STS-39

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STS-39
打ち上げられるディスカバリー
任務種別研究
運用者NASA
COSPAR ID1991-031A
SATCAT №21242
任務期間8日7時間22分23秒
飛行距離5,584,423 km
周回数134
特性
宇宙機ディスカバリー
着陸時重量95,846 kg
ペイロード重量5,663 kg
乗員
乗員数7
乗員マイケル・コーツ
ブレイン・ハモンド
グレゴリー・ハーボー
ドナルド・マクモナグル
ギオン・ブルーフォード
チャールズ・ビーチ
リチャード・ヒーブ
任務開始
打ち上げ日1991年4月28日 11:33:14(UTC)
打上げ場所ケネディ宇宙センター第39発射施設A
任務終了
着陸日1991年5月6日 18:55:37(UTC)
着陸地点ケネディ宇宙センター第15滑走路
軌道特性
参照座標地球周回軌道
体制低軌道
近点高度248 km
遠点高度263 km
傾斜角57.0°
軌道周期89.6分

左から、ビーチ、コーツ、ハーボー、マクモナグル、ハモンド、ヒーブ、ブルーフォード
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STS-39は、ディスカバリーの12回目のミッションである。ミッションの主目的は、国防総省のための様々なペイロード実験を行うことであった。

乗組員[編集]

ハイライト[編集]

打上げは、当初3月9日の予定であったが、A発射台での打上げ準備中に、2つの外部燃料タンクの4つのドア全てのヒンジに大きなひび割れが発見されたため、延期された。NASAの責任者は、3月7日に機体をスペースシャトル組立棟に戻し、次に修理のためにオービタ整備施設に戻すことを決めた。故障したヒンジはコロンビアのヒンジと交換され、補強された。ディスカバリーは4月1日に発射台に戻り、打上げは4月23日に再設定された。しかし、打上げ前の外部燃料タンクへの燃料充填の際、3番目のメインエンジンの高圧酸化剤ターボポンプ変換器が規格外の値を示し、ミッションは再び延期された。変換器とそのケーブルは交換され、試験が行われた。打上げは、4月28日に再設定された。実際の4月28日午前7時33分14秒(EDT)に行われた。打上げ時の重量は、112,207kgであった。

STS-39は、国防総省のために行われた。極秘ではないペイロードには、Air Force Program-675 (AFP675)、Infrared Background Signature Survey (IBSS)、Critical Ionization Velocity (CIV)、Chemical Release Observation (CRO)、Shuttle Pallet Satellite-II (SPAS-II)、Space Test Payload-1 (STP-1)等があった。極秘のペイロードは、Multi-Purpose Release Canister (MPEC)、Radiation Monitoring Equipment III (RME III)、Cloud Logic to Optimize Use of Defense Systems-1A (CLOUDS-1A)等から構成されていた。

STS-39は、国防総省のためのミッションで、初めて秘密ではないものであった。これまで、国防総省のための7度のミッションが行われたが、それらは極秘であり、ペイロードや実験の運用や成功等の情報については、一切公表されなかった。STS-39では、Multi-Purpose Experiment Canister (MPEC)のペイロードのみが極秘とされた(ブルフォードは、他の乗組員によると「我々他の乗組員が予め知らされていなかった[1]」間に、自身で極秘のペイロードを打ち上げたと言われている)。

STS-39で観測した南天のオーロラ
Critical Ionization Velocity実験
SPAS-II

1日24時間の運用ができるように、乗組員は2つのチームに分けられた。その他の活動として、大気やガスの放出、ディスカバリーの軌道環境、オービタのエンジンの点火等を赤外線から遠紫外線で観測した。また実験の一部として、5つの衛星がペイロードベイから展開され、そのうち1つがミッションの後半に回収された。

オービタのカーゴベイでは、Air Force Program-675 (AFP-675)、Infrared Background Signature Survey (IBSS)、Space Test Program-01 (STP-01)、MPEC等が運ばれた。乗組員のキャビンには、Cloud Logic to Optimize the Use of Defense Systems-1A (CLOUDS 1A)やRadiation Monitoring Equipment-III (RME-III)が収められた。

Shuttle Pallet Satellite-II (SPAS-II)の放出には、ペイロードベイのシャトル・リモート・マニピュレータ・システムが用いられ、IBSSが搭載された。その他の観測において、SPAS-II/IBSSは、"Malarkey Milkshake"を含む軌道操作を行うディスカバリーを観測した。オーロラ大気光を観測するCIRRIS (Cryogenic Infrared Radiance Instrumentation for Shuttle)が予想よりも早く液体ヘリウム冷却剤を使い果たしたため、IBSSの放出は、ミッション4日目まで1日遅れた。

通常通り、乗組員はミッションの間に予想外の困難に直面した。わずか約4時間の作業後、2つのテープレコーダーが再起動しなくなった。テープレコーダーは、AFP-675の3つの機器による観測を記録するように設計されていた。複雑な2時間の修理によって、Ku帯アンテナのバイパスに成功し、データは地上局に直接送れるようになった。

このミッションの軌道傾斜角は57°と高かったため、乗組員は地球の陸地の大部分の上を飛行し、環境資源等を観測、記録することができた。

STS-39は、1991年5月6日午後2時55分35秒(EDT)に、ケネディ宇宙センター第15滑走路に着陸した。予定されていたエドワーズ空軍基地の付近が強風だったため、着陸地点が変更された。着陸時の重量は95,940kgであった。ロールアウト距離は9,235フィート、ロールアウト時間は56秒間だった。

出典[編集]

  1. ^ Cassutt, Michael (2009年8月). “Secret Space Shuttles”. Air & Space. http://www.printthis.clickability.com/pt/cpt?expire=&title=Secret+Space+Shuttles+%7C+Space+Exploration+%7C+Air+%26+Space+Magazine&urlID=406883157&action=cpt&partnerID=285367&cid=50779477&fb=Y&url=http%3A%2F%2Fwww.airspacemag.com%2Fspace-exploration%2FSecret-Space-Shuttles.html%3Fc%3Dy%26page%3D1 2012年2月17日閲覧。 

外部リンク[編集]