエンジンではなく、ロールス・ロイス製のターボプロップエンジン250-B17Dを採用した。この結果、騒音の低減にもつながっている。主翼形状の変更や尾翼の後退翼化など、改修箇所は多岐に渡り、コックピットは視界を重視した大型バブルキャノピーを採用したことで、外観はT-3から一変している。キャノピーは後方にスライドするタイプを採用。T-7と同じく射出座席がないため自力で脱出できるようにキャノピーの開閉は動力アシスト機能がある。

製造再開後の機体は、一部の計器や航法機器などがアナログからLCDに変更された近代化仕様である。また富士重工がシンボルマークを変更したため操縦桿の中央にあるマークが従来の『』から六連星に変更されている。

海上自衛隊では唯一、曲技飛行が可能な機体であるため[2]、教官による曲技飛行チーム『ブランエール』でも使用している。

航空自衛隊が後に導入したT-7は250-B17Dの出力増加型である250-B17Fを採用しており、エンジンの本格的な修理は共にMHIエアロエンジンサービスが請け負っている[3]。またT-7で導入された民生品活用によるコスト削減がT-5でも後に導入された[1]

操縦経験がある岡崎拓生(第201教育航空隊司令)によればKM-2と比較し操縦しやすいため『簡単すぎて教育に向かない』という意見まであったという[4]。一方で初期に生産された機体は降着装置の状態を指示する回路が接触不良を起こしやすく、安全のため訓練を中断して帰投することが珍しくないため、1996年ごろには臨時帰投の緊急放送でも基地の隊員は慌てなくなったという[5]

シミュレータ[編集]

フライトシミュレータも導入されており小月航空基地の『スウェルフェスタ』において体験搭乗が行われている[2]

配備基地[編集]

  • 小月航空基地 - 小月教育航空群 - 第201教育航空隊。訓練時のコールサインは『ルーキーフライト』

事故[編集]

  • 1996年(平成8年)12月8日:教官1名・練習生2名を載せた6313号機が小月航空基地で胴体着陸。けが人なし。降着装置を下ろす際に右側が途中で止まり、復旧しなかったため、通常の手順を外れ全て格納、教官(伊戸秀信三等海佐)の操縦により胴体着陸を行った[5]。見事な着陸だったため見守っていた隊員から拍手が起こったという[5]。プロペラは着陸時に逆Y字となったため破損がなく、擦った胴体下面を修理して数日後に復帰した[5][6]
  • 2001年(平成13年)9月14日:教官1名・練習生2名を乗せた6331号機が下関市高畑の霊鷲山山中に墜落。教官1名と練習生1名が死亡、1名は顔面骨折など重傷を負った[7]
  • 2007年2月13日 : 試験飛行中にエンジンの出力制御が不能となり緊急着陸。乗員2名に怪我なし。離陸後にエンジンの出力が下がらなったため飛行を続けて燃料を消費した後、エンジンを切った状態で着陸した[8]
  • 2007年5月28日 : 訓練飛行中に部品が脱落し行方不明。6月4日定期検査で1機の右翼のフラップ内部を確認する点検口の蓋が無くなっているのが発覚。5月28日に行われたタッチアンドゴー訓練中に固定していたネジが外れたとみられている[9]

スペック[編集]

脚注[編集]

資料[編集]

  • 岡崎拓生『翔べ海上自衛隊航空学生―パイロット人生38年の航跡』光人社、2011年。ISBN 978-4769827115

関連項目[編集]

外部リンク[編集]